2011年5月14日(土)「しんぶん赤旗」

「科学の目」で原発災害を考える

社会科学研究所所長 不破哲三


 5月10日、「古典教室」でおこなった講義のうち、原発災害に関する部分を整理・補筆したものです。


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(写真)古典教室で原発災害の問題を語る不破氏=10日、党本部

 今日は古典教室の第4回。第3回が2月1日で、それから3カ月と9日たちました。この間に、東日本大震災といっせい地方選挙という二つの大問題がありました。最初に、震災の犠牲者への追悼の気持ちとともに、二つの大問題に直面してがんばってこられた全国のみなさんに、感謝と激励のあいさつを送りたいと思います。(拍手)

 今日の予定は『経済学批判・序言』ですが、いきなり「あのマルクスは…」という感じにはならないので、この3カ月間を経ての古典教室らしい受け止め方として、補講的なテーマを予定しました。それは、第1課、『賃金、価格および利潤』で学んだことに照らして、今回の大震災、とくに福島の原発災害をどう考えるか、この問題を取り上げたいと思います。

 第1課で学習したのは、資本主義とはどんな社会か、そこで労働者はどういう地位にあるのか、という問題でした。その学習のかなめの一つは、「利潤第一主義」が資本主義社会の本質的な特徴だということ、何をやるときにも自分の会社のもうけがどうなるかが第一の優先課題になる、それが資本主義だということでした。

 2番目は、労働者や国民がその社会で自分たちの生活と権利を守るうえで、「社会的なバリケード」をたたかいとることが必要だということです。マルクスはそのことを150年も前の段階からいっていたのですが、このバリケードがいま世界各国で大いに広がり、それが強くなっている国も出てきています。ヨーロッパでは、国民の生活と権利を守るルールが広く勝ち取られている国が多く、「ルールある経済社会」と呼ばれます。そういう状況と比べると、日本は、このルール、生活と権利を守るバリケードが極端に弱い国です。このことを、日本共産党の綱領では「ルールなき資本主義」と呼んでいます。

 この二つのことが、第1課で学んだ大事な点でした。

 今度の原発災害では、この二つの大問題、資本主義社会の根本である利潤第一主義がどんなに有害なものかということと、原発災害に立ち向かううえでも、わが日本がいかに「ルールのない国」か、この二つのことが非常に鮮明に、しかも国民の命にかかわる形で現れました。

 そういう意味で、第1課の時事的な補講として、原発災害の問題を話したいと思うのです。

原子力の利用をめぐる二つの不幸

 まず最初に、原子力発電で利用している核エネルギーとは何か。その“そもそも”論になりますが、人類が地球上に生まれて、火というものを発見したのは、大事件でした。それまで火というものを、人間は山火事で追われたりするときしか経験しなかったけれども、それを自分でつくって使いこなし、生活を豊かにする道具に変えた。これは、100万年以上も前のことですが、人類史上の大事件でした。

 ところが、1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから。

 ただ、このエネルギーは巨大であると同時に、強烈な放射能がつきものでした。これに不用意に手をつけたら、強烈な放射能をどうするか、その手段・方法をきちんと見つけ出さない限り、このエネルギーが放射能を野放しにしたまま解き放たれたら巨大な災害が起きます。だからこのエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。そのことは、最初からわかっていたのです。

最初の実用化が核兵器だった

 ところが、不幸なことが二つありました。一つは第2次世界大戦です。ヒトラー・ドイツが、最初に核エネルギーを使って爆弾ができないかという研究を始めたのです。そのことを知ったまじめな科学者たち、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインもその一人でしたが、ドイツが先に開発したらたいへんなことになる、それに対抗するためにアメリカが先に開発する必要があると、ルーズベルト米大統領に進言し、アメリカが多くの科学者を結集して原子爆弾開発の研究を始めたのです。その途中で、ことの危険性に気づいて、開発の続行に反対した科学者も少なからずいました(アインシュタインもあとで自己批判しました)。しかし、ことは進みました。

 一番危ないと思っていたドイツが、原爆の製造に成功しないまま敗北して、1945年5月、降伏しました。原爆製造の最初の動機は消滅したのです。ところが、アメリカは研究を続けて、1945年7月、最初の原爆実験に成功しました。

 そうなると、ヒトラー・ドイツはなくなったけれども、せっかくつくった核兵器です。世界にその威力を示さないまま、戦争が終わったのでは、戦後世界でアメリカの威力を発揮できない。そういう政治的な打算から、もう日本の敗北必至という情勢の中で、その日本に原爆を落とすことを計画しました。つくった原爆は2種類ありましたから、まずウラン型を広島に落とし(8月6日)、次にプルトニウム型を長崎に落としたのです(8月9日)。

 アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるために必要だったといっていますが、実はなによりも戦後政治のために必要なことだったのでした。その犠牲になったのが広島・長崎だということは、日本の国民として肝に銘じておく必要があります。

