2011年10月6日(木)「しんぶん赤旗」

「古典教室」不破社研所長の第8回講義

第3課 『空想から科学へ』(3章前半)

資本主義の根本矛盾


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(写真)講義する不破哲三社研所長=4日、党本部

 第8回「古典教室」が4日に党本部で開かれ、不破哲三社会科学研究所所長がエンゲルス『空想から科学へ』の第3章の前半部分を講義しました。

 第3章は、全体として資本主義が社会主義的変革に進む必然性はどこにあるのかを論じています。不破さんは「この章を二つに分け、きょうは資本主義が発展する段階から、矛盾が激しくなって没落へどう移っていくのかを勉強します」と語りはじめました。

 史的唯物論は社会変革を生産力と生産関係との矛盾から説明します。エンゲルスは、『資本論』第1部を読み込んで、いわば史的唯物論の応用問題として、この社会を発展から没落へと導く「資本主義の根本矛盾」の解明に意欲的に挑戦しました。

 不破さんは、「資本主義の根本矛盾についてのエンゲルスの見解は、レーニンも受け入れ、長く世界の定説でしたが、マルクスを深く読んでいくと、そぐわないところがあり、エンゲルスの試みはあまり成功していない」とのべ、「まずエンゲルスの見解を説明しながら、次にその見解のどこに問題があるのかを指摘し、最後にマルクスは『資本論』でどう説明したかを“三段重ね”で話したいと講義をすすめました。

エンゲルスの見解とその問題点を指摘

 不破さんは、『資本論』で詳述した、単純協業、マニュファクチュア、機械制大工業という、資本主義的生産発展の3段階について、日本の例も引きながらわかりやすく説明しました。

 資本主義になって、生産手段は社会的になり、生産力が飛躍的に発展したが、生産物の取得の仕方は古い小経営の時代のままで、個々の企業のもの、私のものとして扱われる――エンゲルスは、この取得方式に資本主義の生産関係の最大の特徴があるとし、そこから「社会的生産と資本主義的取得との矛盾」こそが「資本主義の根本矛盾」だと定式化しました。

 そして、この根本矛盾の第一のあらわれ(現象形態)が「プロレタリアートとブルジョアジーの対立」であり、第二のあらわれが「個々の工場での生産の組織化と社会全体での生産の無政府状態の対立」であると説明します。

 エンゲルスによれば、労働者階級の状態を悪化させるのも、恐慌を周期的に生みだすのも、すべて生産の無政府状態だということになります。その矛盾が頂点に達するのが恐慌です。

 恐慌は、生産力が「社会的生産力としての性格」をもつことを承認するよう社会に迫ります。

 この間、資本の側に、株式会社、トラストによる独占、さらには国有化といった変化が進みますが、これは資本が生産力の社会的性格や計画化の必要を認めざるをえなくなったことの現れです。しかし、国有化にまで進んだとしても、資本主義の枠内では問題の根本的解決にはなりません。

 こうしたエンゲルスの説明にたいして、不破さんはいくつかの疑問を投げかけました。

 まず最大の問題は、資本主義的生産の最大の秘密としてエンゲルス自身が第2章で「偉大な発見」と評価した「剰余価値」、つまり利潤第一主義の問題が、「根本矛盾」の定式の中にまったく出てこないことです。

 「プロレタリアートとブルジョアジーの対立」は、資本主義そのものの根本をなす対立だが、それが別のところにある根本矛盾の「現象形態」という位置づけでいいのか。労働者の状態悪化や恐慌など、資本主義の諸悪はすべて「生産の無政府状態」が根源だといえるか。不破さんの疑問は続きます。

 最近の身近な例として、東京電力など、電力会社が無政府状態どころか、競争のない完全独占の状態で営業しているのに、利潤第一主義の横暴が最もひどい経営体になっていることをあげました。

マルクス 『資本論』でどう論じたか

 では、資本主義の根本矛盾や恐慌の問題、資本主義の没落の問題を、マルクス自身はどう解説したのか――不破さんは『資本論』からの抜粋を読み上げながら、後半の講義をすすめました。

 まず恐慌の根拠と資本主義の根本矛盾について、『資本論』第3部の中の代表的な叙述にそって解説。その中で、資本主義的生産の真の制限が資本そのものにあり、資本とその自己増殖、つまり剰余価値をうみだすことが生産の「出発点」であり「終結点」で、そこに資本主義のあらゆる経済活動の「規定的目的」「推進的動機」がある――マルクスはそのことを『資本論』のいたるところで書いていると強調しました。

