2003年4月3日(木)「しんぶん赤旗」
米英が無法なイラク戦争に突入し思わぬイラク側の抵抗に直面するなか、無差別攻撃とよぶしかない一般市民への爆撃を激化させています。非人道的な“侵略戦争”の様相をむき出しにしつつあります。(カイロで小泉大介)
イラク民間人の死者は一日現在で、六百五十二人に達しました(米民間団体「イラク・ボディー・カウント」調べ)。カタールの衛星テレビ・アルジャジーラは一日、イラク南北に派遣している記者からのリポートをくわしく伝えました。米英軍による空爆の実態が明らかにされました。
イラク南部バスラ
アルジャジーラのアブドゥル・ハク・サダー記者は、バスラの西部に位置するバース地区を取材。最初に訪れた病院の第一印象を「驚いたのは、病院自体がいくつもの破壊を受けていたことだ。病院の職員が生存していることが奇跡に思えた」と語りました。
職員の一人は「午前四時半、空爆の音を聞くやいなや、天井が落ちてきました。どうやって外に出たか覚えていませんが、とにかく崩れ落ちる前に脱出できたのです」と話します。
記者はつづいて、米英軍の空爆によって家の屋根が崩れ落ち、お腹を引き裂かれながらも一命をとりとめた十一歳の子どもの父親の証言を紹介しました。「空爆の音を聞くと同時に、子どもの部屋の屋根が崩れるのを知りました。私は弟といとこの力を借りてやっとのことで子どもを運び出した」
同地区では、民家四軒が完全に破壊されたことを確認。住民すべてが米英軍にたいする深い怒りを抱いていることを実感したといいます。自分の家を破壊された住民の一人は「家族十一人がここで寝ていました。われわれが担ぎ出したとき、すでに弟と叔父は死んでいました」といいました。
サダー記者はこうリポートを結びました。
「バース地区ではいまでも米英軍が空爆を行っており、住民は日々、家屋の破壊、殺人、殺傷の恐怖にさらされている。それなのに、犠牲者のなかに爆弾を投下される理由を知っているものはだれもいない…」
イラク北部モスル
同テレビのモハメド・ケイル・ボウライニー記者はモスルの病院で次々と運ばれてくる空爆犠牲者を目撃しました。そのなかのある子どもの話を伝えました。
「お祈りをしているときに爆弾が落ちました。僕は無事だったけれども、友達はみんな倒れていました。少したって、僕も爆弾の破片がお尻に刺さってけがをしたことがわかりました。でも、僕の友達、モハメド・アリは死んでしまいました」
記者は、通りで爆撃にあい、息子と弟を失った男性に出会いました。男性はいいました。
「私の息子はまだ小さかった。たったの六歳、小学校の一年生だった。爆弾が落ちたとき、私は無意識に息子のそばにかけよった。しかし、私が息子を抱え上げたときは、すでに彼が息絶えてしまっていた後だった」
一般市民の犠牲者は三十一日夜から一日夕までに六十人近く、負傷者は約三百人に及んでいます。
軍事目標と無縁の住宅へ繰り返される爆撃。
そして、検問所での女性と子どもが乗った車への機関銃まで使った銃撃、武装もなにもしていない空のトラックの運転手にたいする銃撃…。民間人銃撃について記者会見で追及された米中央軍司令部将校はきわめて事務的にこういってのけました。「兵士らは彼ら自身を守るために、交戦規則にのっとって対応したとみられる。不必要な人命の損失を防ぐため、かなり抑制していた」「自衛の権利だ」(ブルックス准将)。そこには、「遺憾」も「残念」の一言もありません。
ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官を含めて米政府当局者はこれまでに繰り返してきています。「イラクの市民は敵ではない」「イラク市民と敵は区別している」「精密な技術にもとづく爆撃は正確である。民間目標は狙わない。軍事目標だけだ」
市場や住宅爆撃について、英国のストロー外相は「イラク軍の仕業」の可能性があるとまでいいました。
しかし、非人道的兵器とされ使用禁止の声が国際的にあがっているクラスター(集束)爆弾や劣化ウラン弾を使用していることを米軍自身が認めつつある事実、なによりも、今イラクの国土の上で行われている殺りくと破壊は、あらゆる意味でその発言がでたらめであることを示しています。
米軍は「自衛」といいます。しかし、そもそも「侵略」を行う軍隊の「自衛」とは一体何なのか。