2011年6月14日(火)「しんぶん赤旗」
水産都市復活へ挑む
カツオ水揚げに向け 作業急ピッチ
流通・加工業にも国は支援を
宮城・気仙沼
東北地方の三陸海岸が大震災と津波によって壊滅的打撃をうけてから3カ月。宮城県気仙沼市は、6月中旬のカツオ漁の水揚げを手始めに、全国屈指の水産都市の復活めざして手探りで歩みはじめています。漁業関係者からは、「暮らしや働く場が確保されてこそ復興だ」との声が聞かれました。 (阿部活士)
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気仙沼漁港は、国の水産振興上とくに重要と指定されており、カツオ、サンマの遠洋・沖合漁業の拠点港です。総延長4キロ以上ある岸壁や桟橋のなかでも、津波被害が少なかったのが、気仙沼漁業協同組合の事務所と魚市場でした。
漁協職員が連日、6月中旬の市場再開を目標に、逆算して急ピッチの作業を続けています。記者が訪ねた7日も、水揚げした魚を入れる、1トンタンク(通称・スカイタンク)と60キロの魚かごをていねいに洗っていました。
2000個あったタンクが津波で流失。600個を回収しましたが、損傷がなく使えるタンクは200個だけ。新たに500個を購入しました。「これで、カツオの水揚げがかなりあっても大丈夫です」と話すのは、漁協魚市場部の斎藤光昭青物課長です。
“漁に出たいよ”
斎藤課長は、「しかし、魚はカツオでもサンマでも生鮮・刺し身で食べるだけじゃありません。加工から缶詰までいろいろある」と冷静です。例えば、1キロ足らずのカツオは、従来なら、かつお節屋が買っていましたが、いまは加工が壊滅したと、こう語ります。
「市場が先行して復興しても、背後の流通・加工業についても(国が)きちんとしてくれないと困ります」
漁協近くの港には、大きな漁船が数隻係留されていました。そのひとつ、「第五十三宝正丸」(19トン)の船主は、海をみながら話します。
「船が残ったから早く漁に出たいよ」
宝正丸はメカジキの流し網漁を専門にします。漁は、5月から11月までがシーズンです。すでに1カ月遅れています。水揚げは年々減っても、昨年3000万円あったといいながら、水揚げしたあとのことを心配します。
「船を動かして魚を捕っても、受け入れ体制がしっかりしていないと、ね」
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施設復元を求め
「全国屈指の水産都市として、国民の動物性たんぱく質の供給につとめます」。こんな言葉で始まる「魚食健康都市宣言」(2006年)をした気仙沼市。気仙沼漁港以外にも、沿岸部に小中37の漁港があります。ワカメ、ホタテ、ホヤなどの養殖漁業と定置網漁と水産加工業の“地域拠点”がほぼ壊滅。各漁港の復旧は手つかずでした。
水産都市を支える養殖、水産加工の復活も欠かせません。気仙沼水産加工業協同組合は、仮事務所で仕事をしていました。組合は、冷凍・冷蔵施設など、いままでの施設の復元を求めています。
阿部州人(くにひと)総務部長がいいます。「国から何も示されていない。補助金制度も確立していないので、困っています」
組合員の加工業者50人のうち8人が亡くなり、42人が復活をめざします。多くが自宅と併設する水産加工場を失いました。
阿部部長は次のように注文します。「自宅の再建も全壊で300万円だけ。加工場まで再建できるかどうか。被災した1企業にたいする支援制度をぜひつくってほしい」
被災しなかった加工業者の悩みも深刻でした。
高台に店舗があったので、組合員のなかで唯一被災を免れた「丸東かまぼこ店」。店主の妻(70)は、「一軒残ったけど、原料も流され、製品を納めるお得意さんもいなくなってしまった」と声を落とします。
店舗再開も切実
婚礼用や、おせち料理用かまぼこを卸してきた、地元スーパーをはじめ、隣の岩手県陸前高田市、大船渡市のホテルが壊滅してしまいました。材料も地元で調達できません。いま、笹かまぼこや揚げかまぼこを「口コミで売る程度になった」といいます。地元スーパーの店舗再開は夏以降ともいわれています。
「避難している人もそうだけど、被災していない私たちも大変です。いまからどうやって食べていくのか、課題だよ、と孫に言いきかせている」といいながら、斉藤さんはかみしめるように語りました。
「私たちは海に生かされてきました。震災にあっても、それ以外に生きる道はないものね。カツオの漁がはじまるのはいいけど、商店が再開できて、働くところができて、私たちの復興といえるのよ」
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