2010年1月23日(土)「しんぶん赤旗」

論戦ハイライト

普天間基地問題

軍の論理より民の尊厳を

衆院予算委 赤嶺議員の質問


 22日の衆院予算委員会で質問にたった日本共産党の赤嶺政賢議員。米軍普天間基地問題をめぐり、「悲劇のない、平和な沖縄を返してほしい」という県民の魂の叫びを背に行った質問は、議場を圧倒しました。

沖縄の叫び 議場圧倒

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(写真)資料を掲げて質問する赤嶺政賢議員=22日、衆院予算委

 先の戦争で唯一、住民を巻き込んだ地上戦を経験した沖縄。赤嶺氏は、上陸した米軍が住民を収容所に強制的に入れ、その間に軍用地・民有地問わず接収し基地を建設し、住民が収容所から帰ると、鉄条網が張られ、自分たちの土地が基地に変わった事実をつきつけました。

 「普天間基地がつくられた場所には、民家も役所も郵便局も墓地もあり、各集落には黒糖製造所もあった」と赤嶺氏。さらに、「サンフランシスコ条約が締結された1951年以降も、米軍は銃剣とブルドーザーで住民を強制的に排除し、基地をさらに拡張した」―。これが沖縄の歴史です。

 赤嶺議員は、自らが生まれた那覇市小禄(おろく)地区についても、「水道タンクをつくるといって実際に設置されたのはガソリンタンクだった。米軍は、大勢の武装米兵、装甲車、トラックで押し寄せ、座り込む住民を銃剣で殴り、軍靴でけり、頭から毛布をかぶせ追放していった」と述べ、「沖縄の米軍基地が不法・不当な土地取り上げによってつくられたという認識はあるのか」と迫りました。

 鳩山首相は、「普天間基地は戦争が終わらないうちに米軍が接収し、その上につくったもの。県民は早く返してもらいたいと思っておられると思う」と答弁しました。

 赤嶺氏は、県民の耐え難い苦しみについて、自身が小学校に入学した時に起きた、6歳の少女が嘉手納基地で米兵に暴行され殺されゴミ捨て場に捨てられた“由美子ちゃん事件”、同6年生の時に起きた石川市(当時)宮森小学校に戦闘機が墜落し児童を含む17人が死亡した宮森小事件など、米軍による数々の事件・事故の事実を、自らの生い立ちに重ねて紹介しました。

 赤嶺 米軍による直接統治下で県民は虫けらのように扱われてきた。県民は忘れられない悲劇を胸に秘め基地問題を考えている。

 首相 あまりにも多くの悲劇が米軍基地により起きている現実の話をうかがった。このようなことが決して繰り返されないような状況をつくっていかなければならない。米軍の存在を必要とするなか、どのような解決があるのか知恵を絞らなければいけない。

 ここで赤嶺氏は、「琉球住民赤嶺政賢は、日本へ旅行するものであることを証明する 琉球列島高等弁務官」と印字された、復帰前に使っていた自身のパスポート(パネルも)を掲げ、本土復帰に込めた沖縄県民の思いを語りました。

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(写真)赤嶺政賢衆院議員が示した自身のパスポート

 「沖縄は外国だった。すべては軍事が優先され、県民は無権利状態だった。だから平和憲法がある日本に復帰したら、当然米軍基地はなくなる、少なくとも縮小されると思った」

 しかし本土復帰から38年、基地をめぐる沖縄の現実は何も変わっていません。

 赤嶺 県民は95年の米兵少女暴行事件で由美子ちゃん事件を、沖縄国際大への米軍ヘリ墜落で宮森小事件を思い出した。復帰されても不条理な状況が繰り返されている。政権が代わったいまこそ、約束どおり、米軍基地の縮小・撤去に努力すべきではないのか。

 首相 大変なつらさ、思いをしんしゃくしていくなかで、基地のあり方、将来的に米軍の再編、安保のあり方を考えるべきかというなかで、結論を見いだしていきたい。

 この後、赤嶺氏は具体的に、沖縄の基地問題を追及していきます。

「代替施設なき返還」

首相は野党時代の主張貫け

 普天間「移設先」として嘉手納、伊江島、下地島などを挙げ、「県内たらい回し」を模索してきた鳩山政権。赤嶺氏は、「鳩山内閣は沖縄の基地問題の深刻さを理解していない」と厳しく批判しました。

 極東最大の空軍基地と言われる米軍嘉手納基地では、昼夜分かたぬ爆音や戦闘機の墜落・事故が相次いでいます。岡田克也外相も「昨年沖縄を訪問した際、嘉手納基地を抱える2町1市の長から、嘉手納への(普天間基地)移転は反対だと言われた」と認めざるを得ませんでした。

 下地島を抱える宮古島市、伊江村の両議会も相次いで普天間「移設」に反対する決議を可決しています。

 赤嶺氏は、「県内のどこにも新たな基地をつくる場所はない」と述べ、「移設先探しは必ず行き詰まる。だから普天間は13年間、動かなかった」と指摘。普天間基地問題の解決は無条件撤去しかないと力を込めました。

 ところが岡田外相は、「沖縄を訪れた際、確かに基地が多いと感じたが、米軍の抑止力で日本の安全が保たれていると感じた。普天間基地移設について、沖縄県外・県内ゼロベースで検討している。日本からすべてなくしてしまうと抑止力が失われてしまう」と答弁。“抑止力”を口実に、今後も沖縄に基地をしばりつける可能性を排除しませんでした。

 赤嶺氏の声が議場を震わせました。「沖縄の広大な米軍基地を見て、これが日本を守る抑止力と感じるのか。基地のもとで、虫けらのように扱われてきた県民に思いをはせるべきではないか。抑止力、抑止力というが、これが65年間、沖縄に基地をおしつけてきた論理だ。軍の論理より民の尊厳を大切にすべきだ」

 赤嶺氏はさらに、鳩山首相が野党時代の衆院本会議(2005年7月26日)で「普天間基地の代替施設なき返還をアメリカに求めるべきだ」と求めていたことを指摘。「政権についた今こそ、この主張を実行に移すべきではないか」と迫りました。

 首相 かつてはそのような思いを持っていた。しかし、現実の中での米軍の存在があり、抑止力のため、日本のどこかに存在しないといけない。

 赤嶺 首相は沖縄県民の気持ちも大事、アメリカも大事というが、これが両立できないのなら、主権国家の首相として県民の思いを優先するべきだ。

 赤嶺氏は、1997年の名護市民投票以来の「普天間基地の即時撤去、新基地建設と県内移設反対」という総意を正面から受け止め、対米交渉を始めるよう求めました。



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