2011年10月26日(水)「しんぶん赤旗」
チュニジア制憲議会選 開票
穏健イスラム 第1党へ
テレビ局報道 得票率45%を獲得
【チュニス=伴安弘】チュニジア制憲議会(定数217)選挙は開票が進み、25日までに穏健イスラム政党「アンナハダ」(再生)が4割以上を得票し、第1党となりました。選挙は公正に実施されたことが確認されており、ベンアリ前政権が民衆のデモで崩壊してから9カ月後、チュニジアは新しい国家として再出発します。
選挙委員会が24日に発表した公式の中間集計結果でアンナハダの得票率は35%でしたが、中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると、その後の開票で45%となっています。
同党は中間集計結果を受けて勝利を宣言。報道官は「チュニジア国民はベンアリ独裁政権に反対し民主主義を求めてたたかってきた諸政党に投票した。これらの政党の先頭に立ってきたのがアンナハダ党だ」と述べました。
同党は複数政党制、宗教と政治の分離、市民国家を主張、イスラム教を国教と規定している現憲法の条項を維持するよう求める一方、シャリア(イスラム法)の導入は求めていません。
公式発表で、第2党は共和国会議(CPR)で得票率15%、第3党が「労働・自由民主フォーラム」(FDTL、通称エタカトール)となっています。選挙前の予想で第2党となっていた中道左派の進歩民主党(PDP)は敗北を認めました。
選出された制憲議会は新憲法の起草委員会を設立し、同時に現在のカイドセブシ移行政権に代わる暫定政権と暫定大統領を選出します。1年後に国民投票で新憲法が制定された後、新政権樹立のための総選挙が実施されます。
アンナハダ党 1981年に「イスラム潮流運動」の名称で創立され、89年に現在の党名に変更。党首は今年3月に海外亡命から帰国したラシェド・ガンヌーシ氏。87年にクーデターで政権を握ったベンアリ前政権下、89年の総選挙で第2党となりましたが、脅威を感じた同政権によって迫害を受けました。
解説
リベラルな政策に支持
チュニジアの制憲議会選挙で穏健イスラム政党「アンナハダ」が第1党になった理由として、国民の98%がイスラム教徒(スンニ派)で、イスラム政党が受け入れられやすかったことがあります。
さらに同党が主張する「穏健化」が、ベンアリ前政権以前から同国で進んでいた「西欧化」「世俗(非宗教)化」政策と矛盾しないことも支持された要因といえます。
チュニジア大学のサレム・ラビアド教授(政治社会学)は、同党の政策「365項目」に「シャリア(イスラム法)への言及はなく、イスラムの言葉も使われていない。政策はリベラルで、イスラム的ではない」と指摘しています。
ただ、シャリアを国の法律とすると宣言したリビアなど、中東全体のイスラム主義の台頭の影響を受けてアンナハダの党員の中にも急進化する動きが出る可能性も指摘されています。
一方、中道左派政党は伸び悩みました。その理由の一つとして、これらの政党がベンアリ前政権と同じような調子で、アンナハダ党やその他のイスラム系運動を批判したことがあります。イスラム教を冒とくしたとされる映画の放映問題でイスラム教徒と対立し、その怒りを買ったこともあるとみられます。 (チュニス=伴安弘)
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