2008年10月21日(火)「しんぶん赤旗」
経済時評
米国発の金融危機(3)
迫る恐慌の性格・対応策
米欧首脳は十八日、世界的金融危機に対応する緊急サミット(首脳会議)の開催で合意しました。金融危機は、実体経済の不振と絡み合い、世界同時不況の懸念が広がっています。
IMF(国際通貨基金)の最新の世界経済見通しでは、世界経済は大恐慌以来の金融危機に直面し、「実体経済も大きな下降局面に入りつつある」。来年の実質成長率は、米国が0・1%、ユーロ圏が0・2%、日本が0・5%で、軒並みゼロ成長と予測しています。
しかし、IMFの見通しは、まだまだ甘い。とりわけ米国経済の実体は深刻です。
産業循環上も本格的な「景気後退」局面に
米国経済は、九〇年代の十年にわたる景気上昇の後、二〇〇〇年にITバブルが崩壊して景気後退に入りました。ところが、それは同時テロ後の超金融緩和・金持ち減税ですぐに中断し、そのままアフガン・イラク戦争による“軍拡景気”へと続きました。
しかし昨年夏に金融危機が勃発(ぼっぱつ)する以前から、本格的な景気後退が近いことを示す兆候が広がってきました。景気を支える消費は、家計赤字の膨張で伸び悩み、金融危機の発端となった住宅価格の下落そのものが、実体経済の矛盾を信用膨張(各種ローンの急増)で覆い隠してきたことの限界の現れでした。
住宅産業とともに米国経済を支えてきた自動車産業も、売り上げが落ち込み、GMはじめビッグスリーの経営は破たん寸前です。
米国経済は、新自由主義的資本蓄積のもとでの、初めての本格的な景気後退に直面しています。新自由主義的資本蓄積の特徴は、一方には巨額な富が多国籍企業・大金持ちに集中するのにたいし、他方には膨大なワーキングプアと貧困が累積することです。貧困層の増大は、家計消費を押し下げ、ひとたび不況になると大型で長期化する恐れがあります。
そこへ、深刻な金融危機の影響が反作用してきます。株式など金融資産価格の暴落で、富裕層の消費支出の大幅減退も必至です。
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米国経済の矛盾の根源を、米国民の「過剰消費」にみる考えもあります。
「過剰消費が危機を大きくするふいごの役を果たした」「米国の『過剰消費』経済がどう変わるかも、今後の行方を決める重要な要素だ」(行天豊雄・元大蔵省財務官)(注1) |
しかし、米国は「貧困大国」でもあり、衣食住医にもこと欠く多数の人びとがいます。
また米国の「過剰消費」は、日本、中国などの輸出が支えてきました。海外での「過少消費」(=「過剰生産」)抜きに、米国の「過剰消費」だけを論ずることはできません。
米国だけでなく、日本や中国、その他の新興国もふくめグローバルな規模で展開されてきた資本蓄積の矛盾(グローバルな「生産と消費の矛盾」)が、まず米国で噴き出しつつあるといえるでしょう。その意味で、米国の景気後退は、世界同時不況へ直結しています。
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今回の米国の景気後退は、金融危機が先行してはじまったことが特徴です。
マルクスは、貨幣恐慌(今でいう金融恐慌)には二つのタイプがあると述べています。
一つは、貨幣恐慌が「特殊な種類の恐慌」として独自に起こり、実体経済に反作用する場合、もう一つは、「全般的生産・商業恐慌の特殊的局面」として起こる場合です。(注2)
今回の金融危機は、米国型「金融モデル」の破たんによる独自の貨幣恐慌(マルクスのいう前者のタイプ)としての性格をもっています。同時に、全般的恐慌の一環としての貨幣恐慌(後者のタイプ)の性格も重なっています。
金融危機が実体経済に反作用するだけでなく、実体経済の矛盾が金融危機を長引かせ、悪循環が続く可能性があります。
米国経済の再生のために、三つの要素
差し迫る恐慌に、どう対応するか。
一九三〇年代の「ニューディール」より、さらに革新的な「二十一世紀型ニューディール」とでもいうべき政策体系が求められます。米国経済の再生のためには、次の三つの要素を盛り込むことが必要でしょう。
第一。国民生活密着型の緊急対策―
恐慌の犠牲を勤労者、中小業者にしわ寄せしない需要・供給の両面からの対策。とくに低所得者・失業者・自営業者を救済する政策。
第二。米国型「金融モデル」の改革―
金融にたいする民主的な規制の再確立。金融の投機化の規制・透明化。金融制度の民主化。戦争の中止による財政再建と経常収支赤字の計画的縮小。新興国を含むルールある通貨・金融秩序を構築するための国際協調。
第三。新自由主義的資本蓄積の改革―
ワーキングプアを解消する労働改革(技術革新を労働条件改善に活用)。物づくりを重視、市場まかせ・金融優先でない産業政策。大企業・富裕者への公正な負担で医療・福祉制度の確立。環境重視の「成長モデル」の構築。
こうした経済政策は、米国だけでなく、各国で共通に求められているものです。(友寄英隆)
(「米国発の金融危機」(1)は八日付、(2)は十六日付)
(注1)「朝日」〇八年十月十八日
(注2)『資本論』、新日本新書(1)、234ページ