2009年4月4日(土)「しんぶん赤旗」
未来社会を社会主義・共産主義と呼ぶのは?
〈問い〉 未来社会を「社会主義・共産主義」と呼ぶようになったのは、なぜですか?(東京・一読者)
〈答え〉 日本共産党は、第23回党大会(2004年)の綱領改定にあたって、科学的社会主義の未来社会論について、より根源的な理論的探求をすすめ、レーニンによる定説を再検討しました。
日本共産党は、資本主義をのりこえた未来社会の低い段階を「社会主義社会」とし、高い段階を「共産主義社会」とする2段階発展論の見方をやめました。科学的社会主義の学説をうちたてたマルクス、エンゲルスは著作で、この2つの用語のどちらも未来社会そのもの、最初の段階から高度に発展した段階までの全段階を包括的に表す言葉として使っています。2つの発展段階を表現したものと意義づけたのは、レーニンの『国家と革命』以後です。日本共産党は、レーニンの区別に根拠がないことを明らかにした上で、綱領では、「社会主義・共産主義の社会」という用語を使うことにしました。
レーニン以来の定説では、未来社会での生産物の分配は、「社会主義社会」の段階は「労働に応じて受け取る」、「共産主義社会」の段階は「必要に応じて受け取る」という原則にもとづくとされ、この分配原則の変更が、未来社会の2つの段階を区分する最大の標識だとされていました。こうなると、「必要に応じて受け取る」ことが可能な状態にまで発展することが、未来社会建設の究極の目標であるかのように扱われてきます。マルクスは未来社会の展望について、人類の飛躍的な壮大な発展の時代としてとらえており、分配中心の未来社会論こそは、最も厳しく戒めたものでした。
マルクスの未来社会論は、これまで本格的に研究されないできました。過去に存在した旧ソ連を理由に、ソ連という「社会主義」の現実があるのに、いまさらマルクスの古い文献にもどる必要はないという考え、またレーニンが『国家と革命』で与えたマルクス解釈が絶対化されてしまって、この大事な分野のマルクス研究を妨げてきたからです。(満)
〔2009・4・4(土)〕