2009年11月2日(月)「しんぶん赤旗」
雇用破壊 現場から
労働相談で一時の仕事得たが…
期限年末 焦る職探し
富士重の企業城下町
群馬 太田
自動車関連工場が立ち並ぶ富士重工の企業城下町、群馬県太田市。今年1月、契約期間を残して突然、解雇された1人の派遣労働者のその後を追いました。(菅野尚夫)
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「ぶち切れそうです」。富士重工の自動車のマフラーを造る下請け会社で派遣労働者として働いていた坂東一彦さん(44)=仮名=は、突然解雇された悔しい思いをそう言い表しました。
雇用契約は、昨年5月から1年間。「雇用保険があるからそれでしのいでほしい。寮は2月末まで居ていい」。雇用契約期間を3カ月残しての派遣切り通告です。
2月末に寮を出た後は、友人や知人宅を転々としました。90日分の失業手当も4月で切れて、所持金も底を突きました。
そんなときでした。ハローワークの窓口で6月28日開催の「おおた派遣村」(弁護士、医師、宗教者の呼びかけによる実行委員会主催)のビラを見つけました。
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「まさか自分がお世話になるとは思いもよらなかった」と、坂東さん。昨年12月の東京・日比谷公園の「年越し派遣村」のことを思い出して相談に訪れました。
坂東さんの相談に対応したのが実行委員を務めた日本共産党の水野正己市議でした。同市議の支援を受けて坂東さんは、緊急雇用対策として行っている文化財倉庫の整理の仕事に就くことができました。しかし雇用期間は、12月25日までです。
「交通費往復1880円かけて東京のハローワークまで出かけて仕事探しをしています。窓口では『おおむね35歳までならあるけど』と、暗に違法な年齢制限があることを告げられて面接に行くことさえ難しい雰囲気です。このままでは年末には路頭に迷います」と、危機感を募らせます。
派遣村に相談殺到 支援広がる
「太田でも派遣村を開催しよう」という話が持ち上がったのは、群馬県内の失業者の半数が「ハローワーク太田」管内(太田市、大泉町)で占めていたことからでした。
太田市にある富士重工群馬製作所は、昨年12月から今年3月にかけて千数百人の期間工や派遣労働者を「解雇」しました。
雇用破壊にあった労働者の群れが街にあふれ、「派遣村」を開いた6月28日には、125人が相談に訪れました。その後も相談者は続き、10月27日現在で累計159人になりました。
75人が生活保護について相談して、そのうち40人が生活保護を申請しました。
「派遣村がなかったなら窓口で追い返されていたと思います。雇い止めや派遣切りにあった労働者が生活保護による救済を視野に入れて活動して40人の申請を認めさせたのは画期的です」と、水野市議はいいます。
東京都足立区出身の坂東さんは、高校を卒業して10年間、町工場の正社員として働いてきました。金属加工の仕事でした。
「違った仕事をしてみたい」。「大きな会社の職場」を探すために退職しました。その後、十数年間は、アルバイト、日雇い派遣、登録型派遣など非正規労働者として働いてきました。
坂東さんは「正社員の仕事に就くことはかなわず、こんなはずじゃなかった」と、転職を悔やんでいます。「結婚して家族をもつことを夢見た女性との出会いもありました。派遣じゃ結婚を切り出すこともできませんでした」
親身になって相談にのる水野市議に感謝する坂東さん。「遠い存在だった共産党でしたが、先の総選挙では比例で初めて共産党に入れました。アドバイスを受けてたち直らせてくれました。いろんな人と出会えたし、これを財産に雇用破壊に立ち向かいます」
年齢制限の禁止 雇用対策法により、事業主は、労働者の募集・採用にあたって年齢制限を設けることが原則として禁止されています。違反した場合、公共職業安定所から助言、指導、勧告などを受け、求人の受理を拒否される場合があります。