日本共産党

2003年5月3日(土)「しんぶん赤旗」

検証 無法なイラク戦争 国際社会は追認しない


 ブッシュ大統領は一日、イラク戦争から帰還した空母リンカーン上で演説して戦闘の「勝利」を宣言、イラクを「解放」する自由と平和のためのたたかいだったと強調しました。しかし無法な侵略戦争のこのような正当化を国際社会は受け入れていません。イラク戦争とは何だったのか。世界と人民の未来にどんな課題と展望を示したのか、改めて振り返ってみました。

世界秩序の根本原則踏みにじる

「勝利」で帳消しにならない

 「イラク戦争の違法性は、米英の勝利で帳消しにならない。今後とも国際社会の未来にかかわる中心問題として論議されよう」。パリ第七大学のシュミリエジェンドロー教授(国際法)はこう強調します。米英両国によるイラク攻撃は「国際法を侵犯した侵略、主権国家に対する軍事攻撃」であり、第二次世界大戦後の世界の平和秩序に真正面から挑戦するからだと指摘します。

 国連憲章は、個別国家の武力による威嚇、または武力行使を全面的に禁止し、戦争を違法としています。例外として認めているのは、武力攻撃が発生した場合に「国連安保理が必要な措置を取るまでの間」の自衛だけです。

 ブッシュ米政権は「大量破壊兵器の廃棄」を口実に「先制攻撃戦略」の発動としてイラク攻撃を強行しました。攻撃の「根拠」となる安保理決議はなにもなく、国連憲章の定める「自衛権」の行使にもあてはまりません。国連憲章、国際法を公然と踏みにじる暴挙、国際秩序への挑戦です。

 米英両国は戦争目的として「イラクの政治体制の転換」も掲げました。しかし国連憲章は、ある国にどんな問題があろうとも勝手に軍事介入して制圧する権利をどの国にも与えていません。主権を尊重して他国の介入を禁止する「内政不干渉の原則」を定めています。イラクの将来や国のあり方を決めるのはイラク国民自身だからです。

 二十世紀を通じて、国際連盟規約、不戦条約、国連憲章─と戦争違法化の流れが作られてきました。特に第二次大戦の終結とともに生まれた国連憲章の諸原則は、無数の犠牲者を出した二度の世界大戦の教訓の上にたって、人類が到達した国際社会の規範です。米国のイラク戦争はこうした国際秩序を破壊して、戦争が合法とされた百年前の無秩序状態に逆戻りさせる行為です。

見つからない大量破壊兵器

揺らぐ戦争正当化の根拠

 「入手した情報からイラクが大量破壊兵器を保有し、隠しているのは疑いない」。ブッシュ米大統領は三月十七日、イラクへの最後通告演説でこう断定しました。ところが軍事制圧後、米軍がイラクの隅々を探し回ってもいまだに大量破壊兵器が発見されていません。「大量破壊兵器の武装解除」というイラク戦争正当化の最大の根拠が揺らいでいます。

 開戦前、国連査察団はイラクでの査察を二カ月半、行いました。国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス委員長らは「どのような大量破壊兵器も発見していない」と指摘。残された未解決の問題は「数カ月査察を続けることで解決できる」としていました。それを米英は強引に断ち切って戦争を開始したのです。

 開戦前には「大量破壊兵器は必ず見つかる」と主張していたラムズフェルド米国防長官は四月十七日、「(国連)査察官も何も発見しなかった。米国が見つけられるかどうか疑わしい」などと居直りの姿勢を示しました。これには米国内からも「戦争の正当性の中心問題」をあいまいにするもの(ロサンゼルス・タイムズ二十九日付)との批判が起きています。

 ブリクス氏らは安保理決議などに基づく「合法的な権限をもつ」査察団による査察再開を求めています。欧州連合(EU)、ロシアもこれを支持し、アナン国連事務総長も「(査察は)戦争のために中断しているだけ」との立場を明らかにしています。

 これにたいし米英両国は「(国連による査察は)不必要だ」(フライシャー米大統領報道官)と拒否。米英だけで、今後千カ所以上で大量破壊兵器を調査するといいます。こうした姿勢には「真実を隠ぺいするためではないか」との疑念が生じています。国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長も「疑わしい物質が見つかったとしても米国の検査だけでは不十分だ」と、国連を無視した大量破壊兵器問題への対応を厳しく批判しています。

無法に無法を重ねる軍事占領

国連排除し米の直接支配

図

 米国はイラク戦争をイラクの「解放」「民主化」のためといってきました。しかし実態はイラク国民の大多数の意思を無視した軍事占領支配です。

 バグダッド西方のファルジャで相次いだ民衆デモへの米軍の発砲事件はその実態を如実に示しました。米軍による小学校接収に抗議するデモへの無差別発砲では子どもを含め十数人が殺されました。

