2010年2月10日(水)「しんぶん赤旗」
「建国記念の日」についてどう考える?
〈問い〉日本共産党は「建国記念の日」について、非科学的な歴史観に立ったものだと反対しています。もう少し詳しく教えてください。(千葉・一読者)
〈答え〉「建国記念の日」は、もともと天皇を神格化し、その政治を美化した戦前の「紀元節」を復活させたものです。
「紀元節」は、初代天皇とされる神武(じんむ)天皇が大和(現在の奈良県)の橿原(かしはら)宮で「辛酉(かのととり)年春正月」の1日に即位したとする『日本書紀』の記述にもとづき、明治政府が1873年、その即位日を太陽暦に換算して、西暦の紀元前660年2月11日とはじきだして定めたものです。
しかし、紀元前7世紀の日本は縄文時代であり、文字や暦も知られていません。明治政府が2月11日を「紀元節」と定めたのは、神の子孫である神武天皇の即位から日本の歴史が始まり、その子孫による統治は永遠に変わらないとする天皇中心の歴史観を国民に植えつけるためでした。
学問的には、戦前から、歴史学者の那珂通世(なかみちよ)(1851〜1908年)によって、神武天皇即位を『日本書紀』が紀元前660年の「辛酉年」としたのは、中国古代からの予言思想の一つである1260年ごとに政治上の大変革が起きるという「辛酉(しんゆう)革命」説にもとづき、推古9年(601年)から1260年前として算定されたとする見解が提起されてきました。これは『日本書紀』の神武天皇即位の記述が後世のつくりごとであることを、年代論の面から証明したものでした。
また、歴史学者の津田左右吉(つだそうきち)(1873〜1961年)は、神武天皇が架空の人物であり、九州から「東征」して橿原宮で即位したという物語も歴史上の事実ではなく、後世(おそらく6世紀)につくられたものであることを詳しく立証しました。
このように、2月11日を「建国記念の日」とすることには、なんの科学的歴史的根拠もありません。それどころか、主権在君を否定した憲法の民主主義の原則にそむくものです。思想・学問の自由を守る立場から、日本共産党はこれに反対しています。(土)
〔2010・2・10(水)〕