2008年12月4日(木)「しんぶん赤旗」
米軍占領下でも破壊活動防止法のような法律があった?
〈問い〉戦後の占領期にも、戦前の治安維持法と同じような法律(政令)があって、たくさんの人が逮捕・起訴・投獄されたと年配の方が言っていました。どういうことだったのでしょうか?(大阪・一読者)
〈答え〉敗戦直後、占領軍は当初、ポツダム宣言にそって民主的措置をとりますが、48年ごろから弾圧政策に転じ、まず、もともとは超国家主義的な政党や団体の結成禁止などが対象であった勅令(46年勅令101号)を改正し49年4月、団体等規正令(団規令=政令64号)を制定しました。取り締まりの範囲を革新的な団体にまで広げ、「暴力主義的及び反民主主義的な団体」の名のもとに、構成員の登録を義務づけ、団体の解散の指定ができる規定を設けた弾圧立法です。
団規令が平和条約の発効で効力を失うのに対応して制定されたのが、治安維持法の戦後版といわれる破壊活動防止法です。
多くの民主的な活動家が逮捕されたのは、これとは違って「占領目的阻害行為処罰令」(46年勅令311号、50年に改正されて政令325号)といわれる政令です。この政令は「占領目的に有害な行為」を10年以下の懲役で処罰するもので、占領軍にかかわる批判すべて―米軍基地の実態を知らせたり、朝鮮戦争への米軍の介入を批判したりすることから、原爆投下による被害の実態を伝えることにまで―が取り締まられました。特に新聞報道やビラ・パンフレットの類、街頭演説などが厳しく罰せられ、なかにはビラやポスターを持っていただけで逮捕された例さえあります。憲法が保障した言論・表現の自由は完全にじゅうりんされ、治安維持法下と同じような言論弾圧がおこなわれたのです。
しかもいったん事件として取りあげられたら、起訴することが政令の規定で義務づけられていました。多くの共産党員や大衆団体の活動家が、この政令によって逮捕・起訴され、投獄されました。米軍による軍事裁判で裁かれた人も多くありました。
なお、これらの法規は、「法律」ではなく、「勅令」「政令」という名称になっています。法律は国会で審議して決めますが、占領下では、連合国軍最高司令部(GHQ)が絶対的な権力をもっていましたので、国民の権利に重要な影響を与えるこのような法規でも、占領軍命令にもとづいて政府が定める政令という形で通用したのです。「勅令」は、「天皇の命令」という意味で、現行憲法の発効までは、「勅令」でしたが、実際の効果は政令と同様でした。(柳)
〔2008・12・4(木)〕