 ここに、人類の核エネルギーの利用の第一の不幸がありました。

動力炉も戦争目的で開発された

 第二の不幸は何か。人間が核爆発という形で原子力エネルギーを使いだした。しかし、爆発という方法では、経済に利用できませんから、もっと温和なやり方で核を燃やして、経済的なエネルギーとして使えるようにしたいというのは、当然の願望になります。これもたいへんな危険を伴う問題で、本来だったら、災害の危険が絶対にない、放射能の心配などする必要がない、そこまで研究を尽くして、はじめて実用化するというのが、当たり前の道筋のはずです。ところが、この開発もまた、戦争と結びついて始まってしまったのでした。

 アメリカの海軍が、潜水艦の動力にこれを使おうということで、開発の先頭に立ったのです。原子炉を潜水艦に積んでこれを動力にすることができたら、いままでの潜水艦よりも、ものすごく長い航続距離をもった潜水艦になって、地球上の海を走り回ることができる。その原子炉(動力炉)を開発したのです。超スピードの開発ぶりでした。原爆の開発成功が1945年でした。それから9年たった54年には、潜水艦用動力炉を積んだ原子力潜水艦の第1号・ノーチラス号が進水して、早くも活動を始めたのです。もともと戦争のための開発ですから、安全などは二の次、三の次でした。こうして軍用に開発した原子炉を、すぐ民間に転用し始めたのです。そのために、安全性を十分に考えないままあわててつくった原子炉の弱点が、いまの原子力発電には、そのまま残っているのです。

原子力発電は「未完成」で危険な技術

 開発の初期には、いろいろなタイプの原子炉が研究されたようですが、現在では、アメリカ海軍が開発した「軽水炉」という型の原発が、日本でも、全部アメリカから入り込んで使われています。私たちは「未完成の技術」だと呼んでいるのですが、ここには、大きな弱点が二つあります。

 何が「未完成」なのか。

原子炉の構造そのものが「不安定」

 一つは、原子炉の問題です。いまテレビで原発のニュースがあると必ず図解の解説が出てきますが、要するに、原子炉の中でウランの核燃料を燃やすわけです。運転を止める時には、制御棒を挿し込んでウランの核反応を止めるのですが、その状態でも、ウランから生まれた核分裂の生成物は膨大な熱を出し続けます。だからそれを絶えず水で冷やしておく機能が必要なのです。ところが、普段、条件が整っているときなら、そういうコントロールができるけれども、いざというとき、水の供給が止まってしまったら、膨大な熱が出っぱなしになって暴走が始まるのです。そうなると核燃料の熱がたまり、どんどん高温になって、核燃料が壊れ始める。30分もたったら融(と)けだしてばらばらになり、2時間で原子炉がめちゃくちゃになるといわれています。水を止まらないようにしたらいいだろうと思うかもしれないけれども、あらゆる場合を考えて水が止まらないようにするということができないのですね。アメリカのスリーマイル島の原発事故も、操作の誤りから水が止まって起こったことでした。今度の福島の原発も同じように地震と津波の影響で電源が全部失われて水が止まって起こりました。

 やはりこれは、軽水炉がもっている構造上の本質的な弱点、これは難しい言葉でいうと「熱水力学的不安定性」といいますが、その表れなのです。軽水炉による原子力エネルギーの利用は、いざという時の安定性がない、本来なら安全な使用には適さない、そういう段階だということが、スリーマイルおよび福島と、2度の大災害で実証されたということです。

 さらに、原子炉そのものの危険性という点で、いま深く考える必要があるのは、今回の福島の原発災害が、軽水炉という特定の型にとどまらない、より深刻な問題を提起していることです。いま開発されているどんな型の原子炉も、核エネルギーを取り出す過程で、莫大(ばくだい)な“死の灰”を生み出します。どんな事態が起こっても、この大量の“死の灰”を原子炉の内部に絶対かつ完全に閉じこめるという技術を、人間はまだ手に入れていません。軽水炉でいったん暴走が起こったら、それが社会を脅かす非常事態にすぐ結びつくというのも、根底には、この問題があります。福島原発は、五重の防護壁なるものを看板にしていましたが、現実にはたいへんもろいものでした。

 原子炉の技術的な「未完成」を問題にする場合、軽水炉の固有の弱点に加え、ここにさらに大きな問題があることを、いま直視する必要があると思います。

使った核燃料の後始末ができない

 今の原発システムには、技術的にまったく「未完成」で危険だという点で、もうひとつの大きな弱点があります。それは、自分が燃やした燃料の後始末ができないことです。昔はこの言葉は世間にあまり広くは知られていませんでしたが、福島を経験したいまでは、「使用済み核燃料」という言葉をもう毎日のように聞かされているでしょう。

