2003年3月3日(月)「しんぶん赤旗」
サラリーマン、退職者の医療費自己負担を四月から三割にして一・五倍にする政府・与党の負担増計画にたいして、実施凍結を求める世論と運動が広がっています。これに対し小泉首相や自民・公明連合は「凍結したら医療保険財政が破たんする」「医療費が払えなくなる」と国民を脅し、凍結の動きを抑えつけようと躍起です。
政府・与党は値上げの理由として「国民皆保険制度を維持しなければならない」などといいます。しかし、高い保険料を払ったうえに、医療費を三割も自己負担するのでは、保険制度への信頼をみずから崩すものです。
医療費の値上げは、何よりも必要な受診を抑制して、治療を中断させ、国民の健康の悪化につながります。
一九九七年に健保本人の自己負担が二割に引き上げられたために、病気の自覚症状がある人のうちの13%、二百八十万人が医療を受けず、がまんを余儀なくされる事態が生まれました。これが三割負担になったら、さらに深刻な受診抑制が広がることは明らかです。
必要な治療を抑えたり、中止することは、病気の「早期発見・早期治療」を困難にします。ぎりぎりまでがまんして、病気が重くなってから医療にかかることになれば、かえって保険財政を悪化させます。
自己負担限度額を超える高額になった場合、その分は全額保険から給付されるという高額療養費の制度があります。つまり、病気が重症化した場合の対応措置です。
二割負担の政府管掌健康保険(中小企業の労働者が加入)でこの高額療養費を使っている人は、百人あたり約三件。これに対し、三割負担の国民健康保険(自営業者が加入)では、高齢者分を除いても百人あたり約十八件で、ほぼ六倍にもなっています。三割負担が重く、医者にかかれないことの影響が表れています。負担増で重症化し保険からの支払いが増えれば、制度は「持続可能」どころか「持続不可能」となります。
今日の医療保険財政の赤字をつくっている原因、その責任はどこにあるのでしょうか。
まず、長引く経済の低迷のもとで、保険財政を支える労働者の賃金が下がり、リストラで加入者が減り、収入が減っていることが原因です。
政管健保では一九九八年度から〇一年度まで四年連続で加入者が減少し、二千四万人から千九百五十六万人に約四十八万人減っています。賃金も下がっているため、加入者が支払う保険料算定の基準となる平均標準報酬月額は九九年度から三年連続で後退し、二十九万八百円が二十八万九千百円に約千七百円下がりました。その分だけ保険料収入が減少しました。(社会保険庁の政管健保〇一年度収支決算から)
一方、加入者一人当たりの医療費支出は、ピークだった九六年度と〇一年度を比べると、約二万円減っています(二十一万二千円が十九万二千円に、同)。
このように政管健保の赤字は、医療費が増えているからではなく、小泉内閣の「不良債権早期最終処理」方針のもとで不況が加速し中小企業の倒産、失業が増大して賃金が低下していることが最大の原因です。大企業の労働者が加入する組合健保でも共通した傾向です。
健保三割負担実施は、個人消費をさらに後退させて不況に拍車をかけ、一時的には保険料収入が増えても、結局、健保財政をさらに悪化させるものです。
保険財政の赤字のもう一つの原因は、医療保険への国庫補助をどんどん減らしてきたことです。(グラフ1)
一九九二年に政管健保の黒字を理由に、国庫補助率を16・4%から13%に3・4%引き下げました。当時、厚生省幹部はこれを「当分の間の暫定措置」「万一財政状況が悪化した場合の措置については、必要に応じて国庫補助の復元について検討させていただく」(九二年三月十日衆院厚生委員会、黒木武弘事務次官)とのべ、「復元」を約束していました。
その直後、バブルが崩壊し政管健保は赤字になりましたが、政府は約束を破り元に戻しませんでした。その結果、〇二年度までの十一年間の累計でみると、約一兆六千億円もの国庫補助が削られてきたのです。
小泉首相は「国保はすでに三割、それにあわせる」といって健保三割負担を合理化しています。しかし、一九八四年に健保本人負担(経過措置で一割導入、九七年から二割に)を導入したときに、「国保が高すぎる」という声に押されて、政府は国保を二割負担に下げて健保と「公平化」を図ることを国会で約束していました。
当時、自民党・橋本龍太郎衆院議員(のちに首相)が「国民健康保険の被保険者の給付割合を八割とするよう必要な措置を講ずる」という二割負担に下げる「修正案」を国会に提案(八四年七月十二日)。同案が可決され、健保法付則に書き込まれました。
「三割にならえ」でなく、国保を「二割に引き下げる」ことが国民への公約なのです。
こうした医療保険財政の赤字の原因、責任をみるならどう対応すべきかは明らかです。
まず、13%に引き下げられた政管健保の国庫補助率を約束通り元の16・4%に戻し、国の責任を果たすことです(〇三年度分で約千四百億円戻る)。さらに九二年以来削減してきた国庫補助一兆六千億円を計画的に保険財政に組み入れれば、政府がいう「財政悪化分」を埋め合わせてもおつりがきます。
もともと国・地方の税収に占める社会保障の支出は、サミット七カ国で日本が一番少ない率(22%)です(七日の衆院予算委員会での志位和夫委員長質問)。他の国は三割、四割、五割、六割になるところもあります(グラフ2)。イタリア並みに一割上げれば、増税なしに社会保障を八兆円増やせます。
国・地方で公共事業に四十五兆円から五十兆円つぎこみながら、社会保障は貧しいという逆立ちを転換し、サミット諸国並みに社会保障に振り向ければ、財源は十分に生み出せます。
さらに医療内部の改革として、日本の高医療費の原因になっている薬剤費を欧米諸国並みに引き下げることです。薬剤費はアメリカの二倍から三倍です。大手製薬メーカーに大もうけさせている高薬価の構造に本格的なメスを入れるべきです。
一九九七年に当時の小泉純一郎厚相(現首相)が、健保三割負担案を盛り込んだ「二十一世紀の医療保険制度」を発表したとき、いま三割負担を推進する公明党はこう反対していました。
「お金が今までよりかかるからといって病院にいくのを手控えるようになれば、早期治療、早期快癒が可能だったものが重症になるまで放置されてしまうということにもなりかねず、かえって医療費の増大を招くことにもなりかねません」(公明新聞九七年八月十八日付「党員講座」)
負担増が重症化と「医療費の増大を招く」ことを認めていたのです。