2011年6月14日(火)「しんぶん赤旗」
原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を
国民的討論と合意をよびかけます
2011年6月13日 日本共産党
日本共産党の志位和夫委員長が13日の記者会見で発表した提言「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を 国民的討論と合意をよびかけます」は次のとおりです。
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東京電力・福島原発事故は、日本と世界の人々に大きな衝撃をあたえ、原発に依存したエネルギー政策を、このまま続けていいのかという、重大な問題を突きつけています。そして、原発からの撤退と自然エネルギー(再生可能エネルギー)への大胆な転換への世界的な流れは、この事故を契機に、さらに大きくなっています。日本国内でも、各種の世論調査で、原発の「縮小・廃止」を求める声が過半数を占めるようになっています。歴代政府が推進してきた原発依存のエネルギー政策をこのまますすめていいのか、抜本的な政策転換が必要ではないのか。真剣な国民的討論と合意形成が求められています。
日本で、原子力発電が問題になってきたのは、1950年代の中ごろからで、1960年代に商業用の原発の稼働が開始されますが、日本共産党は、現在の原発技術は未完成で危険なものだとして、その建設には当初からきっぱり反対してきました。その後も、わが党は、大事な局面ごとに、政府や電力業界のふりまく「安全神話」のウソを追及し、原発のもつ重大な危険性と、それを管理・監督する政府の無責任さを具体的にただしてきました。
さらに、福島原発事故をふまえ、5月17日には、政府に提起した「大震災・原発災害にあたっての第2次提言」のなかで、政府が、原発からの撤退を政治的に決断すること、原発をゼロにする期限を切ったプログラムを策定することを、求めてきました。
この立場から、原発からの撤退と自然エネルギーの本格的導入にむけ、以下の提言をおこないます。
1、福島原発事故が明らかにしたものは何か
福島原発事故は、3カ月が経過しても被害が拡大し続け、日本の災害史上でも類をみない深刻さをもつ災害となっています。この事故が明らかにしたものは何でしょうか。
(1)原発事故には、他の事故にはみられない「異質の危険」がある
第一は、原発事故には、他の事故にはみられない「異質の危険」があるということです。
すなわち、ひとたび重大事故が発生し、放射性物質が外部に放出されると、もはやそれを抑える手段は存在せず、被害は、空間的にどこまでも広がる危険があり、時間的にも将来にわたって危害をおよぼす可能性があり、地域社会の存続さえも危うくします。被害がどうなるかを空間的、時間的、社会的に限定することは不可能です。このような事故は、他に類をみることができません。
「空間的」ということでいえば、福島原発事故による放射能汚染は、福島県だけでなく、すでに岩手県、宮城県、茨城県、群馬県、栃木県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県などの広範囲で、校庭の土壌、水道水、牧草、農産物、水産物などに被害を及ぼしています。海洋汚染がどの程度なのか、どこまで拡大するのかも、さだかではありません。
「時間的」ということでは、放射能汚染による影響は、長期にわたって続きます。とりわけ懸念されるのは国民、とくに影響が大きい子どもたちへの健康被害です。放射能による健康被害には、急性障害とともに晩発性障害があり、放射線被曝(ひばく)はたとえ低線量であっても、将来、発がんなどの晩発性障害がおこる危険につながります。25年前に起こったチェルノブイリ原発事故でも、事故の影響は現在進行形であり、世界保健機関(WHO)は、事故によるがん死亡者数の増加を9000人と推計しています。放射線被曝は、将来にわたって、人間の命と健康を脅かし続ける危険があるのです。
「社会的」ということでは、原発事故による被害は、個々の人間に対する脅威であるということにとどまらず、人間社会、地域社会そのものを破壊する危険性をもつものです。計画的避難区域を含む避難指示が12市町村に出され、「自主避難」を含めると約10万人の人々が、いつ戻れるかわからない避難生活を強いられています。これらの地域では、地域社会がまるごと、その存続を危うくする危機にみまわれているのです。
