日本共産党

2003年3月26日(水)「しんぶん赤旗」

徹底検証

国連査察による平和的解決

米英はこうしてつぶした


 「世界を大きな危険から守る」。ブッシュ大統領は十九日のイラク開戦宣言でこう述べました。

 その直前、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長は安保理公式会合で、二カ月半に及んだ査察活動が米英などの一方的な宣言で断ちきられたことへの無念を述べました。「査察のための時間がもはや与えられていないことを悲しく思う」

 査察を通じてのイラクの大量破壊兵器問題の平和的解決。国連が追求してきた課題でした。イラク側の姿勢が協力的でない面もあった、米国が査察を通じてスパイ活動を試みるなどした…。さまざまな問題があります。しかし、昨年以来、とにかく査察は前進し、三月になって査察団が出した報告は、「あと数カ月査察を続けることで問題は解決」できるというものでした。

 この過程をすべてひっくり返して戦争を始めたのが米英です。その過程を振り返ると、米国がもっぱら査察の足を引っ張ることに集中し、その中で不法な戦争の準備を拡大してきた事実、そしてイラク侵攻を正当化する主張が査察によって次々に破たんし国際的孤立を深めたなかで、戦争に踏み込んでいった過程が浮かびあがります。(ワシントン浜谷浩司、外信部=伊藤元彰、島田峰隆、伴安弘)


 国連安保理が決議一四四一を全会一致で採択したのは昨年十一月八日。イラクの受け入れ表明をうけて査察活動が再開されたのは十一月末でした。

初報告時に打切り主張

 査察団が最初に正式の活動を安保理に報告したのは今年一月二十七日でした。ブリクス委員長は「イラク側が武装解除を真に受け入れるには至っていないようだ」と指摘しながら、「イラク側は査察に全体として協力的だ」と評価。査察は有効だと強調しました。

 核兵器開発の査察を担当するエルバラダイ事務局長は「イラクが開発計画を再開した証拠は得られていない」「査察を継続すれば数カ月以内に計画が存在しないとの確証を得られる」と報告しました。

 ところが米国はこの報告について「時間はあまりなく、イラクが平和を選択する時間は終わりに近づいている」(パウエル国務長官)と早くも査察の打ち切りを主張。ブッシュ大統領は翌日の一般教書の演説で、エルバラダイ報告で否定されたアルミ管の輸入問題を蒸し返し、核兵器開発のためだと主張しました。

ゲーム終了一方的宣言

 査察報告が意に添わなかったため、米国は二月五日、機密情報をもとにしたとするイラクの大量破壊兵器開発の「証拠」を安保理に提示しました。しかし確証となる証拠はなかったため査察の必要を逆に示す結果となりました。安保理の多数は国連の査察にゆだねるべきだと主張しました。

 ブッシュ大統領はしかし、「ゲームは終わった」と武力行使への決意を一方的に宣言しました。

査察や協力前進にも…

 二月十四日に査察団の追加報告がおこなわれました。ブリクス委員長はイラク側の協力がなお十分ではないとしつつも「原則として協力的」と評価を前進させ、今後も積極的で無条件の協力を得られるなら「査察は短期で終了できる」と査察継続の要望を示唆しました。

 追加報告はまた、米国が先にだした「証拠」写真は、「確証とはいえない」と判定。米国が新証拠としていた移動施設も「申告済み」の施設だと否定しました。これを受け各国の態度表明でフランスなどが「査察打ち切りは正当化できない」と強調。安保理十五カ国のうち十二カ国が査察の継続を主張しました。

 追加報告はまた、問題が指摘されてきたイラクの「アルサムード」2ミサイルについて「射程距離が百五十`を超す」と結論づけ、イラクに廃棄を要求しました。イラク側はこれに応じ三月一日から廃棄を始め、保有していた約百基のうち十六日までに七十基を廃棄しました。

 米国はこれにたいし「イラクの動きはすべてトリックだ。必要なのは査察強化ではない」(パウエル国務長官)と査察の即時打ち切りを主張しました。

新決議案の支持をえず

 こうしたなかで三月七日に安保理への査察団の定例報告が行われました。ブリクス委員長は査察活動の前進を詳述したうえで、「イラクが義務を順守しているかどうかの検証にはあと数カ月かかる」と述べ、査察継続を要望しました。エルバラダイ事務局長は「核開発を示す証拠は査察現場では一切なかった」と報告しました。安保理事国の多数が査察の継続を主張しました。

 ところが米国は英国とスペイン三国共同で、査察を打ち切り、武装解除の最終期限を三月十七日に一方的に区切った修正決議案を提出。中間派を含めた多くの国が反対し、採択に必要な九カ国の支持を得られなかったため、米英などは新決議案の採択を断念、安保理の承認がないままに二十日、無法な軍事攻撃を強行しました。


