2008年12月9日(火)「しんぶん赤旗」
市民と手携え、市政を動かしてきた日本共産党の勝利を
北九州市議選 志位委員長の訴えから
北九州市で五日行われた日本共産党演説会で、志位和夫委員長が北九州市議選と党議員団の役割についてふれた訴え(要旨)を紹介します。
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志位委員長は、演説の冒頭、「論戦とたたかいで自公政権を解散に追い込み、衆院選で躍進をはたす決意」をのべるとともに、来年二月一日投票の北九州市議選について、「定数三減で六十一議席を争う選挙です。日本共産党が十人全員当選すれば、議席占有率は15・6%から、16・4%に前進します。衆議院の議席数に換算すると七十九議席です。全国十七政令市のなかで京都、大阪につぐ大きな市議団になります。北九州市民の暮らしにとっても、国政の流れにとっても重要な選挙です。必ず全員勝利を」と訴えました。
志位氏は、国政について、雇用、社会保障など暮らしをめぐる熱い焦点になっている問題について、はじめは日本共産党だけの主張だったものが、やがて国民多数の声となり、国政を動かしつつあることを紹介し、総選挙での躍進を訴えました。そのなかで、「派遣切り」「期間工切り」といわれる大企業による雇用大破壊が、九州地方では自動車、半導体などの各種業界でとりわけ深刻な実態にあり、それが地域経済全体の悪化を激しくしていること、政治の責任で大企業に雇用を守る社会的責任を果たさせることの重要性を力説しました。それにつづけて北九州の市政問題に話をすすめました。
対決構図は明りょう――「オール与党」か、日本共産党か
北九州市では、二年前の市長選挙で、末吉市政を支えていた「オール与党」が二つに割れ、民主、社民などが推した北橋市政になりました。しかし、選挙が終わったら、元の「オール与党」という同じサヤに収まっているのが実態です。
北橋市長になってから、市長提案の議案が市議会に三百八十八件提出されています。自民党も民主党も公明党も社民党も三百八十八件すべて賛成です。市長の顔が変わっても、市長の出す議案は何でも賛成という「オール与党」体制は続いているのです。
ですから、市議選の対決構図ははっきりしています。前の市政と相変わらずの住民いじめの市政をよってたかってすすめている「オール与党」か、自治体に福祉と暮らしという本来の仕事を果たさせるために力をつくしている日本共産党か。これが選挙戦の争点であります。
十人の共産党市議団の働きはかけがえがありません。市議会のなかで住民の立場で行政をチェックするという仕事をしっかり果たしているのは、日本共産党の十人の市議団だけです(拍手)。さらに、共産党市議団は、市民のみなさんの運動と手を携え、市政を動かしてきました。誇るべき三つの大きな値打ちがあります。
国の住民いじめの政治から市民の暮らしを守る防波堤
第一は、党市議団が、国の住民いじめの政治から、市民の暮らしを守る防波堤になって頑張ってきた、ということであります。
後期高齢者――粘り強い奮闘でついに 「廃止・見直し」 意見書が可決に
たとえば後期高齢者医療制度です。このひどい差別医療制度は国が決めたものですが、こういうときに自治体がどういう態度をとるかが問われるのです。共産党市議団は、ストップの声を自治体から上げようと粘り強く奮闘してきました。
二〇〇七年十二月、日本共産党が「実施凍結を求める意見書」を提出しましたが、「オール与党」にこぞって反対され、否決されました。しかし、国民の激しい怒りで情勢が変わってくる。今年六月、共産党が提案した「廃止を求める」意見書は、結果は否決でしたが、「オール与党」が割れ一部が賛成に回るという変化がおこりました。そして、今年九月に提出された「廃止を含めたより抜本的な見直しを求める意見書」は、自民、公明はなおも反対しましたが、賛成議員が過半数を超え、とうとう可決されました。
はじめはただ一党でも、正義と道理にたった主張が、市民の運動と結んだねばり強い頑張りで多数になり、市民の声として国政につきつけられることになりました。(拍手)
国保証取り上げやめさせよう――ひどい事態を一歩前に動かす
国民健康保険証の取り上げが大問題になっています。国保料が高すぎて払えない人たちから保険証を取り上げ、窓口で全額負担しなければならない資格証明書に置き換えたり、短期間しか有効でない短期保険証に置き換えたりしています。
これももともと国が号令をかけて始まったものです。しかし、保険証の取り上げをしていない自治体も少なくありません。政令市では、さいたま市、広島市が資格証明書は出していません。
