2003年4月16日(水)「しんぶん赤旗」
米軍のイラク戦争がベトナム戦争と大きく違うのは、軍が徴兵制から志願制に変わったことです。では、兵士はなぜ「志願」したのか。そこには、死ぬためではなく、生きるために軍に入った若い人々の姿があります。
ホセ・グティエレス氏(22)はウンカサで、ホセ・ガリバイ氏(21)はナシリヤで死亡しました。
グティエレス氏は中学生の年齢でグアテマラをたち、メキシコを越えてアメリカに渡りました。ガリバイ氏も幼いころ、メキシコから家族に連れられて渡ってきました。
海兵隊に入ったのは、アメリカに「感謝」を表す気持ちからだった、との近親者の言葉が伝えられています。二人が待ち望んだ、選挙・被選挙権など基本的に保障されるアメリカ人としての市民権は、戦死の代償として、やっと認められました。
軍に志願する青年の多くを、「グリーンカード」(永住権)を持った外国人が占める州もあります。
米軍の捕虜奪還作戦で生還し、一躍全米に知られたジェシカ・リンチさん。陸軍兵たん部門の事務に就き、イラク側の捕虜となりました。
二十歳の誕生日を目前にした女性が、なぜ戦場にいるのか。家族や友人の証言として伝えられるのは、「幼稚園の教師になりたくて」というものです。幼児に囲まれた教師と、陸軍の制服姿とはあまりに隔たっています。
しかし、アメリカではけっして珍しいことではありません。軍の募集事務所は、各地の高校に職員を派遣して生徒に働きかけます。金をかけずに教育が受けられる。それが軍に入る大きなメリットなのです。
ジェシカさんの一家が住むのはウエストバージニア州。地域(郡)の失業率は15%と、全米平均の三倍近くにのぼります。ジェシカさんの兄弟もやはり軍に志願している、といいます。
「イラク戦争で死亡した最初のアメリカ人女性兵士」―ロリ・ピエストゥワさん(23)の称号です。
シングルマザーのロリさんは、グランド・キャニオンに近い故郷のトレーラーハウスに、四歳と三歳の二人の幼子をおいて、戦場にいきました。ジェシカさんとともに、ナシリヤでイラク側の攻撃を受けました。
ロリさんは北米大陸の先住民族ホピの一人。ワシントン・ポスト紙によると、ホピの議長を務めるテイラー氏は、「私たちの娘として、一人の母として、ホピとして、ヒーローとして、記憶される」と述べました。
米軍兵士に、マイノリティー(少数民族)の人々の比率が高いことは、しばしば指摘されます。黒人は人口比では12%程度ですが、兵士中での比率は20%を超えます。
経済的な格差が、軍の中での少数民族の比率を高めている要因の一つとみられます。
イラク戦争への見方は、黒人の方が厳しくなっています。フィラデルフィア・インクワイアラー紙は、その原因を、次のように分析しています。
(1)支配勢力がその意思を弱いマイノリティーに押し付けることへの歴史的に培われた反感(2)「先制攻撃」というやり方は黒人の受けてきたいやがらせと共通する(3)人種間の問題に冷淡なブッシュ大統領自身の姿勢。
テレビや新聞に写真が出た「ヒーロー」たちも、人々の記憶からやがて消えていきます。しかし戦争は、ふだんは見えにくいアメリカの断面をのぞかせ、それは傷口となって残ってゆきます。(ワシントンで浜谷浩司)