 これは何かというと、原発を運転したら必ず大量に出てくる“死の灰”の塊なのです。原発では、ウランでつくった燃料を3〜4年燃やすと、それ以上は燃やさないで取り出します。しかし、いったん燃やした後の核燃料というのは、大量の放射能を絶えず出し続けるたいへん危険な存在なのです。その放射能を広島型原爆にたとえてみましょう。原爆が落ちた時に“死の灰”が周辺に広く降り、これを浴びたらたいへんだということになりました。100万キロワットの原子力発電所だと、毎日3キログラムのウランを消費して、3キログラムの“死の灰”を残します。それが使用済み核燃料にたまるのです。この原子力発電所で100万キロワットのものが1台動いていたら、毎日広島型原爆の3発分の“死の灰”がたまっている。1年間動いたら広島型原爆1000発分をこす“死の灰”がたまります。ところが、“死の灰”のこういう塊である使用済み核燃料を、始末するシステムをいまだに人間は開発できないでいるのです。

 政府は、70年代から、フランスで開発された再処理工場をつくって、それで処理するからと説明していました。再処理工場でどう処理するかというと、使用済み核燃料のなかから使えるプルトニウムと残りカスとを分けるのです。できたプルトニウムは大変物騒な物質で、長崎型原爆はこれからつくられました。政府は、原発に再利用すると宣伝していますが、この危険性は日本でも世界でも大問題になっています。

 もっと危険なのは、実は残りカスの方にあるのです。残りカスは、もっと強い高レベルの放射能をもつようになっていて、その放射能のなかには、半分に減るまでに何千年、何万年もかかるものもあります。ですから、高レベル放射能の大量の残りカスをどこで始末するか、というのは、だれもまだ答えをもっていないのです。

 今朝、新聞を見ましたら、アメリカと日本が、モンゴルに核廃棄物の処分場をつくる計画を立てて、モンゴル政府と極秘の交渉をしているという報道が大きく出ていました(「毎日」5月9日付)。地下数百メートルの穴を掘るんだと言いますから、使用済み核燃料や高レベルの廃棄物などをそこで冷却管理するといったことを考えているのでしょうが、相手は何万年も放射能を出し続ける危険な代物です。自分の国で始末できないからといって、そんなものを外国の地下に埋めこんで、1万年、2万年の先までだれがその管理に責任を負うというのでしょうか。

 結局、使用済み核燃料の行く先はありませんから、何をやっているかというと、六ケ所村(青森県)の施設に送る以外は、その原発に保存しておくしかない。だから、それぞれの発電所にプールをつくってそこに放り込んでおきます。いま日本に54基の原発がありますが、54基の原発はみな、建屋と敷地にそういうプールを持っています。福島の実例ではっきりしたように、いざという時には、原発だけでなく、使用済み核燃料のプールの一つひとつが核事故の発火点になるのです。

 自分が生み出す核廃棄物の後始末ができないようなエネルギーの利用の仕方が、本当に完成した技術といえるのかどうか。答えはすでに明白だと思います。

 この二つの点で、人間が使いだした原子力エネルギーという物騒なもののこれまでの使い方は、すべて、戦争のためにはいりこんでしまった危険性をもっています。ここに根本問題があるのです。だからいま、世界で原発を利用している国でも、たいていの国は、原発の物騒さをのみこんで、その上でこの危険な相手をどうやって管理するか、ここに力を入れています。ところが、原発を利用している主な国ぐにの中で、その管理の力が、世界で一番足りないのが日本なのです。そこに、もう一つの大問題があるということを、まずご承知願いたいと思います。

日本共産党は最初の段階から安全性抜きの原発建設に反対してきた

 日本で、原子力発電が問題になってきたのは1950年代の中ごろからで、1957年には東海村で研究用の原子炉が初稼働し、1960年代に商業用の発電が始まるのですが、日本共産党は、安全性の保障のない「未完成の技術」のままで原子力発電の道に踏み出すことには、最初からきっぱり反対してきました。

 私たちが、党の綱領を決めたのは1961年7月の第8回党大会でしたが、その綱領草案を決定した大会直前の中央委員会総会で、この問題を討議し、「原子力問題にかんする決議」を採択したのです。その決議は、

 ――「わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、危険をともなう原子力発電所を今ただちに設置しなければならない条件は存在しない」

 ――原発の建設は、「原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである」

 として、日本最初の商業用発電所とされた東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求したものでした。

 それ以来、この問題でのわが党の立場は一貫しているのです。そして、ただ「反対」というだけでなく、国会では、大事な局面ごとに、この問題を取りあげて、原発の持つ危険性とそれを管理・監督する政府の態度の無責任さを、具体的にとりあげてきました。

これまでの国会質問から

 今度の『前衛』6月号には、私が1976年に初めてこの問題を取りあげた時から、最近の吉井英勝議員の質問まで、原子力問題での共産党の国会討論の記録を全部まとめて掲載しました。興味のある方は、それを読んでほしいのですが、論戦をした私自身の実感を言いますと、質問に答える政府側が、原子力の問題をほとんど知らないで済ませていることにあきれ続けた、ということでしょうか。

形だけの審査体制。使用済み核燃料の危険性(1976年)

