日本共産党

2003年4月7日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

ハンセン病元患者はいま

映画学校生、9カ月の撮影体験

寝食共にし、「やっぱおれ、人間が好き」の言葉に救われた


 ハンセン病元患者の“いま”を描いた映画(六十分)をつくった学生たちがいます。日本映画学校の卒業制作です。タイトルは「熊笹の遺言」。元患者と子どもとの交流や生きがいを描きます。九カ月間余にわたる撮影を通じ、学生たちが感じたことは――。

なんて親切なんだ…

 舞台は群馬県草津町の療養所、栗生(くりう)楽泉園です。辺りはクマザサが生い茂る山の中。入所者の平均年齢は七十四歳を超えています。映像は、元患者の浅井あいさん、一心に妹の絵を描く鈴木時治さん、ハンセン病の歴史などを精力的に語っている谺(こだま)雄二さん――。それぞれの日常を丹念に追っていきます。

卒業制作

 制作したのは、今田哲史さん(27)、原田扶有子さん(22)、剣持文則さん(26)、大池正芳さん(21)の四人。昨年六月から療養所に通いづめました。撮ったテープは百四十時間。三月、卒業制作上映会で発表されました。

 企画を提案した今田さん(監督)は、「ハンセン病元患者は今、どう生きているのか、ずっと気になっていたんです」といいます。

 二〇〇一年五月、元患者たちは国家賠償要求裁判(熊本地裁)で勝利しました。長期間にわたって強制隔離政策を続け、患者とその家族の人権を踏みにじった国と国会の責任を問うものでした。

 楽泉園に行ってみると、元患者たちは温かく迎えてくれました。「食ってけ食ってけ」と山盛りのごちそうです。

 「びっくりした」というのは原田さん(プロデューサー)です。「どうしてこんなに親切にできるんだろう」

 撮影を通じ、療養所で行われてきた極度の人権侵害の実態――家族にまで及んだ差別、死者が出るほどの重労働、ろう獄そのものの重監房、結婚したら断種、子どもができたら堕胎――を学びました。

 印象的だったのは谺さんの、「やっぱおれ、人間が好きだからさあ」という言葉でした。

 当初、企画に乗り気ではなかったという原田さん。「いちばん勉強になったのは私かもしれない」といいます。「この時代に生まれ、ハンセン病でもなんでもない私。元患者の人たちが抱えている問題に向き合わなくてはならないのはつらかった。でも、谺さんの言葉に救われました。何があっても『人間が好き』といえる人を、私もめざしたいと思いました」

 今田さんは「裁判が終わって、めでたしめでたしじゃない。実際、撮影中も三、四回葬式がありました」といいます。社会復帰を願った裁判の勝利後も、多くの人が療養所にとどまっています。

名シーン

 何を撮るべきか、何度も話し合いました。暗中模索のなか、見えてきたのは元患者たちの「生きる力」でした。

 浅井あいさんと文通している盲目の小学生がいることを知りました。四人が会いに行くと、元気いっぱい、感情を体全体で表す少年でした。浅井さんと小学生の二人は会ったことがありません。「二人に会ってもらいたいなあ」。みんなで段取りを決め、金沢市まで小学生を迎えに行きました。初めての対面です。

 映画では、名シーンになりました。朝からそわそわ浅井さん。山盛りのお菓子を用意して待っています。「おばあちゃーん」。小学生の元気な声が聞こえると、「はーい」と大きな声でこたえます。うれしそうな、照れくさそうな表情が生き生き輝いていました。

 画面のなかで浅井さんが語ります。“子どもを持ったことがないから、おばあちゃんといわれるのは少し照れくさいのよね。でも、世の中におばあちゃんと呼んでくれる人がいるのは、世界が広がった気がするね”

 長い撮影を通じ、「失礼なことを言ったりもしたけど、真剣に答えてくれた」と原田さん。四人とも「新しい人間関係をつくることができたし、一人の人間として相手を見る大切さも学んだ」と語っています。

