2003年5月9日(金)「しんぶん赤旗」
イラクのバグダッド制圧から九日で一カ月を迎えます。米国は、反フセイン各派に対して暫定政権づくりを急がせる一方で、治安回復などに取り組む姿勢をアピールしています。しかし政権崩壊とともに広がった治安の悪化は、一カ月を過ぎた今でも大幅な改善はみられていません。水や電気など基本的なインフラ設備の復旧も十分とはいえず、国民の不満が高まっています。
(アンマンで岡崎衆史)
「略奪者たちは、米軍の目を盗んでやってきます。こんな状況では安心して活動できません」(バグダッドの男性医師)。イラクからの報道は、治安状況を嘆く人々の声を伝え続けています。
もちろん一定の改善はみられます。しかし、武器が容易に入手でき、子どもでさえ銃を手に町を歩いている状況は変わりません。不発弾化したクラスター爆弾の子爆弾で負傷する事件も相次いでおり、普通の人々にとってイラクは依然危険なままです。
この状況について、赤十字国際委員会(ICRC)のケレンバーガー委員長は六日、「もっと多くのことがなされるべきだ」と述べ、占領軍としての米英軍の責任を追及。一方、国連は、水道や電気の復旧が不十分だとして、「人道的惨状が進む潜在的条件は、いまだに存在する」(ロペスダシルバ国連イラク人道調整官)と警告。
米国は、こうした問題をおろそかにする一方で、利権の確保と占領の正当化を図っています。
米国のイラク占領機関の復興人道支援室(ORHA)は四日、イラク石油省諮問機関のトップに、米英石油メジャーの一つであるシェルのキャロル元社長を充てるなど、世界第二の埋蔵量を誇るイラクの石油の独占に向け、着々と布石を打っています。暫定政権づくりを巡って米国は今月半ばまでに同政権の指導部をつくるとし、メンバーのなかに親米的なイラク国民会議(INC)のチャラビ氏ら数人を入れる予定です。
自国主導の占領体制づくりを進める米国。これに伴い反米デモや抵抗の動きも広がっています。
バグダッド西五十キロのファルジャでは四月末、地元の学校の占拠をきっかけに反米デモが発生。これに対して米軍が発砲し、計十六人が死亡しました。治安などで改善がみられないこともデモの理由でした。バグダッド郊外のザファラニア地区で爆発事件をきっかけに起きた反米デモでは、「われわれの血をどれだけ流せばいいのか」と訴える横断幕が掲げられました。
「占領が続けば、新たな抵抗戦争が始まるだろう」。ヨルダンのアルライ紙は三日、バグダッドからこう報じました。ブッシュ米大統領が一日、大規模な戦闘の終結と米軍の居座りを宣言したことへの反応でした。
ファラジ・タリブさん(33)は、同紙記者にこう言い切りました。「もし米軍が立ち去らなければ、アメリカは、新たなベトナム戦争を経験することになるだろう」
米軍が四月末にバグダッド西五十キロのファルジャで二度にわたってイラク人デモ参加者に発砲し、計十六人が死亡した事件は、地元の人に占領軍への奥深い憤りを呼び起こしています。カタールの衛星テレビ・アルジャジーラ(電子版)は七日、子を失った父親の証言などを伝えています。
米軍に射殺されたアルカデル君は十三歳でした。デモ当日午後十一時になっても帰宅しないので、父は探しに出かけました。「デモの場所には多くの血痕があり、学校や家々の壁には多くの銃弾があった」「どこを探しても息子は見つからなかった。そして病院に行ったら息子の死体があった。死ぬ前に彼を抱きかかえることもできなかった」
父は泣きながらいいました。「なぜ米兵はデモに発砲したのか? 多くは子どもたちだったのに」
父はまた「米将校はだれ一人として、罪のない息子を殺したことを謝罪に来ていない」と話しました。
父の傍らにいた住民は、「次のデモの後、学校のなかで四人の子どもの死体を見た。米軍が戒厳令を出していて救急車が近づけなかった」と証言しました。
イスラム教聖職者のガナービ師はデモの背景を語っています。事件の前、「住民は(米軍に)抵抗しなかった。フセインの写真もはずした」。しかし「米軍は街のなかをパトロールして挑発した。学校を占拠した。それが最初のデモを怒らせた」と語り、「占領が続いて治安が悪いことが、人々の怒りを呼んだ」とも述べました。
「アメリカの殺人どもよ。遅かれ早かれわれわれはおまえたちを追い出すだろう」。アラビア語紙アルハヤト二日付は、ファルジャの人々が街頭で反米スローガンの横断幕を掲げた写真を大きく掲載しました。
デモに参加したおじを米兵の発砲で失い、父が負傷した十四歳の少年の怒りを伝えた報道もありました。
「いま僕は何もできない。戦車がいるから。でも僕は待つ。そして自分で仕返しをする」
(カイロで小玉純一)