2009年7月29日(水)「しんぶん赤旗」
憲法制定にいたる時期の政党状況は?
〈問い〉憲法制定時に「主権在民」を主張した政党は日本共産党だけだと聞きました。当時の政党の主張は?(東京・一読者)
〈答え〉日本共産党は1945年10月、治安維持法の廃止と政治犯の釈放によって公然とした活動を開始しました。そして同年11月には、いち早く「新憲法の骨子」を発表しました。この提案は「主権は人民にある」と主権在民を明記し、「民主議会は主権を管理する。民主議会は十八歳以上の男女の選挙権・被選挙権の基礎に立つ」「政府は民主議会に責任を負ふ」「人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以(もっ)て保障」するなど、普通選挙権や議会制民主主義、基本的人権の保障といった、戦後日本の大事な原則を先どりしたものでした。
また憲法制定議会では、主権在民の明記を求める主張をつらぬき、46年6月に「日本共産党憲法草案」を発表しました。
この時期には、戦争中に自ら解散して大政翼賛会に合流していた政党の再編と結成もすすみました。45年11月には、戦前の社会大衆党の流れから日本社会党が生まれ、政友会や民政党という保守政党の流れから日本自由党や日本進歩党が生まれました。日本自由党は46年1月、「憲法改正要綱」を発表しましたが、「統治権の主体は日本国家なり」と主権の所在をあいまいにし、「天皇は統治権の総攬(そうらん)者なり」「天皇は万世一系なり」とのべるなど、戦前の天皇主権の考えをひきついでいました。
日本進歩党が46年2月に発表した「憲法改正問題」も、「天皇は臣民の輔翼(ほよく)に依(よ)り憲法の条規に従ひ統治権を行ふ」とし、天皇主権の考えを戦後の体制にもちこもうとしていました。
日本社会党は46年2月に「新憲法要綱」を発表しましたが、中心部分は「主権は国家(天皇を含む国民協同体)に在り」「統治権は之を分割し、主要部を議会に、一部を天皇に帰属せしめ、天皇制を存置す」として、主権を天皇と議会に分割してもたせ、主権在民の原則にまったくふれないものでした。
主権在民の原則を掲げて新憲法制定にあたろうとした政党は、日本共産党だけでした。(土)
〔2009・7・29(水)〕