そのなかで北九州市政の無慈悲さは本当に突出しています。資格証明書の発行は四千五百十七世帯。短期保険証が一万一千三百三十一世帯、未交付世帯は四千四百五十二世帯。保険証を取り上げられた世帯は二万世帯を超え、加入世帯の9%になります。国が法律で取り上げを「義務」づけたのは滞納が一年を超える場合ですが、北九州市は国の基準よりさらに厳しい独自の基準で、三カ月滞納で短期保険証、六カ月滞納で資格証明書にしている。
このため悲劇が後を絶ちません。〇二年、当時三十二歳の女性が、病気で働けず、短期保険証の期限が切れて無保険になり、医療を受けられないまま死亡するという痛ましい事件も起こりました。
これをあおりたててきたのが「オール与党」です。自民党の議員は、滞納者には、「行政サービスの停止や、氏名公表など厳しい措置も必要だ」とまで言って、無慈悲な取り上げを促進してきました。
しかしこの問題でも、一歩前に動かす事態が起こりました。この十月に、厚生労働省が中学生以下のお子さんがいる世帯には資格証明書の発行をできるだけ控えるよう通達をだしました。北九州市議団はただちに申し入れしました。市は申し入れをうけて、二百九世帯三百十人の無保険の子どもがいる世帯に通知を出し、短期保険証を発行すると表明しました(拍手)。条件が厳しい、煩雑など問題もありますが、前に一歩動かすという成果をあげました。全員勝利で、命を削る取り上げはやめさせようではありませんか。(大きな拍手)
そして高すぎる国保料を下げさせましょう。市の国保会計は黒字です。〇七年度は三十五億円も黒字の繰越金があります。そのうち十六億円あれば一世帯一万円さげられます。二千二百億円の国の社会保障削減路線をやめて、復活させたら、国の制度としても一万円下げられます。国と市であわせて下げさせようではありませんか。(大きな拍手)
生活保護行政―― 「闇の北九州方式」を追及、正常化に踏み出す
生活に困窮して、最後のよりどころとなるのが生活保護です。ところが、国はここでもひどい予算削減をやってきました。その一番の「優等生」になっていたのが北九州市なのです。
北九州市の生活保護行政は、どれだけ生活に困る人がいようが、数値目標と予算を決め、目標達成を最優先し、この額以上はださないと最初に決めるというやり方でした。
それはあくどい手口です。一つは「水際作戦」です。保護の相談にいっても申請書を渡さず、窓ぐちで追い返す。悪名高い「闇(やみ)の北九州方式」といわれる手口です。〇五年の調査では、保護課に相談した六千五百九十二人のうち、申請できたのは八百四十二人、わずか12・8%でした。生活保護というのは申請があったら無条件に行政は受け付けなければなりません。受け付けたうえで審査する。申請さえ受け付けないのは違法行為です。これを堂々とやっていたのが北九州市でした。
もう一つの手口は、保護開始後、辞退届を強要することです。「あなたは働けるでしょう」といって、重い病気の方からも「自主的な辞退」という形で保護を打ち切ってきました。
こうした中で悲劇が続発しました。昨年七月、五十代の男性が「おにぎりが食べたい」という遺書を残して餓死するという痛ましい事件が起きました。しかし、事件のあと、北橋市長は市の手続きに「基本的に問題はなかった」と言い放ちました。さらに事件のあと、「オール与党」は市議会でなんといったか。自民党議員の発言を読み上げましょう。「当局の努力には本当に頭が下がる。最大限の評価をさせていただきたい。本市の生活保護行政に対して批判的なマスコミ報道が展開されており、非常に残念」「市として何か反論することがあるのではないか」。反省のひとかけらもない。
しかし、ここでも一歩動きました。全国の学者、弁護士、市民団体、地元関係団体と共産党が共同して改善を求める運動が大きく広がり、市当局に「水際作戦」「保護辞退の届け出」の過ちを認めさせ、生活保護の「数値目標を撤廃する」と答弁させました。(拍手)
正常化に向けた第一歩を踏み出した。生活保護行政の無法を一掃するまで頑張り抜きたいと思います。
市民要求実現のために市民との共同で市政を動かす
第二は、市民の要求実現のために、市民との共同で市政を動かしてきた党であるということです。
小中学校の教室暖房は党市議団が三十年以上前から提案し、一貫して取り組んできた運動です。草の根の運動と共同して、議員団全員で、学校の温度調査に取り組みました。四分の三の学校で、始業前の温度が、文科省が暖房を必要とすると決めた「一〇度以下」より寒かった。一つひとつの事実、道理で、当局を追い詰めていきました。