 最初の1976年1月の質問は、三木内閣の時でした。当時は原発は6カ所に9基、出力の合計は400万キロワットほどでした。そこへ政府が、9年後には4900万キロワットにまで増やすという原発の「高度成長」計画をたてたのです。

 私は、二つの角度から質問しました。一つは、あなたがたはこんな増設計画をすすめているけれども、その原子力発電所の一つ一つが安全かどうかの審査をきちんとやっていると責任もっていえるか、という問題です。政府側の答弁は「十分やっています」ですよ。

 それで、私は、審査の体制とそのやり方を、その当時のアメリカの状況と比べてみたのです。アメリカでは原発の審査や管理にあたる機関に、1900人の技術スタッフがいる。電力会社ではなく、監督する政府の側にそれだけの技術の専門家がいて、原発の設計からどこへ建てるかの立地や運転の状況まで、全部実地に入って点検しています。ところが、日本はどうか。日本に専門の審査官がいるのかと聞くと、「います」と答えるのですが、実態は全員「非常勤」。ふだんは大学にいる先生がたに、審査の時だけ頼む、いわば全部がアルバイト仕事です。だから、審査といっても、設計図をみるだけです。それですませている。そんなことでいいのか、ということをまず聞きました。答えは「今後強化をはかりたい」というだけです。

 2番目に聞いたのは、使用済み核燃料の問題です。ちょうどそのころ、フランスから技術を仕込んで、日本で再処理工場をつくり始めたところでした。私は、あなたがたはいったいどんな危ないものを扱っているか、そのことが分かっているのか、というところから始めました。原子力発電所を動かしている時には核燃料はともかく全部原子炉の中にあって、外には出ない建前になっている。ところが使用済み核燃料の処理ということになると、核燃料が外に出てくるわけです。使用済みの燃料は、熱を出し続けます。キャスクという入れ物にいれますが、熱を出し続けますから、エアコンで冷風を送りながら運ぶ。そういう形で使用済みの核燃料が、原子力発電所から再処理工場まで道路を走りだすじゃないか、再処理をフランスなど外国に頼む時には、船に乗せて海上を遠くフランスまで運ぶ、海難事故にあう危険がある。例えば、海難事故が起きた時、使用済み核燃料を入れたキャスクは、水深何メートルまで大丈夫なのか。こういうことを聞いても答えられないんですね。後で聞いた話ですが、担当者たちが質問の後、あわてて、キャスクの強度を試す大型の実験装置を買い込んで、強度実験をはじめたとのことでした。

 ともかく何をやるにも事故など想定もしない、それぐらい無防備でことにあたるのです。

 実際、今度、福島で災害が起きてみると、使用済み核燃料が大問題になったでしょう。3基の原発が危ないのと同時に、4基の建屋にある核燃料のプールが全部危ない。しかも、使用済みの核燃料だということで、防備が一番薄いのです。

 この質問をしたときに、私は、政府側が、使用済みの核燃料のことなど、ほとんど何も知らないですませていることに驚きました。それから、35年たっても、原発の後始末のこの面では、何の手も打たれていません。だから、原発は、「トイレなきマンション」と言われ続けてきたのです。

スリーマイル事故の教訓もそっちのけ(1980年)

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(写真)北陸・近畿圏の地図を示し原子力発電の安全性について質問する不破哲三書記局長(当時)=1980年2月1日?衆院予算委員会

 2回目の質問は、1980年2月、大平首相の時でした。前の年の79年3月にアメリカのスリーマイルで大事故が起きた。いまの福島に比べれば危険度が2級も軽い事故でしたが、世界で大問題になりました。アメリカは当時、カーターという大統領でしたが、彼は技術畑の出身ということもあって、そこからかなり本格的な教訓を引き出しました。最大の教訓は、“事故の根源は「安全神話」にある、原子力発電所は十分安全だという考えがいつの間にか根をおろしてしまった、これを一掃しなければならない”、ということでした。そして日本に比べれば桁違いの水準にあった安全規制の体制をさらに強化して、そこに3000人の技術スタッフを集中したのです。

 ところが、日本では、私の前の質問から4年たっていましたが、その時なお、安全審査の専門委員はアルバイトのままで、常勤の専門家は1人もいませんでした。

 その時にもう一つ取り上げたのは、アメリカは、スリーマイルの経験から、事故が起きたときの地域住民の安全をどう確保するかという地域的な備えをいよいよ重視しだしたのです。原発で事故が起きたら16キロ以内がまず第一の危険地帯になる、さらに80キロ以内ではこういう対策が必要だと、そのモデルまで示して、原発周辺の事故対策に力を入れていました。日本では、どうかと思って、私は質問前に、当時日本で原発が一番集中していた福井県を訪ねて、原発防災が地域でどうなっているかを調査したのです。

