2011年7月17日(日)「しんぶん赤旗」
新しい情勢のもと、新しい対話と共同を広げよう
全国革新懇30周年 志位委員長の記念講演
日本共産党の志位和夫委員長は16日、全国革新懇結成30周年・第31回総会で「新しい情勢のもと、新しい対話と共同を広げよう」と題して記念講演を行いました。
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原発建設もうたった「社公合意」の罪深さ
志位氏は冒頭、「30周年という節目の年に歴史を振り返ってみたい」と語りました。
全国革新懇誕生のきっかけは1980年1月、社会党と公明党が結んだ「社公合意」でした。共産党、社会党、幅広い団体・個人が参加して発展していた統一戦線運動を断ち切り、「共産党排除」「日米安保容認」「自衛隊容認」を決めた政権合意です。
志位氏は「社公合意」に、原発についての合意もあったと指摘しました。「(原発)建設については、民主的な手続きによる厳格な安全審査と環境アセスメントをもとに関係地域住民の合意を前提とする」とし、条件が整えば建設を進める立場を表明したものです。
“すぐに増設するのではない。連合政権ができた段階であらためて協議する”とのただし書き付きでしたが、「社会党がこうした方向にかじを切ったことは重大でした」と志位氏。79年のスリーマイル島原発事故以来アメリカで新規着工がストップする中、70年代末の21基から現在の54基に原発を大増設した日本の異常さの背景には「社公合意」も働いていたと強調しました。
志位氏は、「社公合意」の罪深さは日本の政治を「オール与党」化させただけでなく、「共産党排除」をテコにさまざまな国民運動を分断させたことだと指摘しました。当時、いったんは統一集会がもたれていた原水爆禁止世界大会からの総評・原水禁の脱落、労働戦線の右翼的再編、革新自治体つぶしなどの歴史を語りました。
こうした流れに抗して、平和・民主主義・生活向上の「三つの共同目標」を掲げてつくられた革新懇運動は「本当に勇気ある決断だった」と力説。30年間の発展ぶりを紹介し、運動に参加してきたすべての人びとに心からの敬意と感謝を表明しました。
「新しい対話と共同」の広がり
志位氏は、現在の「新しい情勢」の特徴は、2009年の「政権交代」を転機として、共産党を選択肢から排除する財界主導の「二大政党」づくりが深刻な行き詰まりに突き当たっていることだと述べました。自民党政治と「同じ道」に戻った民主党政権にも、政権攻撃に終始して展望を示せない自民党にも国民があきれ果てる中、保守といわれてきた人びとも含めて「新しい対話と共同」が広がりつつあると強調しました。
沖縄の島ぐるみのたたかい
「政権交代」後の「新しい対話と共同」の流れとして志位氏がまず詳しく述べたのは、沖縄のたたかいです。
普天間基地「県外、国外」移転の公約を覆し、沖縄県内への新基地建設という破たんした道に戻った民主党政権の裏切りに対し、県民的たたかいが起こりました。09年と10年の県民大会、革新懇主催で志位氏もパネリストになり「普天間基地の無条件撤去」を打ち出したシンポジウム、名護市長選での稲嶺進氏の当選、仲井真弘多知事も「県内移設反対」と公約せざるをえなくなった県知事選。これらを通じ「普天間基地の閉鎖・撤去」「県内移設反対」は島ぐるみの総意となりました。
志位氏は96年に基地たらい回しのSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意が結ばれたとき、共産党と革新懇は反対を貫いたが、沖縄県民のなかに分断が持ち込まれたことを振り返り、「いまや、この分断は過去のものとなりました。革新も保守も政治的立場の違いを超えて一つにまとまりました」と強調。沖縄県民の意思を全国民の意思にし、「基地のない沖縄」、「基地のない日本」、安保条約のない平和・独立の日本に道を開くたたかいをおこそうと呼びかけました。
「全方位外交」に変わった農協などとの共同
