2008年9月12日(金)「しんぶん赤旗」
イージス艦事故海難審判
“引き継ぎ うのみに”
前水雷長、一定の過失認める
海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が漁船「清徳丸」に衝突した事故の第二回海難審判が十一日、横浜地方海難審判庁(織戸孝治審判長)で開かれ、舩渡健・あたご前艦長(53)が、独自に作成した航跡図を提出しました。あたご側の海事補佐人は「清徳丸が右転せず進めば、あたごの後方八百二十メートルを通過する航路を走っていたことを示す」と説明。前回審判で展開した「清徳丸の進路変更で衝突に至った」との主張を裏付けようとしているとみられます。
作成には清徳丸の僚船の船長らの質問調書や衝突角度などを参考にしたといい、審判の証拠として採用されました。
この日はこのほか、衝突時の当直士官だった長岩友久前水雷長(35)らの尋問がありました。
前水雷長は審判官の尋問に対し「(漁船に対する)動静監視がベストではなかった」と陳述。「(危険性はないという)前当直者の引き継ぎをうのみにした。艦首方向の別の漁船を優先して監視したが、結果から考えると優先順位は逆(清徳丸)だった」などと、一定の過失を認める陳述を始めました。
しかし危険性の認識については「漁船の方位は落ちて(自船から見て後方に移動して)いた」「衝突しない体勢だった」と繰り返し、「一瞬目を離した間に(漁船の)動静が変化したもの」と主張。清徳丸側に原因があるとの姿勢は維持しました。
審判官から「『落ちていた』というばかりで、距離や方位の客観的な数字が証言に出てこない」「私も長く船に乗っている。合理的に納得できる話をしてほしい」と批判される場面もありました。
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