2003年3月19日(水)「しんぶん赤旗」
だれが見ても、どこから見ても、正当化できるものが何一つない不条理な戦争―小泉純一郎首相が、そんな「ブッシュの戦争」につき従うことになれば、国連憲章に示された平和のルールをふみにじる無法者の立場に、みずから身を置くことになります。
日本には、国際ルールを先頭に立って守り、戦争によらない平和的解決を追求する国際的責務があるはずです。過去の侵略戦争への反省のうえにたって制定された日本国憲法は、戦争放棄を宣言し、国際紛争を解決する手段として、武力行使を「永久に放棄する」など、徹底した平和主義の精神で、世界の平和に貢献することを国是としているからです。
イラク問題についていえば、本格的軌道に乗りつつある査察による解決という道を粘り強く追求することが、その唯一の道であることは、国連の舞台でも、国際世論の面でも明らかです。
ところが、日本政府がやってきたことは、まったく逆のことです。小泉首相は十八日の会見で、「日本はいままで国際協調のもとに平和解決をめざし、独自の外交努力を続けてきた」とのべましたが、「国際協調」の名でやってきた「外交」の実際は、査察による平和解決の道を断ち切るための対米支援でしかありませんでした。
そして、戦争か平和かという決定的局面を迎えても、この態度を変えることはせず、「すでに前から(米国を)支持している」(小泉首相)という思考停止状態のまま、ついに米国の無法な戦争計画に「支持」を明言するにいたったのです。
国連憲章は、戦争を違法とし、国際紛争はあくまで平和的手段で解決することを大原則としています。例外として認める武力行使は、武力攻撃を受けた場合の自衛の措置と、平和に対する脅威や破壊に対する集団的措置として国連安保理が決定する行動に限られています。米国が計画する対イラク戦争が、いずれにも当たらない無法な戦争であることは、だれの目にも明らかです。
武力行使の正当性について問われた小泉首相は、国連安保理決議一四四一を持ち出しました。政府自身が、「米国の代表も、武力行使に関する隠された引き金も自動性も含まれていないとのべているので、そのように理解している」(福田官房長官)といっていた決議一四四一がなぜ、武力行使正当化の根拠になるのか。こんなでたらめな説明しかできないところに、この戦争の無法ぶりが示されています。
「世論に従って政治をすると間違う場合もある」―こう語っていた小泉首相は、その言葉どおり、イラク戦争に反対する世論とは、逆の方向につき進んでいます。
イラク戦争に反対する人たちは、イラクを正しいと考えているわけではありません。なかには、政府が強調する「日米同盟」を支持する人もいるでしょう。それでも、米国のイラク戦争に反対するのは、人類が積み上げてきた平和のルールをぶち壊す無法がまかり通っていいのかという思いがあるからです。
世論の動向もまた、この戦争の無法ぶりと無謀さを映し出しているのです。
「日米同盟」を口実にこうした無法に目をつぶるのなら、それこそ日本を間違った方向に導くことにしかなりません。日本政府がこれ以上過ちを重ねるなら、歴史に汚点を、将来に重大な禍根を残すことになります。