2008年8月30日(土)「しんぶん赤旗」

6カ国協議が始まったいきさつは?


 〈問い〉 北朝鮮の非核化などをめざす6カ国協議は、どんないきさつで始まったのですか?(秋田・一読者)

 〈答え〉 北朝鮮の核問題は、90年代前半の核危機の際に米朝が結んだ「ジュネーブ枠組み合意」に基づき、解決が目指されていました。2001年に誕生した米ブッシュ政権は「米朝合意」を含む前政権の対北朝鮮政策の見直しに着手、02年には北朝鮮を「悪の枢軸」と批判し、米朝関係は急激に悪化しました。同年10月、米国は、北朝鮮が高濃縮ウランによる核兵器開発の計画を認めたと公表。米朝交渉の「枠組み合意は無効になった」と、合意に基づく重油提供も打ち切りました。

 北朝鮮は、米国が合意に背き、軽水炉の提供を遅らせていると批判。米国の核先制攻撃政策から自衛するとして核兵器開発を再開し、03年1月には「米国が枠組み合意の破壊に着手」したとして、核不拡散条約(NPT)からの脱退を改めて宣言。新たな核危機が始まりました。

 打開に向けた動きは、この舞台裏で進んでいました。

 02年11月、北朝鮮の韓成烈(ハンソンリョル)国連次席大使が米ニューメキシコ州のリチャードソン知事と接触。パウエル国務長官の依頼を受けた同知事は03年1月、韓大使と会談し交渉入りを合意。しかし、政府間の交渉に移す段階で、米朝の直接交渉を拒絶するチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官らが反対したため、多国間協議をめざす方針を固め、国連常任理事5カ国に韓国や日本、欧州連合などを加えた枠組みを構想します。一方、北朝鮮は「米朝交渉が問題解決の本質」だとして多国間協議を拒否し、米朝直接交渉を求める頑(かたく)なな姿勢をとっていました。

 米朝の仲介役となった中国は、特使を派遣するなど北朝鮮の説得に動き、03年4月には、北京で米中朝の3国協議の開催にこぎつけます。同年7月31日には、ニューヨークで米朝が接触し、米国、中国、北朝鮮の3国に、韓国、ロシア、日本を加えた6カ国の外務次官級を首席代表とする協議の開催で合意しました。

 03年8月に第1回6カ国協議を開催。05年9月の第4回協議では「平和的な方法による朝鮮半島の検証可能な非核化」を目標として確認する共同声明を採択。6カ国は「行動対行動」の原則に基づき、段階的に非核化措置を進めることで合意しました。現在は、北朝鮮の核施設を無能力化する「第2段階(07年10月)」の大詰めを迎えています。

 日本共産党は、平和的方法で核問題を解決する6カ国協議を支持し、北東アジアの平和と安定を保障する枠組みに発展することを願っています。(圭)

 〔2008・8・30(土)〕


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