2011年5月19日(木)「しんぶん赤旗」
米と漁、あきらめない
福島・新地町はいま
東日本大震災発生から不眠不休で救済・救援活動に取り組んできた日本共産党の井上和文・福島県新地町議(55)は「肩をたたき、抱きしめることしかできなかった」と、思いを語りました。福島県と宮城県との県境の町、新地町からの報告です。(菅野尚夫)
被災者の心の傷深く
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同町は、大津波で93人(18日現在)が亡くなりました。震災から2カ月を過ぎても行方不明者は21人にのぼります。ガレキの撤去作業が進められていますが、親兄弟、親しかった友人・知人を亡くした深い心の傷痕は、海風にさらされて痛みます。「生きる人たちもつらい」と井上町議。町の人たちの心は癒えていません。
漁に出たいが
震災からの1週間は安否確認、避難所への激励など24時間態勢で活動。現在もボランティアの受け入れや被災者の相談活動に奔走しています。
大震災の大津波で釣師浜漁港は壊滅的な打撃をうけました。漁協組合員3人が亡くなり、2人が行方不明。「九死に一生を得た」というのは6・6トンの漁船「神変丸」の船長(60)です。「一刻も早く漁に出たい」といいます。コウナゴ漁の漁期が過ぎ、カレイ漁の時期に入っているからです。
船長は、言います。「海の底はガレキでいっぱい。漁に出られずに『おかに上がったカッパ』同然」と。
船を更新したときの借金の返済が年200万円、返済は70歳まで続きます。「地震と津波は諦めがつくが、東京電力の原発事故は諦めるわけにはいかない」といいます。漁に出て魚をとっても風評被害で売れる見通しがありません。
被害は稲作農家も深刻です。372・7ヘクタールの田んぼが海水につかりました。
30町歩を耕す大規模農家の男性(59)は「田んぼのガレキを取り除いただけではダメ。塩害でやられた土を取り換えないと再生はできない。コシヒカリとヒトメボレを作っているが福島産はオミット(除外)される」といいます。
国が撤去して
トラクター3台、乾燥機3台、籾(もみ)すり機1台が海水をかぶり使えません。JA共済保険に入っていたものの「農協は見舞金だけのゼロ回答。津波は保険の対象にならないという。自然災害で100%出ることになっているのに、津波被害はゼロ。自然災害に当たらないというのです」。農家の男性は怒りが収まりません。「田んぼに流れ込んだガレキ、塩、油、ヘドロの撤去は、国が挙げてやってほしい」。
この地域は、名水百選になっている「右近清水」の水系と粘土質の土から良質な米ができます。「来年は米作りを再開させたいが、放射能問題で見通しは暗い」と東電に怒りをぶつけます。「家族が無事だったから再建しようという気持ちになれる」と、くじけていません。
相馬市の税務署にいたときに地震に遭いました。教員の妻との連絡が3日間とれませんでした。学校は水没。体育館の2階に避難し、携帯電話もつながらなかったのです。
無事を確認できたときは「30年ぶりに公衆の前で抱き合って喜びました」と、希望を捨てていません。
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