2011年5月14日(土)「しんぶん赤旗」

酪農家「“わが子”同然なのに」

全員避難の期限目前 胸の内は

福島・浪江町


 東京電力福島第1原発事故から2カ月余。4月中旬に「計画的避難区域」に設定されている福島県浪江町。町外に避難している畜産農家の多くは、町内に残した牛などの家畜の世話をするため避難先から通っています。「おおむね1カ月」とされた全員避難の期限を目前にした酪農家ら住民の様子や思いを、和牛繁殖農家でもある日本共産党の馬場績町議(67)に聞きました。(菅野尚夫)


原発さえなければ

写真

(写真)わが子のようにかわいがって育てた牛に餌を与える馬場さん=12日、浪江町津島地区(馬場町議提供)

 馬場町議が暮らす津島地区は今、若葉がもえだし、花桃、八重桜、スイセン、チューリップなどが咲き乱れています。

 「いつもなら田植えが始まるころですが、人影はありません。まさに『沈黙の春』だね」と馬場町議。避難先の二本松市から2〜3日おきに、4頭の牛餌を与えるために自宅に戻っています。

 親子4代にわたって土地を開墾して農業を営み「牛の改良に取り組んで、生活できる見通しが、やっと出てきたばかりだった」と話します。

 米作りも手がける馬場町議は「コンバインを昨年、370万円で購入したばかり。踏んだり蹴ったり。東電にはもちろん、町議会でも何度も何度も安全対策をとるように言ってきたのに」と言います。

 「原発がなければ、こんなことにはならなかった」。馬場町議に、同じ繁殖農家で6頭の成牛と6頭の子牛を飼う男性(60)は悔しそうに話しました。

 男性は会津地方の「裏磐梯」に避難し、1日おきに片道2時間かけて帰ってきています。

 ある日帰ると1頭の牛が倒れていました。1時間以上、牛飼いの仲間と獣医ら7人で、立ち上がらせようとしましたが、だめでした。牛は、起き上がれないと死を待つだけです。

 「30年やってきて牛にけがをさせたのは初めて。かわいそうで、悔しくて、情けない」。

 苦しんでいるのは、畜産農家だけではありません。

 町内で自営業を営む男性(59)は「この町で生業をしているからこそ、仕事ができる。避難所からでは仕事はとれない。しかし、材料を注文しても運送業者が届けてくれない。“残るも地獄、去るも地獄”の心境だ」と訴えたといいます。

 馬場町議は言います。

 「国や東電は、原発事故を一刻も早く収束させるとともに、被災者が希望と展望をもてるような補償と施策を打ち出してもらいたい」


 計画的避難区域 東電福島第1原子力発電所から半径20キロより外の地域で、気象・地理的条件によって放射線の積算線量が高くなり、住み続けると国際的な放射線防護基準値の年間20ミリシーベルトに達するおそれのある区域を政府が設定。おおむね1カ月をめどに別の場所に避難することが求められています。福島県葛尾村、浪江町、飯舘村、川俣町の一部、南相馬市の一部。

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