2003年1月29日(水)「しんぶん赤旗」
〈問い〉戦前の女性は参政権どころか政治集会の参加も禁じられたという話を聞きましたが、本当ですか。(東京・一読者)
〈答え〉 国民の政治活動を敵視してきた戦前の天皇制政府は、女性の政治参加には、特に厳しい弾圧を加えました。選挙権などの参政権を奪ったうえに、政治結社への加入も、政治集会への参加も禁止しました。のちに政治集会の参加だけは認められますが、女性の政治活動禁止が完全になくなるのは戦後になってからのことです。
女性の政治活動を明文で禁じた最初の法律は、一八九〇年の「集会及政社法」とされます。警察が政治集会を監視し、演説内容にも介入した法律の流れをくむものです。同法は▽政治集会を主催できるのは選挙権などをもつ成年男子のみ(第三条)▽政治集会に参加できない者に「女子」を明記(第四条)▽女性は政治結社にも加入できない(第二五条)―と定めました。
これらの内容は、社会主義者や労働組合運動を弾圧した「治安警察法」(一九〇〇年)の第五条に引き継がれます。政治結社への加入を禁止される者の中に「女子」をかかげ、「女子及(および)未成年者は公衆を会同する政談集会に会同し若(もしく)は発起人たることを得ず」として、集会の主催や参加も禁止しました。
しかし治安警察法の制定直後には、堺利彦(のちの日本共産党創立者の一人)、幸徳秋水などが結成した平民社の改正運動がありました。一九二〇年代には平塚らいてう、市川房江などが設立した新婦人協会が運動を広げます。その中で、二二年に政治集会への女性の参加を認める部分改正が実現しました。また一九二二年創立の日本共産党は、当初から「十八歳以上のすべての男女にたいする普通選挙権」などをかかげ、弾圧に抗して活動を続けました。
これらの運動は一九四五年十一月の治安警察法廃止、同年十二月公布の衆院選挙法改正による女性の選挙・被選挙権実現などに結実しました。
(博)
〔2003・1・29(水)〕