2009年9月9日(水)「しんぶん赤旗」
日本共産党が命がけで反戦を貫けたのは?
〈問い〉戦前の天皇制のもと、日本共産党は命がけで反戦・平和を貫いたと聞きました。共産党だけが頑張り通せたのはなぜですか。(兵庫・一読者)
〈答え〉戦前の日本では、天皇が統治権のすべてを握り、警察や軍隊は自由と民主主義を求める国民の運動に凶暴な迫害を加えていました。
教育の場では、天皇は絶対で、アジア・太平洋での戦争は正しいものと、繰り返し教え込まれました。
戦争が激しくなると、国民生活を戦争への協力に「総動員」する体制がつくられ、日本共産党以外のすべての政党が解散して大政翼賛会へと合流しました。当時、戦争に反対することは、天皇制に正面から挑む覚悟がなければできないことでした。
日本共産党は、この時代に、貧困と抑圧から国民を解放するうえでの最大の障害が天皇絶対の政治体制だと見抜き、主権在民の民主政治を実現するために命がけでたたかいました。そして、科学的社会主義の理論に立った「どの民族も自分たちで国づくりをおこなう権利をもっている」という確信にもとづいて、戦争と領土拡張に反対し、侵略と植民地支配に苦しんでいたアジア諸国の人々との友好を広げるために力をつくしました。
警察の弾圧で命を落とした党員も少なくありませんが、これに屈せず侵略戦争反対を貫いた党員が存在したことは、日本の戦前史の誇りです。戦前・戦後の党の指導者だった宮本顕治氏は、不当な迫害に対してたたかいぬいた小林多喜二の生き方を「もっとも気高い人間性の発揮」だと述べています。
近年、アジアの国々を訪問した日本共産党の代表と、「戦争に反対した党」だと知った現地の人々との間に、心の通う友情が生まれています。反戦・平和を貫いた党の歴史は、21世紀の日本とアジア諸国との友好の大きな土台になるものです。
日本共産党は、戦争を礼賛する歴史教科書の問題や政治家の靖国神社への参拝など、過去の侵略戦争を美化する政治をおおもとから転換し、歴史を偽造する逆流の根を絶つために力をつくしています。(石)
〔2009・9・9(水)〕