2009年1月9日(金)「しんぶん赤旗」
全国首長あて「 アピール」に反響
垣根越え9条守ろう
宮城の「首長九条の会」が発送
二〇〇八年二月に発足した宮城県の「憲法九条を守る首長の会」(川井貞一会長)。全国の首長千八百人に発送した「アピール」に反響が集まっています。(林信誠)
「憲法九条の『改憲』こそ、市町村住民の安全・安心を脅かす最たるものであり、断固としてこの動きを阻止し、憲法九条を守らなければならない」―。こううたいあげたアピールを起草したのは、地元紙「河北新報」が「保守系実力者」と呼ぶうちの一人、鹿野文永・元鹿島台町長(元全国町村会副会長)です。
元「軍国少年」
鹿野氏は〇一年四月に仙台市内で開かれた衆院憲法調査会の公聴会で、町長としてこう陳述しました―。
「私は終戦を十歳の夏に経験し、戦後の変わりはてた日本の姿は、私の心に驚きと悲しみと失望をもたらしていました。このようなとき、憲法との出会いは、私にとってまさに暗夜に光明を見いだした思いであり、その感動はいまも鮮明に記憶からよみがえってまいります」「私は日本国憲法の堅持を主張します」
同氏の主張は、全国紙や地方紙で報じられ、「みやぎ憲法九条の会」発足のために呼びかけ人を募っていた河相一成東北大名誉教授から声がかかりました。
かつての軍国少年で、「憲法に関してそういうことをやるとは夢にも思わなかった」という鹿野氏ですが、町村合併による町長失職後の就任を条件に、呼びかけ人を引き受けました。「森喜朗首相の『神の国』発言もあり、改憲への危機感があった」と当時を振り返ります。
「みやぎ憲法九条の会」の呼びかけ人には、鹿野氏や川井貞一元白石市長、松村行衛元七ケ宿町長、森久一元山元町長らも名を連ねました。四人は、「元首長としてできることは?」と話し合い、県内の首長・元首長に憲法九条を守る「アピール」を送り、「首長の会」結成への賛同を募ろうと決めたのです。
数十の賛同が
鹿野氏がアピール草案を書き上げたのが〇七年四月。議論の結果、一つの大原則「政党政派にとらわれず」を冒頭に掲げました。これでさまざまな垣根を取り払い、「一人の百歩より百人の一歩」を合言葉に、「憲法九条を守り抜くという壮大な目標」に向けて歩み出すことを確認しました。
同年九月、県内の首長・元首長にアピールを送ったところ、十四人の元首長が賛同し、〇八年二月に「首長の会」発足を発表。五月には全国の首長にアピールを発送しました。
千八百人に送った「アピール」に対し、全国の現職首長十数人から文書で賛同が寄せられました。「まだ実名や内容を発表する段階ではないが、ある県の知事からもコメントをいただいた。首長が憲法という政治問題で世論を誘導したり押し付けたりするのは避けるべきだという“哲学”をもつ人も多いし、それを理解してあげなければならないと思う。それでも二十人近い現職首長の賛同には、九条を変えてはいけないという世論の大きな底流を感じる」と鹿野氏は語ります。
電話などによる反応を含めると、すでに数十の賛同が寄せられています。
東北6県から
「首長の会」では当面、東北六県の元首長に呼びかけ、交流会の開催を視野に運動を展開する方針です。鹿野氏は過去に培ったあらゆる人脈を生かそうとしています。
「首長経験者には改憲賛成の方もいる。でも、『アピールに賛同しそうな人はいないか』と声をかければ、『あの方に相談してみたら?』とアドバイスしてもらえるはず。そうやって一人ひとり掘り起こしていけば、会のネットワークを東北全体に広げることができる」
鹿野氏はいいます。「議会で共産党にたたかれたこともあるが、過去の恩讐(おんしゅう)を乗り越えてでもとりくむべき大義がこの運動にはある」
「宮城では吉野作造らが自由民権運動を進めた。そういう歴史は全国にあるので、どの県でも『首長の会』が生まれる条件はある」
「保守系」首長らの「憲法九条を守る首長の会」は、新たな「百人の一歩」を踏み出そうとしています。
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