 行ってみて驚いたのは、県でも市でも対策がなにもないんですね。普通だったら東京でも大地震で災害になったら、ここの地域はどこが避難所とか決めるでしょ。そういうものもいっさい用意がない。どうしてかと聞くと、災害といっても、何がどんなふうに起こるか、その時にはどんな対策が必要か、国からも電力会社(関西電力)からもなにも情報がない。だから対策の立てようがない、というのです。政府は何か言っているだろうとさらに聞くと、「こんど原発災害にたいする『緊急助言組織』をつくった。いざという時にはその緊急助言組織の人たちが指導に当たります」と、そこに期待していました。

 私は、東京に帰ってからその名簿を調べて、緊急助言組織に入っている学者さんに会いました。聞くと、顔合わせの会議の招集が1度あっただけで、あとは何の連絡もない、ということでした。まったく名前と形だけの「組織」だということがすぐわかりました。ところが、この組織について、国会で質問すると、政府は「すでに人選も終わって、いざという時には現地に行く体制をとっている」と平気でいいます。

 地域対策がこんなひどい状態になるのは理由があるのです。電力会社がある土地に狙いをつけて、そこに原発をもちこもうという時、原発は「安全」だという大宣伝をする。つまり、「安全神話」を振りまくわけです。だから、事故があったらこうします、なんてことは絶対言わないのです。事故も可能性があるといった話をしたら、そんな原発はいやだってことになりますから。だから電力会社からはいっさいそういうことを言わない。ここでも、「安全神話」のあるところ、災害対策なしということになるのです。

 こういうやり方が、いま、福島で住民を本当にひどい状態に落とし込んでいるのです。何の用意もない所に、いきなり原発災害が降りかかってきた、予想もしない避難の命令や勧告が夜中にいきなりだされる、着の身着のままでとびださざるを得ない。こういうことが起きるのも、電力会社が「安全神話」に浸り込んで、自分のところで災害対策の準備をしなかったばかりか、住民にも「安全神話」を押しつけて、地域の災害対策をまったく空っぽにしてきた結果なんです。

東海大地震の予想震源地でなぜ原発増設を認めるのか(1981年)

 3回目はその次の年、81年2月に質問しました。大平首相が亡くなって鈴木首相に代わった時でした。この時には、地震の問題を取り上げたのです。実はその質問の3年前、政府が、東海地震という巨大地震の危険がある、それに備えて、地震予知のシステムをつくるという法律(大規模地震対策特別措置法)をつくったのです。その後、地震予知のための観測システムは、東海地震に関しては、ずいぶん綿密につくりました。

 ところが、地震というのは、予知されても、対応できることは限られているのです。一番大事なのは地震がきても大丈夫なような街づくりをすること、危ないモノはその地域に置かないことです。

 ところが、電力会社(中部電力)は、静岡県の御前崎に浜岡原発をつくった。ここが地震の危険地帯だということは早くからわかっていたのですが、そのことを無視して1号機、2号機は運転を開始してしまった。しかし、東海地震が必至ということで、予想される震源域を地図の上に書いてみると、浜岡原発を建てたのは、まさにもっとも危険な震源域、東海地震が起きる時にはここでの大きな地震断層が震源になるだろうと予想される地域のどまん中だったのです。ここに最大の危険があるとして、国が特別の地震立法までしたのですから、原発など、この地域から撤退させるのが当然の道理なのですが、こともあろうに電力会社は平気で3号機の計画を立て、当時の通産省も平気でそれを認可してしまったのです。あとは科学技術庁の承認を待つだけという段階になっていました。

 そこで私は地震と原発の問題を取り上げ、国が法律までつくって対応に取り組んでいる、その最も危険な地震地帯に原発の増設を図ることは許されない、といって追及したのです。「地震への対応はあらゆる角度から十分に考慮してあります」というのが通産相の答弁でした。しかし、安全審査の書類を取り寄せて読んでみると、地震対策は「震度5」で大丈夫という審査で済ませていました。震度5の地震など、今度の東北地震ではその程度のものが余震の段階でざらにあるでしょう。東海地震なら、少なくとも「震度7」が予想されるし、地盤の液状化の危険も広く問題になっています。そのことを指摘して追及すると、文章はともかく、実際の審査は「震度5」にとどまらず、「予想される最大級の地震動」をすべて調査したうえで結論を出した、というまったく無根拠のいいわけに逃げ込みました。

 私は、最後に科学技術庁長官に「あなたのところぐらいはしっかりやれ」と注文をつけたのですが、結果は、私の質問の後まもなく科学技術庁もOKを出し、あとは3号機から4号機、5号機と無神経な増設を繰り返して、今日にいたっているわけです。

 問題は浜岡だけではありません。日本は世界有数の地震国ですから、日本の地震学界では、東海地震に限らず、大きな地震の起こりそうな危険地帯を地域指定して、そこでは特別の観測体制を敷いていました。これを「特定観測地域」と「観測強化地域」といっていたのですが、調べてみると、日本の原発の多くがこの地震危険地帯にあったのです。