 資本には、生産過程では労働者への搾取の強化に努めるが、市場で商品を売る相手としては労働者の消費購買力ができるだけ大きいことを望むという矛盾があるとのべた上で、「この問題では、マルクスの二つの名文句がある」と紹介。「現場での搾取の条件とこの搾取の実現の条件とは違う」「資本にとって、労働者は、商品の『買い手』と労働力の『売り手』の二つの顔がある」と語りました。

 今の日本では、モノが売れず、低賃金で国民の購買力をせばめて景気の悪循環に陥っているのも、この矛盾からだと説明し、アメリカでの例としては、資本が労働者に借金をさせてまでモノを買わせ、破たんし、恐慌の引き金となった「リーマン・ショック」に言及。住宅価格の上昇をあてにして、支払い能力のない労働者にローンを組ませて住宅を売りつけ、借用証書を金融商品にして世界中にばらまき金融破たんとなったことを振りかえり、「ここにも資本主義の根本矛盾がある」と語りました。

 不破さんは、剰余価値を増やしたいのが資本の本性であり、その本性から、資本は、剰余価値の増大をめざして、生産の無制限の拡大へと突き進む衝動をもっているが、その衝動は、生産者大衆の収奪と貧困化という土台の狭さとぶつからざるをえなくなる――マルクスは、ここに恐慌の大もとの根源をみると同時に、そこに資本主義的生産様式の「恒常的矛盾」を見たのだと指摘しました。この矛盾はいま、生産の無制限の拡大の結果、地球環境を壊すところにまできているのです。

 「資本主義の没落の必然性」について話をすすめた不破さんは、『資本論』第1部の結論的な部分――マルクスが資本主義の歴史的決算をのべた文章にすすみました。

 資本主義が自分の足で立つようになると、労働者の搾取、小生産者が収奪されるだけでなく、中小の資本家がつぶされのみ込まれる資本家の収奪によって、資本の集中がいっそうすすむと話しました。

 ますます増大する規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、労働手段の共同的にのみ使用されうる労働手段への転化など資本の側の変化とともに、資本主義的生産の発展のなかで訓練され、結合され、組織され、社会を変革する主体的な力量を高めて成長していく労働者の側の発展を、マルクスが『資本論』の中で綿密に追究していると強調しました。

 社会化した生産手段を現実に動かし、生産の担い手となっているのは、労働者の集団です。そこでは、社会変革の後に名実ともに生産の主人公となる力が育っているのです。昔は、生産の指揮・監督は資本そのものの機能でしたが、今日ではその仕事まで、労働者の一部が引き受けるようになり、いまや資本家は生産過程でますます無用の存在になっています。

 不破さんは、そのもっとも極端な例として、金融中心の逆立ち現象がすすんだアメリカでは、経営の最高指導部が、株価の動きには関心を集中するが、現場の生産活動には興味も知識も失ってきた、といわれていることを紹介しました。

 そして、『資本論』第1部の有名な最後の部分――「資本独占は、…この生産様式の桎梏(しっこく)となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される。資本主義的私的所有の弔鐘(ちょうしょう)が鳴る。収奪者が収奪される」――を読み上げました。

 「この外被は粉砕される」というところには、社会変革は経済の自動作用ではおこらない、変革の主体である労働者が自覚的に立ち上がり、主体的力量をたかめてこそ、社会変革はおきるという、『資本論』で分析した総括としてのマルクスの思いがこもっていると強調しました。

 最後に不破さんは、マルクスの時代から今日まで発達した資本主義国で、この外被を粉砕して社会主義革命を成功させた例はまだないとのべました。わが党の綱領には、「資本主義を乗り越えて新しい社会をめざす流れが成長し発展することを、大きな時代的特徴としている」と書いてあることを紹介して、「わが国が、われわれの努力で、発達した資本主義国での(資本主義的外被を粉砕する)トップをすすめるように、お互いに努力したいと思います」と講義を締めくくりました。


「資本主義」と命名したのは

 「資本主義」という言葉を命名したのがマルクスであることは、あまり知られていません。マルクスが『経済学批判』を書き終え『資本論』にいたる次の草稿を書く準備段階のノートではじめて使い出した用語です。

 その後、インタナショナル(国際労働者協会)の討論での発言や決議の中で使ったことはありますが、資本主義というこの言葉が、最初に活字になったのは『資本論』です。それでパーッと広がり、どんな立場の人であれ使っています。

 不破さんは「そういう“色のついた”言葉だと知らないで『わが日本の資本主義…』と資本家が使うんですね」と言って、会場の笑いをさそいました。





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