2008年8月27日(水)「しんぶん赤旗」

戦前の唯物論研究会への弾圧とは?


 〈問い〉 映画「母(かあ)べえ」のモデルも参加したという唯物論研究会への弾圧とはどんなものだったのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 「唯研事件」(「唯物論研究会関係者治安維持法違反被告事件」)とは、1938年(昭和13年)11月29日早朝、雑誌『唯物論研究』改め『学芸』にかかわる主要メンバーが一斉検挙されたことに始まる弾圧です。このときとその前後に検挙されたのは、岡邦雄、戸坂潤、永田広志、森宏一(本名、杉原圭三)、伊藤至郎、伊豆公夫(赤羽寿)武田武志(沼田秀郷)、服部之総(しそう)、信夫清三郎(しのぶせいさぶろう)、古在由重ら30余人、映画「母べえ」のモデルとなった新島繁(野上巌)もその一人です。

 「唯研事件」は、40年1月の第2次一斉検挙(本多修郎、今野武雄、岩崎昶(あきら)ら12人)、さらに2、3千部発行されていた雑誌の購読者にまで数年にわたって追及がつづき、検挙者は総数100人余ともいわれ、完全にはつかまれていません。

 唯物論研究会は、30年代のはじめに科学的社会主義にもとづく文化運動がはげしく弾圧・解体されていったとき、唯物論の学問的研究のための幅広い研究団体をめざし32年10月に結成されました。発起人には長谷川如是閑(にょぜかん)、三枝博音(さいぐさひろと)、羽仁五郎、舩山(ふなやま)信一、大塚金之助、住谷悦治ら40人が名を連ねています。月刊誌『唯物論研究』を発行、『唯物論全書』を出版、研究・講演会をひらくなどしていましたが、弾圧が必至となった38年2月、会の解散を決議、雑誌名を『学芸』に変えていました。

 しかし、天皇制政府は、侵略戦争遂行のために反戦平和のたたかいの先頭に立った日本共産党への弾圧を徹底し、37年7月、日中全面戦争に突入する段階になると、リベラル派、左翼運動の生き残り部分など文字どおりいっさいの進歩的な言論と運動の圧殺をはかります。事件はこういう状況下でつくりあげられたのです。

 裁判では「…日本共産党ノ目的達成ニ寄与…支援スルコトヲ目的トスル唯物論研究会ナル結社ヲ組織シ」(控訴審判決)とこじつけ、44年4月、戸坂、岡に懲役3年、永田に同2年半、森、新島、伊豆、伊藤に同2年の刑が確定しました。戸坂は45年8月9日、長野刑務所で、栄養失調で疥癬(かいせん)をやみ腎臓を悪化させ獄死。永田、伊藤も獄中の虐待がもとで戦後間もなく死にました。この事件とは別に三木清は45年、治安維持法違反の被疑者高倉テルをかくまったとして、豊多摩刑務所に収監され、終戦一カ月後9月26日、戸坂と同じく疥癬と腎臓悪化で獄死しました。(喜)

〔2008・8・27(水)〕


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