2003年3月25日(火)「しんぶん赤旗」
中央教育審議会(鳥居泰彦会長)は、教育基本法見直し答申に同法一〇条の「改正」を盛り込んでいます。政府が教育に「不当な支配」を及ぼすことを禁じ、教育行政の任務を教育の「条件整備」にあると規定した一〇条は、国家と教育の関係の基本原理を定めた教育基本法の根幹です。ところが、その「改正」は、まともな審議抜きで答申に入りました。
答申は、国が教育内容にも関与できることが「すでに判例により確定している」として、それを踏まえて教育行政の任務を書き直すといいます。教育行政の役割を拡大し、「必要な諸条件の整備」を踏み越えて、教育内容への介入を正当化することをねらっています。
一〇条は、戦前の教育行政のあり方への深い反省に立った条文です。戦前、教育は国家に支配され、教育の自律性はまったく認められませんでした。そうしたあり方が、教育を画一化し、教育・思想統制を可能にし、侵略戦争に国民を駆り立てたことを反省。人間の内面的価値に関する文化として、教育の自律性、自由を保障したのです。
この一〇条は、戦後、教育基本法をめぐる最大の論争点でした。教育の自律性を求める側と上から統制しようとする政府との間で、教育行政の教育内容への関与について、教科書検定の違憲性、学習指導要領の拘束力などが裁判で争われました。そのためかねてから「教育基本法『改正』論者の最大のねらいは一〇条」(堀尾輝久・教育法学会会長)とみられていました。
しかし、今回の中教審の審議で一〇条が議論になることはありませんでした。唯一、昨年六月の第九回基本問題部会の終了まぎわに、元文部事務次官の国分正明委員が「別件になるが」として、「一〇条は、教科書訴訟などでつねに争われてきたが、すでに最高裁の判断がある。それにそって条文を整理しなおすべきだ」とのべただけです。
ほかの委員が何か言うこともなく会議は終了。その後の会議でも何の議論もなく、この一回の発言で、一〇条「改正」が中間報告に滑り込み、答申に引き継がれました。
文科省の布村幸彦政策課長は、答申のいう“判例で確定”したものとは「旭川学力テスト裁判最高裁判決(一九七六年)の中の、『必要かつ相当』な範囲で国が教育内容にも関与できると認めた部分だ」と記者に答えています。
同判決は、一〇条を「教育と教育行政との関係の基本原理を明らかにしたきわめて重要な規定」で、行政の教育への介入を抑える規定だ、とのべています。また、国にも教育への一定の発言権があるが、国の権限はできるだけ抑制的であるべきだ、と国の関与にクギをさしています。
教科書裁判にかかわった新井章弁護士は「あの判決を踏まえるというなら、一〇条の重要性をのべた点こそ踏まえるべきだ。だいたい、判決理由に示された法の解釈は、将来の裁判官の解釈をしばる力を持たず、変更されうるものだ。それを『確定した』などというのは、判決の性質を知らない言い分だ」と厳しく批判します。
審議で、同判決はまったく検討されていません。それさえせず、教育基本法の根幹を変え、教育への政府の介入強化をねらうことは、あまりに姑息(こそく)で、恣意(しい)的なやり方です。