2003年4月5日(土)「しんぶん赤旗」
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バグダッドのアル・キンディー病院はまるで野戦病院のようだった。赤新月(イスラム世界は赤十字ではなく赤新月)のマークをつけた救急車が何台も待機していた。
三月二十四日深夜の空爆で被害にあった人たちが、次々と運び込まれていた。ナダンさん(写真=十四歳)は弟のムハンメッドくん(昨日の写真の少年)の隣のベッドに寝ていた。
まだ四歳のムハンメッド君は自分がなぜここにいるのかあまり理解できないようだった。
さらに八歳になる兄ザノウがなぜいないのかも。ザノウはすでに死亡していた。
彼は私が差し出した折り紙を手にうれしそうにほほえんだ。
隣のベッドに横たわるナダンさんは私に向かって「ブッシュのせいで学校に行けない、私たちにどんな罪があるの、なんでこんな目に遭わなくちゃならないの、きっとアラーが復しゅうしてくれる」と悔しさと傷の痛みで顔をゆがめた。
打撲ではれ上がった目の奥から一筋の涙がこぼれ落ちた。
また憎しみの連鎖が広がってしまった。
(もりずみ たかし フォトジャーナリスト)