国連の舞台では米国は「敗北」

 「たとえイラクが国連の査察を受け入れてもフセイン政権は打倒する」(ブッシュ米大統領)。米政権は昨年一月の一般教書でイラクを「悪の枢軸」と敵視して以来、フセイン政権の転覆をめざしてきました。

世論が「待った」

 米国がイラク攻撃の根拠としてイラクと国際テロ組織との結び付きを示せないため、代わりに持ち出してきたのが大量破壊兵器の問題です。これを口実に国連決議なしでも軍事攻撃を正当化しようとしました。これに「待った」をかけたのが世界の反戦のたたかいです。ブッシュ大統領は九月十二日の国連演説でイラクへの武力行使の姿勢を示す一方で「必要な諸決議」のために安保理と協力するとのべざるを得ませんでした。そこには武力行使を国連で承認させる狙いも見えました。

 これについて、イラクは九月十八日、国連査察の無条件受け入れを表明。同月末には、四年ぶりの査察再開に向け査察団との間で実務協議が行われました。そのとき、パウエル米国務長官は、新たな安保理決議採択まで査察の再開は認めないとのべ、国連主導で査察が再開されるのを妨害したのでした。

 査察は大量破壊兵器の問題を平和的に解決する手段です。そのことを確認したのが安保理決議でした。イラクが協力すれば、たとえこの種の兵器を保有していても廃棄させればよいのであって、武力行使が入り込む余地はありません。国連決議作成で米国が狙ったのはイラクの「決議違反」を認定する項目や、イラクが査察に協力できないような項目を盛り込み、こうした違反を「根拠」に確実に武力行使容認の「結果」(バウチャー国務省報道官)をもたらす決議を作ることでした。

 十一月八日、全会一致で採択された安保理決議一四四一は、決議を拒否したり協力を拒否するなど「義務違反が続けば同国(イラク)は重大な結果に直面する」との項目を盛り込みました。しかし、決議違反の認定は安保理が決めることだとし、武力行使の「自動性」を排除しました。

違反の認定なく

 米国が決議受け入れそのものを拒否することを「期待」していたイラクはこの決議を受け入れました。このため、米国が「決議違反」を認定させるため力を入れたのは、査察によって大量破壊兵器の存在を示すこと、イラクの「協力拒否」を「証明」することでした。しかし、このもくろみはその後の国連の査察の進展によって失敗したのでした。

 ブッシュ政権が査察を妨害し、捨て去ったのは査察の進展自体が問題の平和的解決を内包していたからです。フセイン政権の打倒を終始追求していた米政権にとって査察の進展は容認できないものでした。査察をめぐる経過は、査察団と査察継続を主張する仏独、ロシア、中国などとの攻防での米国の敗北を意味していました。


査察妨害しながら戦争準備進める

 米国が国連による査察を妨害してきた過程は、米軍がイラク周辺に軍隊配備を拡大し、戦争準備をすすめてきた過程と符合します。

 ブッシュ政権高官が、イラクに対する先制攻撃論を公然と唱え、戦争準備を始めたのは昨年夏前。九月、ブッシュ大統領の国連演説の一方で、クウェートでは米海兵隊が軍事演習を開始します。そして、国連安保理が決議一四四一の論議をおこなっている最中、米国はカタールに中央軍前線司令部の建設に着手しました。

 安保理決議に基づく査察活動が始まった十二月初めには、イラク周辺のカタール、バーレーン、クウェート、洋上に配備された兵員数は三万に達します。一月二十七日の査察団の報告当時には、六万に達し、査察活動や安保理論議を無視して本格的な攻撃の準備がすすめられました。

 二月十四日に査察団が追加報告を行い査察継続を要求。安保理の大勢が継続に同意し、安保理公開会合でも平和的解決の主張が圧倒的な多数派となり、米英の孤立が明白になった直後、米軍はさらに増派を実施。湾岸地域の兵力は約十八万人に増強されたのでした。

 二月末から、イラクがミサイル廃棄をすすめて生物化学兵器の処理について新たな報告を提出、これを査察団が評価したころ、米英軍は二十万人を超え、完全に臨戦態勢。「飛行禁止空域」からの航空機による地上攻撃は最大規模にエスカレートされていました。

 そして、米英スペインはついに新決議案もかなぐり捨て、戦争に突入します。ブッシュ政権は安保理の外で一方的に戦争準備をすすめ、査察による平和解決の努力が実績をあげるのと逆に、戦争への道を強引にすすめてきたのでした。


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