 当時の状況を北から順にあげると、宮城県の女川で1号機が建設中、福島が6基で2基建設中、浜岡が2基、新潟県の柏崎で1号機が建設中、島根が1基、愛媛県の伊方が1基で次の1基を建設中、といった具合でした。稼働中の原発は21基でしたから、半分は地震危険地帯と特に指定されたところにあったのです。日本の電力会社は、なぜか地震のあるところにひかれるクセがあるんですね。そういう危険地帯に平気で原発をつくってゆく。政府はそれを平気で認めてゆく。このことも、電力会社と日本の原子力行政がいかに「安全神話」に浸り込んでいるかの象徴といってよいでしょう。

 現在は、地震を起こす活断層の研究が進んで、地震の危険地域は当時に比べてさらに格段と広がっています。

国際条約違反を承知で「推進機関」に規制を任せる(1999年)

 次は1999年、小渕内閣の時ですが、この時は、日本の原発審査体制が国際条約に違反しているという問題を提起しました。

 世界では、スリーマイルの原発事故(79年)に続いて、86年にはソ連でより深刻なチェルノブイリ原発の大事故が起こり、原発の審査や規制の問題が国際政治の上でも大きな問題になってきました。そして、88年には「原子力発電所の基本安全原則」が決定され、94年には「原子力の安全に関する条約」が結ばれるところまできました。日本も、この条約に94年9月に調印し、翌95年4月に国会で承認しましたから、私たちが繰り返し追及してきた日本の原子力行政について、この条約に照らして根本的な改革をおこなうべき国際的義務を負ったわけなのですが、政府は、条約の加盟国になって以後、何年たってもそういうことは一切しなかったのです。

 そこで私は、99年11月、衆院本会議の代表質問でこの問題を取り上げ、ちょうどその頃はじまった首相と野党党首との「党首討論」で、続けて問題提起をしたのです。私がとりあげた中心は、条約の一番大事な次の点でした。この条約では、原子力発電をすすめる「推進機関」と、その安全を審査して施設を認可する法的権限をもつ「規制機関」とは分離しなければいけない、という厳重な規定があるのです。「規制」と「推進」を同じところでやってはダメだ、安全に責任を負う「規制機関」は、推進役の役所の一部であってはならず、完全に独立した機関にして、そこに権限を集中しなければいけない。こういうことがはっきりと条約化されているのです。

 ところが、みなさん、いま、政府が福島原発について政府としての発表をするのを見ているとお分かりだと思いますが、いつも福島原発の安全問題の発表をするのは、「原子力安全・保安院」の代表です。これが安全に責任を負う「規制機関」の人かと思うと、経済産業省のお役人です。経済産業省(かつての通産省)は、まぎれもない、原発推進の先頭に立っている原発の「推進機関」です。だから、「安全・保安院」と、名前だけは「安全」とつけていても、これは「推進機関」の一部局、これが安全に責任をおう「規制機関」だとしたら、明々白々な条約違反になります。

 政府は、いや「規制機関」は別だ、「原子力安全委員会」があって、経済産業省とは分離している、というかもしれません。たしかに「原子力安全委員会」はありますが、この委員会は、形は分離されていても、肝心の権限がここにないのです。条約では、「規制機関」とは、原子力施設の「立地、設計、建設、試運転、運転又は廃止措置を規制する」法的権限をもつ機関だときっちり定義されているのですが、そんな権限はなにも与えられていない。ごく補助的な、政府の諮問機関程度の役割しかない。

 だいたい今度のような大原発災害が起きても、ごくたまに数字の資料を出したり、せいぜい政府に部分的な助言をしたなどの話しか聞こえてこないでしょう。

 しかも、この委員会は、頭のなかはまったく「独立」していないのです。現在、原子力安全委員会の委員長で班目(春樹)さんは、この任につく前だったと思いますが、浜岡原発の安全性をめぐる裁判があった時に、なんと電力会社側の証人として法廷に出て、浜岡原発は安全だ、あなた方(原告側)のようなことを言っていたら原発などつくれませんよと大見えを切った、そういう人がいま原子力安全委員会の委員長です。

 日本の原子力行政の実態は、このように、国際条約の規定をおおもとから踏みはずした体制なのです。こんなお粗末な体制のままで原発を大規模に推進している国は、世界でもなかなか見当たらないでしょう。

 だから、小渕首相にこの問題を質問したら、本会議の代表質問では、官僚が書いた文章を読み上げて答弁しましたが、党首討論でその続きをやろうとしたら、最初の第1問で「規制機関」と「推進機関」の区別が分からず立ち往生してしまうという始末でした。原発問題は、日本の首相の頭の中で、その程度の位置しか占めていないのか、と驚かされたものでした。