 ◇

 日本映画学校(佐藤忠男校長)は毎年、卒業制作を学生たちに課しています。「あんにょんキムチ」などいくつかの作品は国内外で高い評価を得ています。モットーは「人間に興味を持て」。創設者の今村昌平監督の言葉です。

 映画評論家でもある佐藤校長は「熊笹の遺言」について、「十分劇場公開に値すると思います。ハンセン病元患者に会うのも簡単ではない。会ってどうするのか、学生たちで話し合い、情熱を傾けた。それが社会に訴える力を持ったのだと思います」と話しています。

若者の吸収力すばらしい

谺雄二さんの話

 「真剣に、とにかく勉強しようという根強さを感じました。最初のうち『一生懸命話しているのに若者たちは無反応だ』と怒った友人がいたんです。それを聞いて彼らなりに考えたんでしょう。手紙を書いて自分たちの思いを伝えたりしていました。療養所に入ってきていっしょに飲み食い、寝泊まりして、私たちをありのままにみつめようとしていました。若い人の吸収力はすばらしい。差別のない二十一世紀を築いてほしい」


私たちの手で戦争とめよう

全国学生「ピース・ムーブメント」 19日、東京・芝公園

○日時 4月19日(土)午後1時半開場、2時開会

○場所 東京・港区の芝公園23号地

 「私たちの手でイラク戦争をとめよう。全国の学生あつまれ!」と学生たちが平和集会を企画しています。名称は、「ピース・ムーブメント」。平和活動をつづけてきた全国の学生四十九人がよびかけたもの。実行委員会はホームページをつくり、多くの参加を呼びかけています。

 最寄り駅は、次のとおりです。

 ○浜松町駅(JR山手線、同京浜東北線)

 ○大門駅(都営地下鉄浅草線、同大江戸線)

 ○御成門駅(都営地下鉄三田線)

 ○赤羽橋駅(都営地下鉄大江戸線)

 ○神谷町駅(営団地下鉄日比谷線)

 ホームページ http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/6419/


戦争とは何か、アフガンの人は知っている

戦災の子による絵を前にうたう

 戦車、戦闘機にバツ印――。大きな布地に描かれたイラスト、そばには子どもたちの写真。道行く人の注目を集めます。イラク戦争開始から連日、東京都内各所で横断幕をもって歌う青年がいます。今川夏如(なつゆき)さん(24)。埼玉・川越市在住のシンガーソングライターで、カメラマンでもあります。絵を描いたのは、アフガニスタンの子どもたちでした。

 「戦争の真実とは何か、僕らは知らない。知っているのは、アフガニスタンの人たちです」。今川さんは昨年夏、コンサートを開くためアフガニスタンを訪れました。職業訓練学校で、戦災にあった七歳から十五歳までの子どもたち数百人と出会いました。毎日フリスビーやサッカーをして遊んだという今川さん。

 「でも、みんな戦災にあっている。義足の子、親や家族を失った子……。そんな彼らに、コンサート会場に飾るためのイラストを描いてもらったんです」

 布地の大きさは縦一・五メートル、横三十メートル。一度に持てないので、横五メートルに切りとっています。イラストは多種多様。落書きのようなものから花や手形も。たくさんの死体を描いたものもあります。子どもたちのサイン付きです。「建築家になりたいという子もいました。戦車にも爆弾にも負けない家を造るんだと」。そんな子どもたちを思ってつくった歌があります。

 ♪父さんは言ったよ、平和とは鳥の名前だと/先生は言ったよ、平和とは幸運のことだと/そうさ僕らは戦争しかしらない……

 イラク戦争でも、考えるのは子どもたちのことです。もう戦争の絵を描かせたくない、とデモやライブを続けています。

 写真はホームページで見ることができます。http://www.sainokuni.ne.jp/natuyuki/peace


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