2008年8月16日(土)「しんぶん赤旗」

戦後最大の謀略、松川事件とは?


 〈問い〉 戦後最大の謀略事件といわれる松川事件とは、どんな事件ですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 松川事件とは、1949年夏、東北本線駅近くで夜行列車が、何者かによって脱線転覆させられ、乗務員3人が死亡した事件です。

 49年夏は、1月の総選挙で日本共産党が4議席から35議席へ躍進、米占領軍と第3次吉田内閣による100万人の労働者首切り計画に反対する国鉄労働組合などのたたかいが高まっていたときでした。こうしたとき、下山事件(7月6日、=下山定則国鉄総裁が列車による轢(れき)死体で発見された)、三鷹事件(7月15日、東京・三鷹駅で無人列車が暴走、死者6人、重軽傷者20余人)、次いで、松川事件(8月17日)と、奇怪な事件が相次いで起きました。これら3事件の真相は今日なお不明ですが、占領軍による謀略である可能性が濃厚です。

 三鷹事件の翌日、当時の吉田茂首相は「…社会不安は、主として共産主義者の煽動による」と声明、松川事件では、まだ何の調査も行われていなかった段階で官房長官増田甲子七は「今回の事件は今までにない凶悪犯罪である。三鷹事件をはじめ、その他の各種事件と思想的底流において同じである」との談話を発表し、犯人を日本共産党員や労働者になすりつけるキャンペーンを展開し、首切り反対の闘争に打撃をあたえました。

 松川事件は、事件直後に、国鉄と東芝の労働組合員20人が逮捕、起訴されます。裁判では、警察・検察の「自白」強要、証拠隠滅、偽証などの権力によるでっち上げが明るみに出ましたが、判決は1審、2審とも死刑をふくむ有罪判決でした。

 これにたいして、被告・家族・弁護団などの真実の訴えにこたえ、全国各地に「守る会」が生まれ、思想信条をこえ、あらゆる階層の人びとに広がり、作家・広津和郎による裁判批判著作をふくむ、多様で創造的な運動が展開されました。日本共産党は58年7月の第7回党大会で「松川事件にかんする決議」をおこない、宮本顕治書記長(当時)が死刑判決を受けていた鈴木信被告に宮城刑務所で会って激励、支援を強めました。

 59年最高裁は有罪判決を破棄、61年仙台高裁の全員無罪判決をへて63年9月最高裁で全員無罪が確定。権力犯罪を追及する一環である国家賠償裁判も1審、2審(70年8月)ともに勝利しました。(喜)

 〔2008・8・16(土)〕


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