大災害でも司令塔を立てられない日本の体制

 こういう原子力行政の根本的な欠陥を世界にさらけ出したのが、今度の原発災害だったと思います。

 アメリカだったら、強大な権限をもった原子力規制委員会が、大統領の指揮のもとに、事故の対応に全部責任を負います。ほかの国はどうか。

 先日の日本経済新聞に、フランスの体制についての記事が出ていました。

 「事故後指揮委員会――。原発大国、フランスにある組織だ。放射能漏れ事故などが起これば電力公社に代わって対応に当たる。各省庁や軍を指揮下に置き、住民の避難から放射性廃棄物の処理まで一元的に担う。仏原子力安全委員会副委員長のラショム(51)は『事故は必ず起きるという考え方こそが危機管理』と話す」(5月2日付)。

 どこでも原発災害が起きたら、こういう司令部が災害対策の中心になって活動するのですし、その組織は「安全神話」などとはきっぱり手を切っているのです。

 日本の現状は、それとはあまりにもかけ離れています。どこに指揮官がいるかわからないでしょう。菅首相が東電と合同で本部をつくったと発表しましたから、いよいよ首相が総指揮官になったのかと思ったら、その後も「私は復旧の計画を立てるように指示した」などというだけ。実態は何も変わりませんでした。実際の対策は、東電の原発の現場で、発電所の所長さんなどが担ってやっているようです。全力をあげている様子はわかりますが、事故から2カ月たっても、何が起こり現場がどうなっているかの全貌もいまだに見えてきません。

専門家といっても何の専門家なのかが問題

 よく現場を知っている専門家は、東京電力にしかいないから、と言われますが、私はこういう事態を見て、話はまったく違うのですが、思い出すことがあるのです。

 ベトナム戦争の時、アメリカが最後の段階で、ベトナムを封鎖すると言って、北ベトナムの全港湾にぎっしりと機雷を敷設したのです。73年1月にパリ協定で戦争が終わった時、その機雷の除去が問題になりました。アメリカがそれを引き受けて、機雷の専門部隊を派遣したのです。機雷の除去というのは大変だそうですね。同じ形のものでも構造にはいろんな種類があって、軍艦に1回接触したら爆発するものもあれば、接触7回目で初めて爆発するものもある。その一つひとつを見分けて対応しないといけないのです。その作業にあたった専門家部隊が犠牲者をだしたあげく、ついにお手上げになった。彼らがその時、こう言ったそうです。「われわれは機雷を敷設する専門家だが、除去する技術はもっていない」

 私はその翌年74年にベトナムを訪問した時、その話を聞いたので、「では誰が除去の仕事をやったのか」と聞いたら、「ベトナム自身がやったのだが、一番働いたのは丸木舟を使った若い女性たちだった」との回答でした。機雷は鉄の軍艦に触れると爆発するが、木の丸木舟なら触れても爆発しないんです。それで接近して危険な仕掛けを手作業で外してゆく。こうして、若い女性たちのおかげで、アメリカの敷設しかできない専門家部隊がやれなかったことをみごとにやり遂げた、という話でした。

 私がその話を思い出すというのは、いまの日本の電力会社やその関係団体には、原子力の専門家はたくさんいます。しかし、これは、原発の建設や運転の専門家であって、原発災害に対応する知識と技術を持った専門家はいない、ということです。「安全神話」が大前提になっている体制ですから、災害対策どころか、事故が起きたらどうなるかの想定もなければその事態に対応する備えもない。専門家もいない。そういう体制のまま、日本はひたすら原発への依存と大増強の道を走ってきた。まさに“「ルールなき資本主義」の原発版”じゃないでしょうか。

福島の原発災害から何をくみ取るべきか

利潤第一主義がここまで徹底していた

 利潤第一主義の怖さも、新聞報道を読むだけでもよくわかります。今度の事故対策でも、初動の遅れがいわれています。原発への水の供給が止まったとき、海水を注入して原発を冷やすことが何よりの急務だったのに、なぜすぐやらなかったのかが問題になっています。それをやっておけば、ここまでひどくはならなかったはずだ、と。報道によると、理由は、電力会社が迷ったのだというのですね。海水を入れるとその原発が使いものにならなくなる。それで対応が遅れたというのですが、あの事故を起こしてまだその原発を使い続けるつもりでいる。これも利潤第一主義ですね。

 また、日本では、原発を同じ場所に何基も集中しておくのが当たり前になっています。なぜこんな危ないことをやるのかというと、新しい土地を見つけてそこに原発をおくためには、カネも時間もかかるのです。だから一度土地を手に入れたら、いざという時の安全の問題など考えないで、建てられるだけ建てる。理由は簡単です。それが安上がりだからです。とくに日本は地震国です。集中立地をしたら、地震が起きたときの災害はたいへんなことになる。そんなことは当然わかることですが、そんなことはあえて想定からはずして、地震危険地帯でも、平気で原発を次から次へとつくってゆく。それが安上がりだというだけでつくる。これもひどい話です。

