2003年4月28日(月)「しんぶん赤旗」
米軍は「イラク暫定統治機構」設立のための第2回準備会合を28日にバグダッドで開きます。300人のイラク人を招く予定といいます。軍事占領体制を強化しながら米国が気に入る政権をつくる画策は内外で大きな矛盾を抱えています。(カイロで小玉純一、アンマンで岡崎衆史)
「来週くらいには新しい指導者がお目見えするだろう」。軍事占領統治を担う米国防総省の「復興人道支援室」(ORHA)のガーナー室長(元陸軍中将)は二十四日、バグダッドでの初の会見で、暫定機構の人選に言及しました。
前回の第一回準備会合では米軍が反フセイン勢力から八十人を集め「民主連邦制導入など」を確認させました。ガーナー室長はこれをとりしきった後、人選の探りを入れるなど活発に動きました。二十一日にバグダッド入り、続いて北部を回り、首都に帰ってからは大学教授や技術者六十人を招いて非公開のタウンミーティングを開きました。しかし先行きは不透明です。
「チャラビ氏は候補でない」。ガーナー室長は、フセイン時代から反フセイン派として米国がてこ入れしてきたイラク国民会議(INC)議長を名指しして、氏との距離を強調しました。頻発する反米デモで「チャラビにノー」のスローガンも登場するなど、氏の不人気もよりはっきりしてきたからです。バグダッド暫定市長を勝手に宣言した同じINC幹部のズバイディ氏に対しても相手にする素振りはみせていません。
室長が二日間まわったイラク北部は、フセイン体制に弾圧されたクルド人が多い地方です。クルド愛国同盟(PUK)やクルド民主党(KDP)幹部らは訪れたガーナー室長を歓迎。PUKのタラバニ議長は「連邦制を提案した米国を支持する」と述べました。一九九一年の湾岸戦争後、米英軍がフセイン政権軍の飛行禁止空域をつくり、クルド人を保護した経過があります。米国としては占領正当化にクルド人を取り込みたいところ。しかし暫定機構トップにクルド人を勝手にすえるのは困難です。クルド人はイラク人口の二割近くにすぎません。
「治安とインフラの回復を」「仕事を何とか与えてほしい」。イラク各地では、米軍の爆撃による破壊とその後の無秩序状態の下で窮状を訴える人々の要求が強まっています。日常の生活を早く再開したい、そのためにもできるだけ早く安定した政府の樹立を求めています。
しかし多くの人々が望むのは「イラク人を真に代表した政府」です。米国が軍事占領下で自らが気に入った勢力のみによる政権づくりを進めようとしていることに不信と反発を強めています。
「なぜわれわれが入れないのか」「米国が主導する会議に反対」―十五日に第一回準備会合が行われたナシリヤでは、会場外で約二万人が抗議デモを行い、米国主導の政権づくりに反対しました。
フセイン体制に弾圧された、人口の六割を占める多数派のイスラム教シーア派は、米軍を「解放者」として歓迎するどころか、逆に米軍占領反対の声を強めています。
二十二、二十三の両日、シーア派の聖地カルバラにシーア派信徒百万人以上が各地から殉教祭に集まりました。人々は単に宗教的儀式を行うだけでなく、「アメリカ反対、占領反対、植民地反対」のスローガンを叫び、米軍占領に反対し米英軍の撤退を求める政治的主張を繰り返しました。
シーア派の有力組織とされるイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)は第一回会合をボイコットしています。今後の会合にも不参加の方針です。
米紙ニューヨーク・タイムズ二十六日付は、米政府が第二回準備会合をへて五月二日の会議で人選を始め、五月末までに暫定統治機構を樹立する方針だと伝えました。早めにイラク人を表にたてた統治機構を形だけでもたちあげ、米軍占領の露骨な形式を隠したい思惑が見えます。
第一回会合の翌日十六日から二日間アテネで開かれた欧州連合(EU)首脳会議は、イラクの復興にあたり暫定行政の段階を含めて国連が中心的役割を果たすよう求めました。
直後の十八日、サウジアラビアのリヤドで開かれた周辺諸国緊急外相会議も、国連が中心的役割を担うことを主張、「イラク国民が自らの国を統治すべきだ」と強調しました。
しかしガーナー室長はもとよりブッシュ政府首脳からは暫定政府づくりへの「国連関与」の言明が聞こえてきません。
いずれ選挙を行い「民主的政権」をつくるといっても、軍事的に占領し国連を排除したまま統治機構を勝手につくっていくのは、結局かいらい政権づくりにすぎないとの批判が強まっています。
イスラム教スンニ派閥の高位の聖職者は二十五日の説教で「フセインに代わる圧制者はいらない」と米国の占領を批判しました。軍事占領継続・強化、かいらい政府づくりはイラク内外から新たな批判を受けています。