2003年4月1日(火)「しんぶん赤旗」
ヨルダン政府がイラクからの難民流入に備え国境から約75キロの町ルウェイシェドに設置した難民キャンプにはいまのところイラク人難民の姿はありません。しかし、イラクに滞在していたエジプト、スーダン、ソマリア、パレスチナなど外国人約170人(3月28日現在)が避難民としてここにとどまっています。同難民キャンプへは、首都アンマンから車に揺られること3時間半、距離250?。そこは砂ぼこりが舞い、寒暖の差が激しい砂漠地帯でした。 (ルウェイシェド〈ヨルダン東部〉で岡崎衆史 写真も)
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イラクから脱出したばかりでエジプトのパスポートを持っている青年がイラクでの出来事を語ってくれました。「空爆下の八百`をやっとのことでたどり着けた」。アラカイル・イブラヒムさん(23)は興奮覚めやらない様子で話し始めました。
「二十六日午後一時半に友人と二人で車でバグダッドを出て、十時間かけてヨルダン入りした。途中、空爆で破壊された車の残がいがあちこちに散らばり、一部の橋は崩れ落ちていた」
米軍機のミサイルが命中(二十三日)し、破壊されたバスの残がいも見たといいます。この攻撃ではシリア人五人が死亡しています。
バグダッドで水道タンクの設計に従事するイブラヒムさんは、エジプト人の父親とイラク人の母親の間に生まれ、十五年間バグダッドに住み続けてきました。
イブラヒムさんはカイロの父親を頼ってイラクを脱出しましたが、母親のアワティフアディーブさん(60)は体が弱っているため、バグダッドの自宅に残らざるを得ませんでした。姉のホリアさん(24)が付き添っています。
イブラヒムさんの顔が引きつったのは、バグダッドの住宅地にミサイルが着弾し、多数が死傷した二十六日の爆撃について質問したときです。
「家は市の中心部にある」。イブラヒムさんはつぶやきました。―爆撃された場所が母親の住む地域であってほしくない。次の爆撃では母や姉が犠牲になるかもしれない―。表情が不安に満ちています。
「ブッシュは爆撃をやめるべきだ」。感情を抑えるようにゆっくりと述べました。