2008年10月2日(木)「しんぶん赤旗」

「戦陣訓」づくりに藤村も関与 本当ですか?


 〈問い〉先日の読者の声に「戦陣訓」の作成に島崎藤村や土井晩翠が関与したとあり、ショックを受けました。本当なのですか?(東京・一読者)

 〈答え〉戦陣訓は太平洋戦争開戦の年1941(昭和16)年1月、陸軍大臣・東条英機名で出された、軍人の行動規範を示した訓令です。日中戦争における軍紀の退廃にたいする戒めとして発布されたもので、この中の「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という一節によって、多くの軍人・民間人が餓死(がし)や玉砕、自決に追いやられました。

 戦陣訓を作成した陸軍教育総監本部長の今村(当時、中将)は『続・今村均回顧録』(芙蓉書房)に「島崎藤村先生と戦陣訓」という題でこう記しています。

 ―私は浦部少佐に次のように指示した。「…軍人の文章はどうしても堅い。…哲学者としての紀平博士、宗教人思想人としての小林一郎先生、詩人としての土井晩翠、島崎藤村両先生…幾人かに私の名で依頼状を差し上げ、戦陣訓を同封してご覧を願い、…御意見を承(うけたまわ)ることにしよう」。仕合せなことは、書状を差し上げた全員、一人のお断りもなく参集され、三時間以上にわたって総体的な意見が述べられ、…一週間の期日内に細部の修文をお願いしたところ、いずれも快諾の上印刷物中に手を入れ郵送された。ただひとり、島崎藤村先生は葉書を寄こされ「直接お会いの上、修正の部分をご説明したい」と申して来られた。…翌日私は浦部少佐とふたりで先生を迎えた。「…これはたしかに結構な教訓書ですが、失礼ながら文章が堅過ぎます。…こんなに不遠慮に手を入れましたので…ご不審なところは…ご説明したい」。もう七十歳に近くなっている老詩人は、謙虚な言葉でかように語られた…―

 また、今村のもとで、戦陣訓作成の中心を担った白根孝之(当時、中尉)も「文章のブラッシュアップを先生は快諾してくださった。藤村ファンならすぐにもそれとわかる藤村調が戦陣訓の節々を占めるようになったのである」と書いています。(『文芸春秋』71年4月10日付臨時増刊「戦陣訓はこうしてつくられた」)

 翌42年、情報局監督下に日本文学報国会がつくられ、藤村は名誉会長に推されます。

 『島崎藤村の人間観』(新日本出版社)の著者・川端俊英さんは「当時の藤村の文章には積極的な戦争賛美や戦意鼓舞の言辞は見当たらない。軍部に対して必要最小限度の協力によって摩擦を避けていた。43年、藤村は脳出血のために逝去しますが、晩年は心ならずも総力戦体制に巻き込まれ苦衷の中にあったと思う」と語っています。(喜)

 〔2008・10・2(木)〕


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