2003年4月10日(木)「しんぶん赤旗」
外国メディアが滞在するバグダッドのパレスチナ・ホテルが米軍戦車の砲撃を受け、五人の記者が死傷しました。「決して許せない」。直撃された部屋の隣室にいて、救出に当たったジャパンプレスの山本美香さん(35)が九日、電話取材に応じ、被弾直後の生々しい様子を語りました。
「バギーン」。同ホテル十五階の部屋で、撮影テープの編集をしていた山本さんは現地時間八日正午前、強烈なさく裂音とともにホテルが揺れるのを感じました。「爆弾が近くに落ちた」と思い、廊下へ飛び出しました。男性が頭から血を流し、周囲の人に支えられているのが目に入りました。
「ホテルの中なのか」。英ロイター通信が使う隣室が被弾したのがすぐ分かりました。部屋には見知った男性記者が横たわっていました。「目が、目が…」。ガラスの破片が刺さり、顔面血まみれ。
ベランダの方を見ると、男性カメラマンが窓ガラスを突き破り、うつぶせに倒れていました。虫の息で動かない。何人かで外に運ぼうとしましたが、傷口から内臓が飛び出しました。「とにかく手伝って。助けて」。山本さんは駆け付けた記者たちに叫びました。
この男性は搬送途中に亡くなりました。ウクライナ人のタラス・プロチュクさん。アフガニスタンやロシアのチェチェンなどの戦場を経験したカメラマン。チグリス川に架かる橋上の米軍戦車を撮影していたらしい。
山本さんも十分前、隣室のベランダでビデオカメラを構えていました。「戦車は砲身を動かし、こちらにも向けていた」。米軍は、ホテルのロビーから銃撃を受けたため反撃したと釈明。山本さんは「ホテルには多数の報道陣がいたのは知っていたはず。攻撃は犯罪行為だ」と憤りました。