もちろん、事故を一刻も早く収束し、放射能被害の拡大をくいとめ、子どもたちをはじめ国民への健康被害を抑え、避難を余儀なくされた地域社会を再建するために、あらゆる力を傾注することが必要です。そのことをわが党は強く求めます。
同時に、一度起きたら、人間社会に、このような他に類のない「異質の危険」をもたらす現在の原発という技術は、いったい社会的に許容できる技術なのか。そのことが正面から問われなければならないのではないでしょうか。
(2)いまの原発技術は、本質的に未完成で危険なもの
第二は、現在の原発技術は、本質的に未完成で危険なものだということです。
いま開発されているどんな形の原子炉も、核エネルギーを取り出す過程で、莫大(ばくだい)な放射性物質=「死の灰」を生み出します。100万キロワットの原発が1年間稼働すると、広島型原爆1000発を超える「死の灰」がたまります。そして、この莫大な「死の灰」を、どんな事態が起こっても、原子炉の内部に安全に閉じ込める手段を人類は手に入れていません。そのことは、わずか30年余りの間に、それぞれ条件や原因は異なるものの、スリーマイル島原発事故(1979年)、チェルノブイリ原発事故(1986年)、福島原発事故(2011年)と、人類が3回もの重大事故を体験したという事実そのもので証明されています。原発がそのなかに巨大な「死の灰」をかかえ、それを閉じ込める保証がない――ここにこそ原発のもつ重大な危険性の本質があります。
くわえて、現在わが国のほとんどの原発でつかわれている「軽水炉」という原子炉には、固有の弱点があります。「軽水炉」のしくみは、運転中はもちろん運転中止後であっても、冷却水で炉心を冷やしつづけることによって、かろうじて安定が保たれるというものであり、冷却水がなくなると、わずかの時間に炉心が溶け、コントロール不能に陥ってしまいます。すなわち、冷却水がなくなった場合に、それを解決して原子炉を安定的な方向にむけていく、原子炉としての固有の安定性をもっていません。こうした「軽水炉」の構造上の問題は、スリーマイル島事故で現実のものとなり、事故後の米国議会の報告書でも「軽水炉」の欠陥として指摘されていた問題でした。それが、今回の福島原発事故ではより深刻な形で示されることになりました。
さらに、「使用済み核燃料」を後始末する方法が、まったく見つけ出されていないことも、現在の原発技術のもつ重大な弱点です。政府は、青森県六ケ所村に建設した「再処理工場」に、全国の原発で生じた「使用済み核燃料」を集め、「再処理」、「再利用」する計画でしたが、この施設は原発以上に技術的に未完成で危険なもので、実際に多くの事故を起こし、稼働するメドがたっていません。かりに稼働したとしても、その結果生まれる「高レベル放射性廃棄物」をどう処分するかについて、だれもその答えをもっていません。「再処理工場」が稼働せず、「再処理工場」の中の「貯蔵プール」に貯蔵されている「使用済み核燃料」もほぼ満杯なため、原発で生じた「使用済み核燃料」はそれぞれの原発の「貯蔵プール」に貯蔵されていますが、あと数年で満杯になる原発も少なくありません。「使用済み核燃料」の「貯蔵プール」も、冷却しつづけることが必要であり、それができなくなったときには、放射能汚染の発火点になることは、福島原発事故で示されたことでした。
こうした原発の技術的な未完成と危険は、今日の原子力技術がたどってきた不幸な歴史に根源があります。「軽水炉」は、もともと原子力潜水艦の動力として開発された軍事技術でした。「安全など二の次、三の次」という軍用に開発された原子炉が、そのまま陸揚げされ、商業用原発に転用されたことに、この原子炉のもつ危険性の歴史的な根源があることを指摘しなければなりません。
莫大な放射能を閉じ込めておく保証がないどころか、その構造において本質的な不安定性をかかえ、放射性廃棄物の処理方法にいたってはまったく見通しがない――こうした技術を、使い続けていいのか。このことが問われているのです。
(3)世界有数の地震国・津波国に集中立地することの危険
第三に、こうした危険性をもつ原発を、世界有数の地震国であり、世界一、二の津波国である日本に集中立地することは、危険きわまりないということです。地震など外部要因による原発の重大事故は、内部要因による重大事故の数倍から10倍程度の確率で起こるとの研究もあります。日本で原発に頼ることの危険性は、世界のなかでも特別に深刻なものであることは間違いありません。
