2011年8月6日(土)「しんぶん赤旗」
主張
広島・長崎66年
核兵器廃絶、被爆者援護求め
アメリカが広島と長崎へ原爆を投下してから66年を迎えます。
都市を焼き尽くし大量の市民の命を奪った原爆投下は国際的に許されない犯罪です。被爆者はいまなお放射能の被害に苦しんでいます。東京電力福島原発事故で放射線の被害に不安が高まるいま、核兵器廃絶とともに被爆者援護・連帯をかかげてきた原水爆禁止運動の意義が大きくなっています。
いまなお続く被爆の被害
1945年8月6日と9日、広島と長崎にそれぞれ投下された世界で初めての原爆の爆発と爆風、熱線、さらに原爆特有の放射線は、一瞬のうちに二つの都市を破壊し、その年のうちに20万人以上の命を奪いました。助かった人や救護のため入市した人たちも放射能の被害を受けがんや白血病などにおかされ、死の恐怖と向かい合う毎日を強いられています。
被爆者の高齢化は進んでおり、これ以上放置することは許されません。被爆者は核兵器の廃絶とともに、国家補償を求めてきました。政府の責任は明らかです。被爆者の願いに応えて原爆症認定基準を改めるとともに、一日も早い国家補償を実現することこそ、政府のつとめです。
原爆投下による悲劇を二度と繰り返さないために、核兵器の廃絶を求める国際的な世論と運動は前進しています。核兵器廃絶を正面から掲げた国際交渉、核兵器禁止条約の交渉開始をもとめる声は、国連総会でも、非同盟諸国会議などでも、大きく広がっています。日本原水協がよびかけた「核兵器全面禁止のアピール」国際署名も内外の賛同を得て前進しています。ぜひともこの流れを実らせ、「核兵器のない世界」を実現していくことが、被爆者自身の願いに応えることにもなります。
日本国民は広島・長崎の被爆の後も、太平洋上のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による「第五福竜丸」の被災を経験してきました。原水爆禁止運動は、被爆者援護とともに、核実験やチェルノブイリ原発事故など放射線被害に苦しむあらゆる人々との連帯、被害の根絶を訴えてきました。
東京電力福島原発の炉心溶融・爆発事故では、いまだに10万人近い人たちが避難を続け、放射性物質による農産物などへの汚染も広がっています。原発で働く人だけでなく、子どもたちなどへの影響も懸念されています。原発事故で原子力の危険が浮き彫りになり、国民の不安と関心が広がったことに応える国民的運動がもとめられています。
原発被害者とも連帯して
原水爆禁止運動は、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯などを一致点にした運動です。原発からの撤退の一点での幅広い共同もすすめられています。それぞれが、一致点にもとづいて幅広い共同をすすめることが重要です。
同時に両者に共通するのは、膨大な「死の灰」と放射線被害をもたらすことです。原発が軍事利用の転用であったように、軍事が両者の出発点でもありました。
原発と人間社会が共存できないことがはっきりしたいま、原子力を大量殺りくに使う核兵器と人類が共存できないことは、いっそう明白です。
あらゆる放射線被害者への援護・連帯を発展させながら、核兵器禁止条約の実現にむけて前進することが期待されます。
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