 米軍の侵攻でイラク人が目の当たりにしたのは略奪と無法地帯の出現でした。米軍はそれを放置し、一方で石油省だけは厳重な警備で確保しました。

 フセイン体制の崩壊を喜ぶ人たちも米軍の占領支配には反発を強めています。二十三日にはイラクの人口の六割を占めるイスラム教シーア派の宗教行事に二百万人が集まり、「植民地反対。占領反対」の声を響かせました。

 米国は軍事占領下でいいなりになる「政権」づくりをねらっています。占領支配の頂点に立つのは戦争の指揮をとったフランクス米中央軍司令官。その下に、(1)国防総省の復興人道支援室(ORHA)が民生インフラを整備し(2)暫定統治機構を設置し(3)選挙による正統政権を樹立する─という統治構想です(図)。

 ORHAは米軍主体で編成。イラク人による暫定統治機構も「顧問的役割」を果たすORHAの支配下に置かれ、米軍がイラクを丸ごと支配する仕組みです。国連は完全に排除されています。

 「暫定統治機構」準備会合が二回開かれました。会合の日程と参加者を決めたのはフランクス司令官。会議を取り仕切ったのはORHAのガーナー室長、それとブッシュ大統領が任命したハリルザド・イラク問題特使です。軍事力で制圧したイラクに自分に都合のよい政権を押し付けるやり方が「新しい植民地主義」ともいうべきやり方として反発をうけ、すでに矛盾が噴出し始めています。

浮かび上がったもの

ブッシュの新しい植民地主義

 「君たちが達成したことを大いに誇りに思え」─イラク侵略戦争開始後に同国を訪問した最初の米閣僚、ラムズフェルド国防長官は四月三十日、バグダッドに駐留する米兵に、こう呼びかけました。同長官は、対テロ戦争の結果「中央アジアでも中東でも米国は世界の新たな関係を作り出した」と豪語しました。

 「世界の新しい関係」─それは、世界最大の圧倒的な軍事力をもった米国が、国連憲章で確認された世界平和のルールにお構いなしに、自分の気に入らない外国の政権を武力で打倒することを意味します。

 イラク侵略戦争は、米国を攻撃していない国が将来引き起こすかもしれない脅威を事前に排除するという、ブッシュ米政権の先制攻撃戦略の最初の発動例となりました。

 イラク侵攻の「成功」に酔いしれる同政権は中東「民主化」を唱え、イランやシリアを威嚇。北朝鮮、さらには中国をも視野に入れ、先制攻撃戦争の戦線拡大を狙っています。

 非同盟諸国だけでなく、フランスやドイツなど米国の伝統的な同盟国がイラク侵攻に反対したのは、これで先制攻撃戦争の先例ができてしまえば、二十一世紀の世界の秩序はめちゃくちゃになるとの危機感からでした。

 同時に、武力による他国政権の転覆という新たな植民地主義にまで「発展」した米国の覇権主義の暴走こそ世界平和にとって最大の脅威であり、それを防ぐには国連憲章で合意された平和のルールに立ち返る必要があるということを、今回のイラク侵攻は全世界に確認させました。それは、二十一世紀の世界に平和を構築する今後のたたかいにとって大きな資産となりうるものです。

最新兵器を民間人に向け使用

無差別殺傷の残虐戦争

 「高精度の軍事技術を駆使し、イラクの人命被害が最小限になるよう心がけた」(リチャード・パール米国防政策諮問委員)。米当局者、米軍幹部が繰り返すこうした言明は戦争被害の実態を偽るものです。

 米英軍はイラクに対し開戦直後から殺傷・破壊能力を高めた新型兵器を多用し、大規模で集中的な攻撃を浴びせました。米シンクタンク「グローバル・セキュリティー」によると、最大見積もりで空爆出撃は三万七千波、海上発射の巡航ミサイル・トマホークが七百五十発、使用された精密誘導弾は二万三千発に達しています。

 民間人、特に女性や子どもに多くの犠牲を出したクラスター(集束)爆弾について、マイヤーズ米統合参謀本部議長は四月二十五日、千五百発近くをイラクに投下したと述べました。

 クラスター爆弾は多数の子爆弾を束ねた親子爆弾。空中で子爆弾を広範囲にまき散らし、無差別に殺傷する残虐兵器です。子爆弾の一部は着弾後すぐには爆発せず、人が触れたりすると破裂する「地雷と同様の効果」を持っています。ユニセフ(国連児童基金)などは、国際的に禁止する条約を求めていました。