政府は、東海地震の想定震源域の真上につくった浜岡原発を、一時停止させました。浜岡原発が、地震・津波とのかかわりで、高い危険性をもつ原発であることは明瞭であり、一時停止でなく、廃炉とすべきです。
しかし、それではその他の原発が、地震・津波とのかかわりで「危険が少ない」といえるのか。政府は、福島第1原発が震度6以上の地震に襲われる確率を、地震3カ月前の時点で、「0・0%」と評価していました。実際には、震度6強の地震が原発を襲い、津波が襲来する前に福島原発は大きな破壊を受けていたことが明らかになっています。
東日本大震災によって、これまでの地震や津波による危険の専門的な知見を見直す必要が学界からも指摘されています。地震予知連絡会の島崎邦彦会長(東京大学名誉教授)は、「私たちは日本海溝ではM9級の地震は起きないと思い込んでいました」「今回の地震発生で、これまでの地震学の大きな枠組みや専門的な考え方を変えなければならないことがわかりました」と語っています。
地震予知連絡会の茂木清夫元会長(東京大学名誉教授)は、「今までないから今後もないとはいえない、ということを今回の地震で教えられた」「地震も物の破壊もまだよく分からないことが多い。原子炉本体は頑丈でも、複雑な配管や装置が取り巻く複合体だ。弱い所に力が集中したら何が起こるか分からない。絶対大丈夫なんてことは絶対言えない」とのべています。
地震にたいする科学的知見の到達点は、それぞれの原発の地震による危険性を科学的に評価するところまで進んでいるとはいえないのです。日本列島のどこにも、大地震や大津波の危険性のない「安全な土地」とよべる場所はありません。日本に立地している原発で、大地震や大津波にみまわれる危険性がないと断言できる原発は一つもありません。「絶対大丈夫などということは絶対言えない」のです。
(4)「安全神話」への固執の深刻な結果が明瞭に
第四に、歴代政権が、電力業界の経営陣とともに、「日本の原発は安全」とする「安全神話」にしがみつき、繰り返しの警告を無視して重大事故への備えをとらなかったことが、どういう深刻な結果をもたらすかも明瞭になりました。
「安全神話」は、日本の原子力行政の発足当初からの深刻な病弊でしたが、とりわけ、スリーマイル原発事故、チェルノブイリ原発事故という二つの過酷事故(炉心溶融にいたる重大事故)の教訓を、日本政府がまったく学ばなかったことは重大です。
二つの過酷事故を経て、国際原子力機関(IAEA)は、1988年、「原子力発電所のための基本安全原則」の勧告を各国におこない、過酷事故への拡大防止策をとるとともに、過酷事故が起こったさいの影響緩和策をとることによって、大規模な放射能流出の危険を減らすことをよびかけました。
しかし、日本政府は、この勧告さえ無視し、「日本では過酷事故は起こり得ない」とする「安全神話」に固執する方針を決め(1992年、原子力安全委員会)、過酷事故を防ぐための備えも、過酷事故が起こった場合にその影響を最小限のものにするための備えも、まったくとってきませんでした。
わが党が国会質疑で、福島原発を名指しして、大地震と大津波が同時に原発を襲えば、「全電源喪失」が起こり、炉心溶融の危険性があることを、具体的に指摘して改善を求めたにもかかわらず、政府は、何らの措置もとってきませんでした。これが原発事故を引き起こし、事故後の対応にも数々の問題点を引き起こすことになりました。「安全神話」で国民をあざむき続けてきた歴代政府の責任はきわめて重大です。
わが党は、政府が、これまでの原子力行政への重大な反省にたって、「安全神話」を一掃し、原発事故の危険を最小限のものとするために、考えうるかぎり、可能なかぎりのあらゆる措置をすみやかにとることを、強く求めるものです。
(5)安全な原発などありえない――これを許容していいのか
同時に、つぎのことも強調しなければなりません。それは、「安全神話」を一掃し、原発事故の危険を最小限のものとする最大限の措置をとったとしても、安全な原発などありえず、重大事故の起こる可能性を排除することはできないということです。
「安全神話」を一掃するということは、原発の危険性を認めるということであり、過酷事故の起こる可能性を(確率の大小は別として)認めるということにほかなりません。そのことは、IAEA自身が、過酷事故が起こった場合を想定した対策を求めていることにも示されています。