市議会で、教室暖房に取り組んだ質問は、十一年間で共産党は三十九回。公明党が五回、社民党が五回、新しい風が一回。全部の党あわせて五十回のうち三十九回が共産党です。公明党など他の党の質問は市長が「暖房検討委員会を設置する」といいだしてからです。
小学校は二〇〇〇年から、中学校は今月一日から市内六十三のすべてで教室暖房が始まりました。(拍手)
三十五人学級の段階的な実施、子ども医療費の就学前までの無料化などの実現も、市民の運動との共同の成果です。
どんな要求も草の根の運動と手をつないで頑張る。繰り返し粘り強く追求し、市政を動かしてきたのが十人の議員団です。(大きな拍手)
巨大開発の無駄づかいに正面から切り込む
第三に、巨大開発の無駄づかいに正面から切り込めるのは共産党だけだということです。「無駄づかい病」は市長がかわっても、いっこうに治っていません。二つの症状が逆に悪化しています。
大型開発の失敗――「ツケ回し病」がつづく
一つの症状は、失敗した巨大開発のツケを市民におしつける「ツケ回し病」がつづいていることです。
小倉駅の北口に「AIM(アジア太平洋インポートマート)」という建物があります。「市営ゴーストビル」と呼ばれていました。新市長になっても、毎年十億円もの税金投入をまだ続けています。
「ひびきコンテナターミナル」もわずか二年で経営破たん。ここには四十億円もの税金をつぎ込んで、大型クレーン、管理事務所、守衛所まで買いとっている。破たんのツケを平気で市民に回しています。
市長がかわっても、税金投入が止まらないどころか、むしろ拡大している。「ツケ回し」が始まったのは四年前の予算からですが、その市議会で、道理のなさを正面から追及したのは共産党だけ。市当局を叱咤(しった)激励して税金投入のアクセルを踏んできたのは「オール与党」でした。
空港アクセス鉄道、第二関門橋――ひどすぎる「無謀開発病」
もう一つは、採算の見通しのまったくない新たな巨大開発に見境もなく乗り出す「無謀開発病」です。
たとえば、小倉駅と北九州空港をむすぶ「空港アクセス鉄道」です。市は、「小倉駅と空港を鉄道で直結すれば空港の利用が増える」と言います。しかし空港の乗客数から見ても、どう計算しても採算は取れません。そんなものに、六百億円から九百六十億円も投入しようという。「需要があるから物をつくる」ならわかりますが、「物をつくれば需要が生まれる」というのは、全国どこでも共通した逆立ちした「ゼネコン病」の症状です。この計画は、きっぱり中止させましょう。(拍手)
もっと驚くのは「第二関門橋」です。仁比聡平参院議員をはじめとした国会議員団の連携追及で、政府ですら調査の中止を決めた六つの海峡横断道路の一つです。ところが、あきらめないのが市議会の「オール与党」です。もう一本かけたくてしょうがない。
しかし、関門海峡には既に橋がかかっています。トンネルもあります。トンネルと橋で、交通容量は九万台余、利用は六万四千台程度ですから、容量は十分あるのです。共産党は、「第二関門橋を造らなくても、交通量の余裕のある関門橋の料金を引き下げて関門橋を利用すれば、関門トンネルの渋滞は解消できる」と言っています。(「そうだ」の声、拍手)
いまの市長は、「箱ものはやめる」と言って当選しましたが、さっぱり無駄づかいが治らない。「オール与党」が市議会で市長に促進のハッパをかけているからです。アクセス鉄道については、建設促進を求める意見書を自民、民主、公明、社民であげています。自民議員が「促進」せよというなかで、市長は「しっかりとりくみます」というわけです。「第二関門橋」も、自民、民主、公明、社民でそろって推進の「議員連盟」をつくって旗振りをしています。七月には、上京して国交相に陳情しています。
無駄づかいなくし、 福祉と暮らし最優先の市政を
こんな無駄づかいで、借金をつくって、その借金が市民のみなさんの暮らしを押しつぶしている。生活保護を押しつぶし、国保証を取り上げ、暮らしに悲鳴をあげさせているのに、まだ懲りていないのか。懲りていないのならば、選挙で審判をくだすしかありません。(拍手)
巨大開発の無駄づかいに正面から切り込めるのは、日本共産党だけです。門司・白野江人工島建設――あの「トンネルを抜けると海だった」という無駄な計画を追及し、二千億円の無駄づかいをやめさせたのも、市民の運動と共産党の共同の頑張りの成果でした。
無駄づかいをなくし、福祉と暮らし最優先の市政を――この声は、どうか日本共産党にたくしてください。(大きな拍手)