 イラク現地からの証言によると、首都バグダッドや南部クトに落とされたクラスター爆弾は、子爆弾二百個以上がサッカーのピッチ二面分に散らばりました。着弾時の爆発による被害のほか、不発の子爆弾は緑、黄、白色に塗られ、ジュース缶のような形をしているため子どもの気を引き、子どもが手にとった時に爆発し、破片を全身に浴びる被害が続出。「チャイルド・キラー」と呼ばれています。

 マイヤーズ議長は「(フセイン政権が)人口密集地に軍事施設を設置したため」で、「(民間人への)付随的な被害が発生しうることを知っていた上で攻撃した」ことを認め、もともと「戦争とは非常に醜いものだ」と居直り、“クリーンな戦争”と程遠いことを自認しました。

 「精密誘導」と言いながら「誤爆」を繰り返すミサイルや爆弾も後を絶ちませんでした。

 このほかに▽地下三十メートルまで、コンクリート壁でも五─六メートルまで貫通し、地中で大爆発する地下ごう破壊用の超大型爆弾、バンカーバスター▽がんや白血病の原因となる恐れがあるウラン微粒子を拡散する劣化ウラン弾▽広範囲の物体や生物を瞬時になぎ倒すデージーカッターを使用。

 米英軍は自国兵士の死傷について語っても、イラク人犠牲者の規模は明らかにしません。米英の研究者による団体「イラク・ボディー・カウント」が各国メディアを精査して推計した民間人犠牲者は、一日現在で二千百八十─二千六百五十三人。戦争が引き起こした実態が解明されるにつれ、おびただしい数に上ると推測される負傷者数の全容を含め、この数字も大幅に上方修正される可能性があります。

史上最大の反戦運動

国連と各国政府を動かす

 イラク戦争に反対する運動は、ブッシュ米政権がイラク攻撃を主張し始めた当初から世界中に広がり、人類史上最大の反戦運動に発展しました。その力が国連と諸国政府を動かし、米英政権を国際的に孤立させました。最終的に戦争になったとはいえ、反戦平和の運動は世界の平和と秩序を守る力として今後にいきる展望を与えました。

 とりわけ国連は世界の世論と結びついて、東西対決時代のベトナム侵略戦争時などにみられなかった積極的な役割を果たしました。ブッシュ大統領が国連を抜きにした単独での先制攻撃の姿勢を強めるなか、昨年十月には非同盟諸国の提案で国連安保理で討論が行われ、圧倒的多数の国が国連の枠組みのなかでの平和解決を要求しました。

 これをうけ安保理は十一月八日、イラクに期限付きで国連による大量破壊兵器の査察を無条件で受け入れるよう求める決議一四四一を全会一致で採択しました。自動的な武力行使は認めないとの内容でした。イラクは査察を受け入れ、国連査察団の活動が再開されました。

 米英が湾岸地域へ軍事力の増強を進め武力行使の主張を強めると、査察の継続による平和解決を求める反戦のうねりがいっそう広がりました。数次にわたる世界的な共同行動の参加者は一千万人を超える規模になりました。

 世論の高まりのなかで今年二月、百十六カ国が参加する非同盟諸国首脳会議は、イラクへの武力不行使と平和的解決、国連憲章の原則堅持を訴える声明を採択。アラブ連盟や五十七カ国が参加するイスラム諸国会議機構の首脳会議も「イラク攻撃拒否」を決議するなど、さまざまな国際機構、組織が米英の軍事攻撃を非難しました。

 結果として米英は国連を無視して戦争を始めてしまいました。しかし、この間の国連での論議と各国の努力、国民のたたかいは今後、米国の戦争の誤りを追及し正しい解決の道に戻して行く上で重要な力と展望を与えました。

アメリカ追随の小泉政権

反戦運動を敵視し占領加担

 「フセイン政権に武装解除の意思がないということが断定された以上、アメリカの武力行使を支持するのが妥当」──三月十七日、ブッシュ米大統領がイラクに武力行使の「最後通告」を突き付けると、小泉純一郎首相はさっそく攻撃を支持し、このように理由を述べました。

 国連査察団や国連安全保障理事会はイラクに武力解除の意思なしと「断定」していません。誰が「断定」したのか。日本共産党の志位和夫委員長の追及に首相はまともな答えができませんでした。

 首相は昨年十月の党首討論で「日本としては戦争を行わないで解決できるように外交努力を懸命に進めるべきだ」と表明。政府は「軍事攻撃が不可避の場合は、新たな国連安保理決議の採択が望ましい」と述べていました。そうした立場も投げ捨てて戦争支持を表明したのです。