政府が、今回の福島原発事故を「教訓」にして、あれこれの「対策」をとったことをもって、「これで原発は安全になった」という宣伝を繰り返すならば、またもや新たな「安全神話」の誤りに落ち込むことになるでしょう。
どんな技術も、歴史的・社会的制約のもとにあり、「絶対安全」ということはありえません。わけても現在の原発は、すでにみてきたように本質的に未完成で危険なものです。そして、ひとたび重大事故が起こった場合には、他に類をみない「異質の危険」が生じることも、いま私たちが体験させられていることです。
安全な原発などありえません。ひとたび重大事故が起きれば、とりかえしのつかない事態を引き起こす原発を、とりわけ地震・津波の危険の大きな国・日本において、私たち日本国民が社会的に許容していいのか。現在の原発と日本社会は共存しうるのか。それこそがいま、福島原発事故が突きつけている問題なのです。
2、原発からの撤退の決断、5〜10年以内に原発ゼロのプログラムを
福島原発事故が明らかにした以上の事実をふまえて、わが党は、つぎのことを提案するものです。
(1)原発からの撤退の政治的決断をおこなう
日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退し、「原発ゼロの日本」をめざす政治的決断をおこなうことです。
原発からの撤退をどのくらいの期間でおこなうのか、日本のエネルギーをどうするのかについては、国民的討論をふまえて決定されるべきですが、まず必要なことは、原発からの撤退という大方向を、国民多数の合意とし、政府にその決断を迫ることです。
(2)5〜10年以内を目標に原発から撤退する計画を策定する
日本共産党は、5〜10年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定することを提案するものです。
すでにのべた日本で原子力発電を続けることのあまりに巨大な危険を考えるならば、できるだけすみやかに原発から撤退することが強く求められます。同時に、電力不足による社会的リスクや混乱は避けねばなりません。また、CO2(二酸化炭素)などの温室効果ガスによる地球温暖化を抑止するという人類的課題もあり、安易な火力発電などに置き換えるやり方をとるべきではありません。そのためにも自然エネルギーの本格的導入と低エネルギー社会への転換にむけて、あらゆる知恵と力を総動員し、最大のスピードでとりくむ必要があります。こうした立場から、5〜10年以内を目標にした撤退プログラムを策定することを提案するものです。
日本の総発電量(企業などの自家発電も含む)に占める原子力発電の割合は25・1%(2009年度実績)です。例えば、5〜10年の間に、電力消費量を10%程度削減する、そして、現在の総発電量の9%程度(大規模水力を除くと1%程度)の自然エネルギーによる電力を2・5倍程度に引き上げることができるなら、原発による発電量をカバーすることができます。
現在の原発以外の総発電量は、バブル経済だった1990年度の原発を含めた総発電量と同じ水準です。また、現時点で、日本にある54基の原発のうち稼働しているのは3分の1にすぎません。夏場の電力消費のピーク時への対応などが必要ですが、原発からの撤退は、無理な課題ではありません。撤退という決断をしてこそ、自然エネルギーの開発・普及と低エネルギー社会に向けた本格的なとりくみをすすめることができます。
(3)「原発ゼロ」にむけ、原発縮小にただちに踏み出す
原発の新増設の計画を中止・撤回するとともに、危険がとくに大きい原発の廃炉などをすみやかに決断、実行していきます。
●福島原発、浜岡原発は廃炉、プルトニウム循環方式からの撤退……福島第1・第2原発はすべて廃炉にします。東海地震の震源域真上にある浜岡原発は、一時停止ではなく永久停止、廃炉にすべきです。青森県六ケ所村の「再処理施設」を閉鎖し、高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉にし、プルトニウムを燃料とするプルサーマルを中止し、プルトニウム循環方式からただちに撤退します。
●老朽化した原発の危険な「延命」をやめ、廃炉にする……原発の設計想定年数は30〜40年ですが、日本にある原発54基のうち、すでに運転開始から40年をこえた原発が3基(敦賀1、美浜1、福島第1・1)、30〜40年経過した原発は16基にのぼっています。世界で原発を廃炉にした平均年数は22年です。危険きわまりない老朽化原発の「延命」措置はただちに中止し、すみやかに廃炉にします。
