2003年3月11日(火)「しんぶん赤旗」
小泉首相が先週の国会答弁で、イラク戦争に反対する世論の高まりについて問われ、「世論にしたがって政治をすると間違う場合もある」と発言。新聞も「日本政府の方針と世論が大きく食い違ったままでいいのだろうか」(「毎日」六日付)と指摘するなど、戦争反対の世論を軽視するものだと批判をあびました。
ところが、先週末の国連安保理でイラクへの査察を十七日で打ちきるとのアメリカ、イギリスなどの決議案が明らかになり、週末にかけ戦争反対の国際世論が一段と高まるなかで、各新聞も九日付でいっせいにこの問題を社説や主張に取り上げましたが、全国紙で戦争反対を正面に掲げたものは一つもありません。
立場が鮮明なのは、「読売」や「産経」です。「読売」の社説「安保理決議一四四一への違反は明白だ」や、「産経」の主張「期限付き修正案支持する」は、あからさまに米英の新決議案を支持しています。「読売」社説は米英の決議案が「事実上武力行使を容認する内容だ」と認めていますが、それを知りつつ決議案を支持するのは、イラク攻撃を認めることです。米英を支持する小泉内閣同様、戦争反対の国民世論との対決は避けられません。
「毎日」の社説「安保理の空中分解を避けよ」と「日経」の社説「安保理は合意努力尽くし圧力を強めよ」に共通しているのは、国際社会の合意抜きにはイラクの大量破壊兵器問題は解決しないという認識ですが、査察の継続・強化によって問題を平和的に解決すべきなのか、それとも米英が求めるように査察を打ちきり戦争を始めていいのかという肝心の問題には答えていません。これでは、現実に切りこまない、力のない議論といわれても仕方がないでしょう。
一方、「朝日」の社説は、「戦争ではなく査察の継続こそが妥当な選択」と一応断りをいれていますが、「米国が軍事力を行使するとなれば、止められる国家も国際機関もない」と書き、せめてイラクのフセイン大統領が退陣してくれればと結論づけています。「朝日」は二月十八日付の社説では「イラク戦争に反対する」と主張していました。それなのになぜこの肝心なときに戦争反対を正面から掲げないのか。国民世論との乖離(かいり)は明らかです。
イラクでの戦争にたいしては、最新の「毎日」調査で攻撃反対が84%を占める(三日付)など、国民の圧倒的多数が戦争に反対し、平和的解決を求めています。先週末東京で四万人以上が参加した「ワールド・ピース・ナウ」の行動や各地の国際婦人デーの行動にも、その思いは示されました。新聞はなぜそうした世論に向き合わないのか。これではとても民主主義社会での国民の「知る権利」の担い手(「新聞倫理綱領」)とはいえません。
内外の世論に正面からこたえない新聞の立場は、外部の執筆者による論評にも見られます。たとえば「毎日」は「時代の風」というコラムに東大教授を登場させ、「武力行使の『比較考量』」と題して、武力行使しない危険よりはしたほうがいいし、武力行使したアメリカを支持しない危険よりは支持したほうがいいなどと語らせています。
しかし、人類が幾多の犠牲のうえに築き上げ、国連憲章などに体現されている平和のルールに照らして、武力行使は正しいといえるのかといった根本問題をわきにおいて、単純な「比較考量」で物事を決めようという立場に合理性はありません。それはなにより、国連の内部報告でも犠牲者が五十万人にのぼると予想している、イラク戦争によって失われる人命の重さを軽視するものです。(宮坂一男記者)