 小泉首相はまた、世界各地の反戦運動を「誤ったメッセージを送らないように注意しなければいけない」と敵視。与党、公明党も「利敵行為」と攻撃しました。

 政府は米軍によるイラクの軍事占領と政権作りを国際法上の根拠も示さないまま擁護。米国防総省の復興人道支援室(ORHA)への政府職員の派遣をきめました。政府自身が占領統治への参加は交戦権行使に当たり憲法違反だと言明していたのに、です。四月末の首相の仏独訪問でもイラク戦後問題で国連主導を主張する両国首脳にたいし、米軍主導を認めようとする首相の対米追随が際立ちました。

 政府はインド洋の米艦船支援のため補給艦に続いて昨年十二月、イージス艦をインド洋に派遣しました。こうした日本の姿勢に、「日本への期待を裏切られ非常に失望した。心をかき乱されたような状態だ」(カイロ大学アジア研究センター所長)などアラブ諸国から批判の声が出ています。

世界に働きかけた日本共産党

平和的解決を呼びかける

 日本共産党はイラク問題の平和解決を訴え、国内で反戦・平和運動に取り組むとともに、世界に向けて積極的に働きかけてきました。

 昨年八月、不破哲三議長は、国連安保理常任理事国である中国を訪問し、江沢民中国共産党総書記・国家主席(当時)と会談、イラク戦争反対で一致しました。

 同十月、緒方靖夫国際局長ら党代表団が中東・湾岸六カ国を訪問。イラクではフセイン政権に安保理決議の受け入れを迫りました。

 十二月には、志位和夫委員長がインド、スリランカ、パキスタンの三カ国を訪問し、イラク戦争反対で一致しました。

 イラク戦争開始にあたっては中央委員会声明を発表し、米国の無法なイラク攻撃を糾弾し、米英の軍事行動の即時中止を強く要求しました。

 さらに米英軍がバグダッドはじめイラク全土を支配化に置き、フセイン政権を崩壊させたことがあきらかとなった四月十七日、常任幹部会声明「米国による新しい植民地主義を許さない─イラク復興支援は国連主体で」を発表しました。

 声明は、「いますすんでいることは、無法な侵略戦争のうえに、無法な軍事占領統治を始めようとするもので、絶対に容認できない」と糾弾。国際社会にたいし、(1)イラクの復興に対応するにあたって、米英両国による無法な戦争を追認しない(2)シリア、イランなど米国による先制攻撃戦略のいっそうの拡大を許さない(3)国連が復興支援の中心的役割をになうことを確認し、合意される枠組みのもとですみやかに米英軍を撤退させるべきである─と求めました。

 また米国防総省の軍事占領組織への日本政府の要員派遣は「無法な戦争と占領政策への新たな加担を意味するものであり、絶対に認められない」と批判。「国連中心のイラク復興支援のために力を尽くすことこそ、憲法九条をもつ国の政府がとるべき態度である」と強調しました。


イラク戦争関係のおもな出来事と世界の反戦運動

01年9月11日 米国の貿易センタービル、国防総省に同時多発テロ
02年1月29日 ブッシュ米大統領、一般教書演説で北朝鮮、イラク、イランを「悪の枢軸」と威嚇
02年10月26日 サンフランシスコで反戦・平和集会。ベトナム戦争以来の10万人が参加
11月8日 国連安保理がイラク問題にかんする決議1441を全会一致で採択
11月9日 イタリア・フィレンツェで欧州平和大行進に100万人が参加
12月10日 世界人権デーに全米35州、120カ所以上で反戦行動
03年1月18日 世界30カ国以上でイラク攻撃反対の集会とデモ行進
2月15日 イラク戦争反対国際行動デー。東京を含む世界600以上の都市で1000万人が参加
3月5日 カイロで100万人の反戦集会
3月9日 インドネシアのスラバヤで80万人、パキスタンのラワルピンディで40万人が反戦集会
3月15日 国際反戦統一行動。東京で1万人余りの大集会、パレード。反戦行動の波が世界を一周
3月20日 イラクへの最後通告期限切れ。米英軍、イラク攻撃を開始。全世界で一斉に「攻撃即時やめよ」の行動
3月21日 ロンドンで「戦争ストップ連合」呼び掛けのデモ行進に100万人が参加。世界各地で抗議行動
3月25日 東京でイラク攻撃中止求める集会
3月28日 イスラム教礼拝日にヨルダン、シリア、エジプトなど中東諸国で大規模な反戦集会
4月2日 イタリアで労働者100万人が反戦ストライキ
4月9日 イラクの首都バグダッド陥落
4月下旬 ドイツの復活祭平和行動。4日間に数万人が参加


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