●住民合意が得られない原発は停止・廃炉にする……福島の事故は、全国の原発の地元住民と自治体に大きな衝撃を与えています。どの程度の地震、津波を「想定」しているのかをはじめ、それぞれの原発のもつ潜在的危険性とその対策について、住民にきちんとした説明をするのは、国と電力会社の最低限かつ緊急の責務です。また、「安全神話」によって、原発周辺の自治体には、福島で現実となった20キロ圏、30キロ圏の避難や屋内退避などを想定した防災計画や訓練がいっさいおこなわれていません。これらが現実になったとき、住民はどうするのか、避難は可能なのかなども検討し、明らかにされなければなりません。定期点検や地震・津波で停止中の原発について、地方自治体の首長からは“福島原発事故の原因と教訓をふまえた基準での安全審査・対策強化なしに、再稼働は認められない”という立場が相次いで表明されています。こうした問題を含めて、地元住民の合意が得られないのであれば、その原発は、停止・廃炉にします。
(4)危険を最小限にする原子力の規制機関をつくる
日本各地の原発停止から廃炉までには、一定時間がかかります。その間、事故の危険を最小限のものとするための、考えうるかぎり、可能なかぎりの安全対策をとるとともに、そのための強力な権限と体制をもち、推進機関から完全に分離・独立した規制機関を緊急に確立することを要求します。そのために、日本がもつ専門家、技術者の力を、総結集することが必要です。
原発は、運転停止後も、廃炉までに20年程度かかると言われています。その過程で放射能が外部に流出しないよう最大限の努力が必要です。さらに、「使用済み核燃料」の処理技術を確立し、処理作業が終了するまで、きわめて長い期間、核廃棄物を環境から厳重に隔離し、監視することが求められます。強力な権限と体制をもった規制機関の確立は、そのためにも必要です。
なお、原発からの撤退後も、人類の未来を長い視野で展望し、原子力の平和的利用にむけた基礎的な研究は、継続、発展させるべきです。
3、自然エネルギーの本格的導入と、低エネルギー社会に、国をあげたとりくみを
原発からの撤退と同時並行で、自然エネルギーの本格的導入と、低エネルギー社会にむけて、国をあげたとりくみをおこないます。
(1)自然エネルギーの大きな可能性に挑戦する
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日本の自然エネルギーは、大きな可能性を持っています。
現在の技術水準や社会的な制約なども考慮し、実際のエネルギーとなり得る資源量(エネルギー導入ポテンシャル)は、太陽光、中小水力、地熱、風力だけでも、20億キロワット以上と推定されています(環境省など)。これは、日本にある発電設備の電力供給能力の約10倍、原発54基の発電能力の約40倍です。原発の発電能力は全体で4885万キロワットですが、太陽電池パネルを全国的規模で公共施設や工場、耕作放棄地などの低・未利用地に設置すれば1億〜1億5000万キロワット、洋上風力発電では6000万〜16億キロワットの導入ポテンシャルがあると推計されています。この豊かな可能性を現実のエネルギーとして実用化するとりくみをすすめます。
世界の自然エネルギーの発電設備容量の合計は、2010年に3億8100万キロワットとなり、原発の発電容量(3億7500万キロワット)を追い抜きました。原発を2022年までに全廃することにしたドイツでは、発電にしめる自然エネルギーの割合を、現在の16%から、2020年までに35%、50年までに80%にする「エネルギー基本計画」を閣議決定しています。
日本の自然エネルギーの技術は、世界でも先進的なものであり、日本の技術を使って日本よりはるかにすすんだ自然エネルギーのとりくみをおこなっている国も少なくありません。今後、5〜10年の間に、総発電量の25%をしめる原発をゼロにし、自然エネルギーへの置き換えと低エネルギー社会へのとりくみで、総発電量の2〜3割程度を自然エネルギーにするという目標は、日本の技術水準からみても、世界の国々での自然エネルギーへのとりくみからみても、けっして不可能なことではありません。
日本の問題は、電力需要も、温室効果ガス対策も、原発に依存し続けてきた政治の遅れにこそあります。この5年間に原子力対策には2兆円以上の税金がつぎ込まれてきましたが、自然エネルギーは6500億円にも達しません。予算上でも重点施策とし、産業界、学界など民間との協力体制も強化するなど、国をあげたとりくみをすすめることを、強く求めていこうではありませんか。
