2003年3月28日(金)「しんぶん赤旗」
公明党がイラク問題での言い訳を並べ立てた公明新聞号外(以下号外)を作成、各地で配布しています。戦争支持の態度への批判をかわそうと躍起ですが、いくらごまかしても「戦争の党」の実態は隠しようがありません。
号外は、「一刻も早い軍事行動終結を」「日本は人道支援に全力を尽くせ」などの大見出しをかかげています。「軍事行動終結」「人道」を強調して、「平和」の立場をアピールしようというのでしょうが、米英の対イラク武力攻撃を容認するというのが公明党の立場です。
米国の武力行使は、「極めて残念」だが、それを「理解」し「支持」するという日本政府の立場は「やむを得ない」というのです。(二十日、神崎武法代表)
公明党が、「軍事行動終結」は口にしても、米国にたいして「戦争をただちにやめろ」といえないのも、この戦争を容認しているからです。
しかし、米国の対イラク攻撃は、国連憲章の平和のルールを覆す無法な先制攻撃であるだけでなく、政権転覆を目的にした主権侵害、内政干渉の侵略戦争であり、法と正義に照らして絶対に許されない戦争です。しかも、すでに数多くの罪のない人々の犠牲を生み出しており、人道上もゆるがせにできません。
こんな無法で野蛮な戦争を容認しておきながら、「平和」や「人道」を口にすることは、国民をあざむくものでしかありません。
米国の武力攻撃は「極めて残念」「悲しむべき事態」などといいながら、実際には、武力攻撃は「余儀なくされた」もので、「国連の枠内」などと擁護ばかりしているのが公明党です。
イラク戦争は、「武装解除問題の解決まで数カ月」と、本格的な軌道に乗りつつあった国連の査察を、米英が一方的に断ち切り、安保理の決議もなしに無法な先制攻撃を始めたことから起きました。公明党は、これへの批判はいっさいせずに、「平和解決の道閉ざしたイラクに『非』」と、もっぱらイラクを非難することで、米国の無法を擁護するのです。
しかも、米英の無法な攻撃を、冬柴鉄三幹事長は「法律的には国連の枠内での武力行使だと考えている」(二十三日のNHK討論)と言い切っています。
イラク攻撃についての公明党の見解でも、「法的には国連を中心とした国際協調の枠組みの文脈のもとに行われているものと見られる」と、攻撃の「合法性」を主張していますが、号外に掲載された「見解(要旨)」からは、その部分がこっそり落とされています。
公明党の冬柴幹事長は「戦争反対は利敵行為」と、米英の武力行使に反対する世論や運動を敵視する発言をおこない、内外のきびしい批判をあびました。このため、号外では、「世界各地で『反戦運動』の流れが起きるのは当然」と言い訳を始めましたが、一方で「口で『反戦、平和』を唱えるだけ」などと、反戦運動を敵視する姿勢はまったく変わりません。
号外は「イラク問題と公明党 Q&A」というコーナーを設け、国民の批判に必死の言い訳をしています。
設問は、「『平和の党』の看板どうした」「新決議求めていたのでは?」「反戦運動をどう見る?」の三つ。こんな質問を設けざるをえないこと自体、同党がいかに平和に敵対する行動をとってきたか、「国連重視」が口先だけであったか、反戦行動を敵視してきたかを、自分で認めるようなものです。
たとえば、第一問には、「言葉だけではなく、平和解決への具体的な行動を展開した」と答えています。しかし、実際にやったことは、査察を打ち切り戦争に道を開く米英新決議案を「評価」し、神崎代表が訪米し、同決議案への「支持」を表明することでした。
二問目の質問は、冬柴幹事長が、決議なしの攻撃を「反対だ」(二月十六日のNHK番組)「賛成できない。同盟国として自制を求めたい」(「日経」同四日付)などと繰り返し明言していたことへの弁明。
公明党がいくら言い訳しても、米国の決議なしの武力行使を「国連の枠内」と認めた事実を消すことはできません。
三問目は、「イラク問題の本質を、直視することが大事」と、イラクの大量破壊兵器の「脅威」に問題をすりかえるのが精いっぱいです。
要するに、イラクに「非」があるのだから、米国の武力行使に反対するのは問題だというわけです。「米国の戦争路線に反対するものはイラクの味方」という、冬柴「利敵行為」発言を裏づけただけのものです。