 さらにこんなこともあります。日本の原発は、かなり老朽化しているのです。いま現役の原発が54基ありますが、そのうち運転開始から30年以上のものが20基くらいあります。原発の寿命には、国際的にもまだ定説はないのですが、長く使えば材料に放射線による劣化が起きることは間違いありません。ただ、一つはっきりしているのは、税法上の減価償却は耐用年数16年で計算されていることです。つまり、16年たったら税法上の寿命が終わって、それだけの税金を払わないで済むようになる。ところが、電力会社からみると、これからがもうけどころだということになるわけですね。払ってきた税金の分も、17年目以後はまるまる企業の収入になるわけですから。だから、老朽化の段階に入った原発でも、使えるだけ使おうということで、いつまでも使う。今度災害を起こした福島第1原発は6基全部が70年代に運転を開始したもので、税法上の耐用期間16年をとっくに卒業しているのですが、それでも、まだまだ使えると思って、緊急に必要だった海水の注入をためらう、利潤第一主義はそこまで徹底しているのです。

原発版「ルールなき資本主義」と歴代日本政府の責任

 そういう利潤第一主義が支配している電力業界に、国民の生命と安全をまるごとまかせてきた日本政府の側も、世界一ひどい原発版「ルールなき資本主義」の実態に重大な責任があります。この事態をそのままにしていいのか、それがいま問われているのです。

 いま自民党は、菅内閣の責任をうんと追及します。(菅内閣は)ほんとにだらしないです。しかし、こういう事態をつくり出してきたのはだれか。私は、さきほど自分の国会質問を紹介しましたが、相手は三木内閣、大平内閣、鈴木内閣、そして小渕内閣です。全部、自民党内閣ですよ。2000年代に入って、吉井さんが、地震や津波の状況を具体的にとりあげて追及しました。最近の質問では福島原発の危険性をはっきり示して対策をとることを求めた。どの政府も警告を無視しましたが、それも、自民党の小泉内閣と安倍内閣、最後の質問だけが民主党の鳩山内閣でした。こういう無責任な原発増強政策を数十年にわたって取り続けて、現在の国民的大災害の根源をつくりだしてきた自民党が、その歴史的責任に口をぬぐって、いまの対応のだらしなさを追及する、民主党政権の対応のだらしなさは、本当に政権党としては考えられないようなものですが、2年前まで政権を担ってきた自民党が、現瞬間の対応の問題点だけの追及でことをすまそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思います。

二つの問題――原発からの撤退の戦略的決断と安全優先の原子力管理体制と

 私たちは、現瞬間で必要だと思うことは、民主党政権にどんどん要求するし、そのだらしなさや無責任さは、遠慮なく指摘し、震災被害者への救援とこの大災害からの復興、原発災害の収束、被災地の復興などの当面の大事業を成功させるために全力をあげます。

 同時に、日本の国民には、震災の復旧にかかわるこれらの問題とあわせて、いま考えなければならない大問題があることを指摘しなければなりません。

 それは、日本と世界を脅かす大災害を経験した日本国民として、原発の問題にどう対応し、エネルギー政策でどういう道を選ぶべきか、この問題にいまこそ正面から取り組み、道理と展望のある解決策をひきださなければならない、ということです。

 私は、二つのことが大事だと考えています。

 (一)戦略的な方針からいいますと、日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退するという決断をおこなうことです。その実行には、当然一定の時間がかかりますが、必要なことは、いまその戦略的な決断をし、その方向に向かってこうやって進んでゆくという国家的な大方針を確立することです。

 (二)もう一つは、緊急の当面の課題です。「安全神話」の上に築かれた原発版の「ルールなき資本主義」からきっぱりと手を切り、原子力施設にたいする安全優先の審査と規制の体制を確立することです。いま、電力会社に直接は関与していない科学者、技術者にも、日本には原子力問題の研究者はたくさんいます。日本学術会議という公的な組織もあります。また原発の事業にいままでたずさわってきた人の中にも、実際の経験の中から「安全神話」ではだめだということを痛感して声をあげている方々もすでに少なからず現れています。そういう知恵と技術を結集して、本当に安全優先で原子力施設の管理ができる、世界で一番といえるような原子力安全体制を確立することです。

 この体制ができないと、原発からの撤退という大事業も成り立ちません。一つの原発をなくすということは、運転を止めただけで済むことではありません。運転を止めた後、原子炉から使用済み核燃料を抜きだし、その始末もしなければなりません。残った原子炉は、まだ放射能がいっぱい出ます。それから放射能を除去する作業があります。それから解体の作業があります。さらには、解体した原子炉の廃棄物の処理、跡地をどうするかの対策などなど、膨大な問題があります。それにはおそらく少なくとも20年ぐらいの時間が要るでしょう。そして、そのすべての段階を、厳重な安全優先の管理と規制の体制のもとで進めることが必要になるのです。

 この二つの問題――戦略的には原発からの撤退を決断することと、体制的には、安全最優先の権限と責任をもった原子力の審査・規制の体制を緊急につくりあげること、私たちは、この二つに国民的な討論が迫られる大問題があると考えています。国政の上でも、これからこの問題は、討論の大きな主題になってゆくと思いますから、今日の話が、みなさん方がそういう問題を見てゆく参考にしてもらえば、ありがたいと思います。





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