2003年4月12日(土)「しんぶん赤旗」
米英の圧倒的な軍事力によって、イラク・フセイン政権の崩壊が確定的になりました。
マスメディアのなかにはこの事態に、「問われ続ける『大義』」(「朝日」十日付夕刊、亘理信雄外報部長)と戦争の根拠を問い直す議論も見られますが、戦争を支持してきた「読売」や「産経」はここぞとばかりに、米英をたたえています。
はたしてこれらのメディアは戦争の実態を真剣に検討したのか。思考を停止して、「勝てば官軍」式にあおるだけでは、米英の圧倒的な軍事力に言論そのものが悪乗りしているといわれてもしかたがありません。
たとえば「読売」の十一日付社説「正しかった米英の歴史的決断」は、「イラクへの対応を巡り、国際社会は分裂した」「米英が、武力行使に踏み切ったことは、勇気ある決断だった」といい、「短期間で大勢が決着したことで、人的犠牲は最小限に抑えられた」と書きます。
国際社会の「分裂」はこの戦争を支持する勢力がくりかえし持ち出す根拠ですが、事実と違うことは明白です。国際社会の圧倒的多数が平和解決の道を求め、国連安保理の決議にもとづく査察活動が本格的な軌道に乗りつつありました。一方的に断ちきり、国連が認めていない戦争に突入したのは米英です。
戦闘員以外の市民の犠牲者はすでに死者千二百五十人以上、負傷者五千人以上にのぼり、いまなお増え続けています。無法な戦争がイラクの罪のない市民にもたらした犠牲を「最小限」などと冷たく言い放つ「読売」は、侵略者の米英と同じ土俵、同じ思考に立つのでしょうか。
この点では、「朝日」の同日付の社説が国連の査察の責任者だったブリクス委員長の「戦争は国の破壊と人命という点で非常に高くついた。査察という方法で抑えることができた脅威なのに」ということばを紹介しながら、「なぜ戦争をしたのか」と問うているのは当然の疑問です。ことは二十一世紀の世界の平和秩序にかかわります。戦争の帰結がどうあれ、メディアはこの問題を最後まで追求すべきです。
「読売」などが無法な戦争の責任を追及しないばかりか、今後のイラクについて、「戦争を遂行した米英が主導すべきだ、という米の主張は当然」などとしていることも見過ごせません。無法な戦争をおこなったうえに、イラクを長期にわたって支配下に置き、国民の意思にかかわりなくアメリカの気に入る政府を作り上げようという、国連憲章の平和のルールに反した最悪の内政干渉を支持・容認するものです。そこには二十世紀の二度の世界大戦を経て築き上げてきた平和のルールをどう取り戻すかの真剣な検討はありません。
「産経」は、「新たな国際協調体制の道を」(十日付)「やみくもに国連中心主義を唱えるのは、無邪気、空想的過ぎる」(十一日付)などと、国連の存在そのものにまで異議を唱えています。
フセイン政権は崩壊しましたが、大義のない戦争によってイラクの国土と国民は深刻な破壊と犠牲をこうむり、戦闘と混乱はなおつづいています。気にいらない政府には武力行使を辞さないというアメリカの態度は、世界各地に戦争の危険を広げています。「毎日」の中井良則外信部長は十一日付に「『世界内戦』が始まった」と書き、「地球は、取り戻しのできないゆがんだ状況に入り込んだ」と指摘しました。イラクでの戦闘の中止とともに平和のルールを取り戻すことは急務です。
そのとき、米英が活動しやすいよう、国連の枠組みそのものまで変えようという「産経」などの主張はとんでもない暴論であリ、国際社会に取り返しのつかない犠牲を押しつけることになるのはあきらかです。
(宮坂一男記者)