2008年11月19日(水)「しんぶん赤旗」
破壊活動防止法は治安維持法の戦後版?
〈問い〉 終戦後も治安維持法をなんとかして存続させようとする動きがあったと聞きました。どういうことだったのでしょうか。そして、現在もある破壊活動防止法は形を変えた治安維持法だという人がいます。日本共産党の見解は?(滋賀・一読者)
〈答え〉 1945年8月15日のポツダム宣言受諾によって、治安維持法をはじめとする弾圧法規は効力を失いました。ところが敗戦処理にあたった東久邇内閣や裁判所などは、弾圧法規をなお有効なものとして扱い、哲学者の三木清などが敗戦後になってから獄中で死亡するとか、横浜事件のように戦後になっても有罪判決を受けるなどの事態も生じました。
そこで、占領軍はあらためて民主主義に反する弾圧法規の撤廃を命令しましたが、東久邇内閣はそれを拒否して総辞職しました。次の幣原内閣になってからの10月15日になって、ようやく治安維持法などの廃止が正式におこなわれました。
このように、軍国主義的な支配勢力は、あくまでも日本共産党や民主的な勢力にたいする弾圧体制、弾圧法規の存続をめざして抵抗をしたのです。
破壊活動防止法(破防法)は暴力主義的破壊活動の名目で、言論・集会・結社の自由などの基本的人権を抑えつけようとする悪法です。
破防法は、なによりもまず、日本共産党や民主的な諸団体の活動を抑えつけ、事実上思想を弾圧しようという意図のもとにつくられたことによって、憲法違反の「治安維持法の戦後版」といわれる理由があります。ですから、破防法は本来廃止されなければならない法律です。
とくに破防法で活動を規制した団体の「ためにする活動」のすべてを禁止する条文をもち、治安維持法のように、ひろく網をかけて国民の権利を奪おうという目的が、治安維持法に類似したものとして批判されています。
しかし、破防法は、1952年の制定当時の国会内外のたたかいや、その後の運動の影響もあって、戦前の治安維持法の場合と違って、今日まで広範な国民の運動を抑制するようなこの法律の適用による弾圧は許していません。
破防法制定以来五十数年のなかで適用されたのは、右翼団体(三無塾)とニセ左翼暴力集団だけで、当時から支配勢力が狙っていた日本共産党への適用はこれまで一件もありません。(明)
〔2008・11・19(水)〕