志位氏は、沖縄での変化と並行して「新しい対話と共同」の可能性を実感したのは、これまで保守の基盤とされてきた団体や個人の変化だと語りました。
09年10月、JA全中(全国農業協同組合中央会)は大会で、全政党に声を届ける「全方位外交」の方針を決議しました。初めて来賓として招かれた志位氏が農産物の輸入自由化反対の訴えをすると大きな拍手が起こり、国民新党の自見庄三郎幹事長(当時)は「自民党には拍手がなく、共産党に大きな拍手がある。時代は変わった」と発言しました。全国森林組合連合会の大会も「全方位外交」へと様変わりし、志位氏が招かれて「手を携え森の再生を」と語りました。
志位氏は、こうした共同がTPP(環太平洋連携協定)交渉参加反対のたたかいを通じてさらに強固なものになったと述べました。革新懇もTPP問題で100以上の学習会やシンポジウムに取り組み、全国で保守の人びととの共同を広げていると指摘し、「第1次産業の全分野との新しい対話と共同が始まりました。この流れを大いに発展させましょう」と訴えました。
大震災を通じて進む国民の探求
志位氏は、こうした変化の中、戦後最悪の大震災と原発事故を通じて国民の政治を見る目がもう一つ変化し、政治の真実はどこにあるかの探求が進んでいると述べました。
政府と宮城県は漁業再建の責任を果たさないばかりか、日本経団連などのシンクタンクが描いた青写真に沿い、大企業を沿岸漁業に参入させる「水産特区構想」押しつけの動きを進めています。
これに対し、宮城県石巻市では革新懇や共産党も参加した「復興支援県民センター」主催で漁業の未来を考える集いが開かれ、県漁協会長など広範な人びとが参加して「水産特区」押しつけ許すなの声をあげました。全漁連(全国漁業協同組合連合会)は「水産特区で浜の秩序を壊すな」と緊急全国集会を行い、志位氏も連帯のあいさつをして温かい拍手で迎えられました。
志位氏は大震災を通じて国民の空気が変わり、社会的連帯の流れが起こっていると強調。募金とボランティアの取り組み、公務員攻撃への反撃などをあげ、「新しい対話と共同を大いに進めましょう」と呼びかけました。
「原発ゼロの日本」へのたたかい
志位氏は、福島原発事故を通じて、「安全神話」のウソに隠されていた原発の危険を多くの国民が体験することになったと語りました。共産党がこれまで一貫して原発建設に反対し、「安全神話」のウソを厳しく追及してきたこと、この大事故を受けて従来の立場をさらに発展させ、原発からのすみやかな撤退を求める提言を発表したことを詳しく説明しました。
こうした中で、「7・2緊急行動」に2万人が集まり、「原発ゼロ」を掲げた初めての集会として画期的な成功をおさめたことにふれ、「国民的大討論と大闘争を起こすため、革新懇運動が大きな役割を果たしましょう」と力をこめました。
また、菅直人首相の一連の無責任な言動を厳しく批判し、国民のたたかいで「原発ゼロの日本」への道を開こうと訴えました。
「三つの共同目標」に未来がある
最後に志位氏は、こうした新しい情勢のもとで、革新懇運動の「三つの共同目標」にこそ日本の未来があることが浮き彫りになっていると述べました。
沖縄米軍基地、TPP、被災地復興、原発など、どの問題をとっても、アメリカと財界中心の政治でいいのかという問題にぶつかり、切実な国民の要求を実現しようとすれば「三つの共同目標」と響き合うと指摘。「革新懇運動を強く大きく発展させる時代がやってきました」と語りました。
志位氏は、地域革新懇とともに、職場革新懇、青年革新懇に力を入れたいと訴え、「全方位外交」の点で特に遅れているのが労働分野だと指摘しました。全労連は階級的・民主的ナショナルセンターとしてがんばっているが、連合がいまだに労資協調主義、特定政党支持という重大な弱点をもっており、「この分野での前進は日本社会の前途にかかわる大きな問題」と強調。すべての職場に職場革新懇をつくることに特別の力を入れようと呼びかけました。
志位氏がともにたたかう決意を述べると、会場は大きな拍手で応えました。