2003年4月17日(木)「しんぶん赤旗」
米英軍の戦争によるフセイン政権の崩壊、無政府状態と混乱のなかで、十五日、イラク南部ナシリヤ近郊ウルで、米軍による「イラク暫定統治機構」設立に向けた第一回会合が開かれました。会合は十三項目の声明を発表し、十日以内に再び会合を開くことを決めました。米軍が直接とりしきった会合自体が、イラク市民も国連も排除した米軍による占領統治を合法化する仕組みづくりのスタートを象徴するものとなりました。(カイロで小泉大介)
会合にはイラクの反フセイン勢力各派の代表など約八十人が参加したとされますが、その多くが長年にわたって海外で生活し、今回米英軍のおすみつきのもとで送りこまれた人びとです。人口の六割を占めるイスラム教シーア派の組織「イラク・イスラム革命最高評議会」(SCIRI)とダアワ運動は参加を拒否。「(会合は)イラクの利益にならない。われわれは米国、その他の誰の支配も受けない」(ハキム代表)としています。
アメリカの声がかりで「宗派と民族をこえた反フセイン組織」としてつくられた「イラク国民会議」(INC)の代表で、米国防総省が今後の占領統治のための暫定統治機構のトップにすえようとしているチャラビ氏本人は欠席。汚職腐敗の経歴ゆえに「国内では信望なし」と米中央情報局(CIA)も分析するチャラビ氏が最初から参加したのでは仕掛けの裏がみえすぎると配慮した結果ともいわれています。
そもそも会合の日程を決め、参加者を招待したのはフランクス米中央軍司令官。会議を直接とりしきったのは、米国防総省の出張所とでもいうべき「復興人道支援室」(ORHA)のガーナー室長とブッシュ米大統領が任命したハリルザド・イラク問題特使でした。国連を無視して始めたのが米英の戦争なら、その「あと始末」も米軍の意のままにという構図そのものです。
ガーナー氏は退役陸軍中将で、ラムズフェルド米国防長官の強い意向でORHA室長に任命された人物。親イスラエル、反パレスチナの立場で知られ、今回のイラク入りに際しては、事前にイスラエルを訪問し同国と安全保障問題で協議していました。
米軍のイラク戦争の背景には中東でのイスラエルの既得権確立の狙いがあるとも指摘されてきましたが、同氏の役回りはこの分析を裏付けるものともいえます。
ハリルザド特使は、国連を初めから排除して、米国と「価値観」を異にする国には先制攻撃の武力行使もおこなうという「新保守主義」(ネオコン)勢力の有力メンバー。中東・中央アジアの石油資源を狙う米国の石油独占「ユノカル」の顧問を務めたこともあります。力の政策の強行、石油支配という米国の戦略目的を象徴しています。
イラク暫定統治機構づくりにむけた米国の策動については、アラブのマスコミが、「これはイスラエルと緊密な関係にある米国の戦争目的を明確に示すものだ」(カタールの衛星テレビ・アルジャジーラ)などと伝え、アラブの怒りが高まらざるを得ないと指摘しています。
ハリルザド特使は会合で「米国はイラクの支配に全く関心がない」と述べましたが、これは占領支配のもくろみをカモフラージュする狙いです。
会合では、イラク人による指導者選択、フセイン政権の党組織バース党の解体、女性の地位を含む多様性の尊重など十三項目を確認しました。しかし、戦後復興も行政も、その後の政府形成も事実上の米国占領下での「国づくり」という構図のなかでほとんど意味がない、というのが周辺アラブ諸国にも共通した見方です。戦争への反省はまったくありません。
会合のそんな本質を象徴したのが、ナシリヤの会合の会場周辺を埋め尽くした二万人の市民の反米デモです。集まった市民は「フセインもノーだが、アメリカもノーだ」と叫びました。
「誰が参加しているのかも明らかにされていない」「勝手に人を集めて市民には中もみせなければ中身も知らせない」「未来を決めるというのに、市民を排除して、外国暮らしをしてきた連中ばかりが集まって何をやっているんだ」
同じころ、北部のモスルでは、水を電気をと叫び、米軍駐留反対を叫ぶ市民に向かって米海兵隊が発砲。バグダッドでは「米軍帰れ」と叫ぶ市民を海兵隊が排除、これを取材する記者を妨害し、記者らが泊まるホテルの部屋をしらみつぶしに襲っていたのでした。
米政府当局と軍が、イラク市民も国連も無視して本格的なイラク支配に乗り出したことで、イラク戦争の無法性、犯罪性が改めて問われます。