2010年7月6日(火)「しんぶん赤旗」
教科書無償化は公明党の成果なの?
〈問い〉知人から「義務教育の教科書無償化は公明党の成果だ」と言われたのですが、本当ですか?
(答え)公明党は以前からそうした宣伝をしていますが、その話には無理があります。
公明党の「根拠」は、1963年3月13日の参議院本会議での公明会(公明党の前身)の柏原ヤス参議院議員の質問です。教科書無償の計画について質問し、池田勇人首相(当時)が5カ年で全学年を無償にすると答弁しました。公明党はこの質問を無償化完全実施の「決定打」としています(2010年6月5日付「公明新聞」)。
しかし、教科書無償は前年1962年に成立した「義務教育教科書無償法」ですでに決まっていました。同法は義務教育教科書を無償とし、その具体化は「別の法律」で定めるとしました。要するに、無償化完全実施じたいは、公明会質問の一年前に法律で決まっていたのです。
公明の質問当時、小学校3年まで無償化が予算化され、残りの計画が課題でした。すでに文部大臣は社会党(当時)の質問に「5年以内に完了したい」と答弁しますが(63年2月2日)、大蔵省は財政難を理由に明言しませんでした。
そうしたもとで公明会の質問がおこなわれました。「朝日」が「文部省は予算上では(昭和)37年度を初年度とし、41年度を最終年度とする5カ年計画で小中学校全学年の教科書を無償にする方針でおり、荒木文相はその方針を衆議院文教委などで明らかにしていたが、首相が政府全体で言明したのははじめて」と報じました(63年3月13日付夕刊)。
以上のように、公明会が質問したのは事実ですが、「無償化は公明党の成果」と言うのは無理があります。
そもそも教科書無償化は、長年の国民の粘り強い運動の成果です。1957年の日本母親大会で「義務教育教科書無償」が決議され、各地で運動が広がり、61年には高知市の長浜地区で無償化を実現しました。こうした運動の広がりにおされて、自民党政府も無償化を言わざるをえなくなったものです。
しかも、公明会の質問には大きな問題がありました。法案は無償化と引き替えに教科書採択制度の改悪を含んでいました。現在も続く、採択区ごとの教育委員会による採択制度です。教科書無償化をすすめていた人々はこぞって「教科書国家統制法案」反対の声をあげました。ところが柏原議員は採択区を都道府県に拡大せよと一層の改悪を主張して法案に賛成したのです。
(2010・7・6)