(2)新しい仕事と雇用を創出する本格的なとりくみを
自然エネルギーの本格的導入は、エネルギー自給率を高め、新たな仕事と雇用を創出し、地域経済の振興と内需主導の日本経済への大きな力にもなります。
いま、大企業から中小企業、NPO法人まで多様な事業者が自然エネルギー事業に参入する動きが急速に広がっています。それぞれの地域に固有のエネルギーを活用するために、小規模な事業を無数に立ち上げていくことが求められますから、仕事おこし、雇用創出にも大きな効果があります。
“町おこし”として、太陽光、小水力、木質バイオマス、風力などの自然エネルギー開発をすすめ、電力自給率27%をさらに高めようとしている高知県梼原(ゆすはら)町や、電力自給率160%を達成した岩手県葛巻町のような先進例もうまれています。
原発の立地市町村で、先進的な自然エネルギー開発をすすめ、新しい仕事と雇用を創出していくことも必要です。現行の原発立地自治体への交付金などを、こういうとりくみを支援するものに改善し、自然エネルギー開発と地域の雇用創出を促進していきます。
自然エネルギーによる電力の買い取り制度を改善し、固定価格での全量買い取りをすすめます。風力発電による健康被害などを起こさないように環境基準の設定や環境アセスメントを実施するなどの対策もすすめます。
(3)低エネルギーの社会へ――エネルギー浪費型社会からの転換を
エネルギー消費削減のカギは、「大量生産、大量消費、大量廃棄」、「24時間型社会」などのエネルギー浪費社会の抜本的な見直しをすすめることです。
いまの日本社会は、工場では昼夜交代での連続作業がおこなわれ、あらゆる分野で夜中まで働かせる社会になっています。民間や公共でも、夜遅くまでサービスを提供することが「消費者のニーズ」に応える「良い事業者」であるかのようにされてきました。夜中まで働く人が増えれば、商業や交通などの「夜間サービス」も拡大し、さらに深夜労働とエネルギー消費が増えます。長時間労働、深夜労働、不規則勤務などと、エネルギー消費増大の「悪循環」です。こうした社会のあり方を見直すことは、低エネルギー社会への転換にとっても必要です。
低エネルギー社会は、「がまんの社会」ではありません。人間らしい働き方と暮らしを実現し、真にゆとりのある生活を実現することこそ、低エネルギー社会にむけた大きな第一歩になるのです。
“原発からの撤退”の一点での共同をひろげよう
福島原発の大事故を経験して、日本でも、世界でも、原発撤退を求める声が大きく広がっています。ドイツ政府は、2022年までに原発から全面撤退することを決定し、発電量の40%を原発に依存しているスイスも撤退を決めました。
大事故を起こした当事国である日本がどうするのか、世界が注目しています。民主党政権は、「最高水準の原子力安全を目指して取り組む」とするだけで、原発からの撤退も、縮小する方向すら打ち出していません。原発を推進してきた自民党や公明党は、政府の事故後の対応のあれこれを追及し、「政争」にしようとするだけで、国民をあざむいてきた「安全神話」への反省もなく、原発・エネルギー政策をどうするのかについて、まともな提案をしようとする姿勢がありません。
福島原発の大事故と福島県民をはじめ国民への甚大な被害、多大な経済的損失を目の当たりにしながら、いまだに原発と「安全神話」にしがみつく――こういう勢力を包囲し、原発からのすみやかな撤退と、エネルギー政策の転換を実現していくためには、国民的な世論と運動をいまこそ高めることが大切です。
いま、多くの国民のなかで、このまま原発を続けていいのかという、真剣な模索と探求が広がっています。若い世代や広範な人たちが声をあげ、新しい運動の波が起きています。原発からの撤退を求める国民的な世論と運動の力で、歴史的な転換を実現する条件と可能性は大きく広がっています。国民のあいだで対話と共同をひろげ、“原発からの撤退”という一致点での国民的合意をつくりあげようではありませんか。
日本共産党は、一貫して原発の建設に反対し、「安全神話」を告発し、原発依存からの転換を求め続けてきた政党として、また、原発建設反対や安全を求める幅広い住民との共同を全国各地ですすめてきた政党として、原発からの撤退を決断し、自然エネルギーの本格的導入を求める国民的な運動の先頭にたって奮闘する決意です。