2003年6月20日(金)「しんぶん赤旗」
「英軍情報部からは(イラクが)大量破壊兵器を使う可能性は低いとの説明を受けていた」。証人になったクレア・ショート前国際開発相の発言にどよめきが広がりました。
十七日に英議会の下院外交特別委員会が開いた証人喚問。ショート氏とともに証言したクック元外相も「九〇年代の後半にはイラクに核兵器も打ち上げるミサイルもないと確信していた」とのべました。
両氏ともブレア政権発足時からの重要閣僚。イラク戦争加担に反対して戦争開始に前後して辞任しました。その証言の一部始終がテレビで全国中継されました。
「イラクは四十五分以内に大量破壊兵器の使用準備ができる」。そういってイラクの脅威をあおり戦争に突き進んだブレア首相。その足場がガラガラと崩れ、政権を揺さぶっています。
英メディアも指摘します。「首相は最大の試練に直面している。それは非常に深刻な問題であり、彼の信用全体が危うくなっている。日がたつにつれ労働党内、英国民の怒りは増している。彼らはだまされ、あざむかれたと感じている」(デーリー・ミラー三日付社説)「ブレア首相は、イラク戦争でだまされたと感じる浮動票層の信頼を失っている」(フィナンシャル・タイムズ十七日付)。
閣内にも動揺がうまれています。ブランケット内相はこのほどBBCラジオで、イラクの大量破壊兵器の存在を示すとして政府が昨年発表した証拠文書を「公表すべきでなかった」と言明。「私の人生で一番ばかげた政治問題」になってしまったと悔恨しました。
追いこまれたブレア首相は外交特別委員会の証人喚問への出席は拒否したものの、情報・安全保障委員会の設置と調査は受け入れざるをえませんでした。
焦点になっているのは、政府の「情報文書」の真偽と、それに政府が誇張や粉飾、改ざんしたかどうかです。
パウエル米国務長官は二月五日の国連安保理で英政府文書を「イラクのごまかし活動をこの上なく詳細に描いている」「卓越した文書」とほめちぎりました。しかしその後、この文書が十二年前の大学生の論文などを無断借用したのに加えて、中東問題の研究者の論文をわい曲して引用したことが暴露されました。
戦争開始の一カ月前、二月十五日、英国各地のデモに空前の二百万人が参加しました。その国民の怒りのエネルギーが、“発見されない大量破壊兵器問題”をめぐっていま再び燃え上がろうとしてます。
戦争前に二百万人の反戦デモを組織した主催団体の一つ、英核軍縮運動(CND)のノートン議長はいいます。「戦争が始まり人々はがっかりしてデモには来ないかと私は思いました。ところが国民をあざむいてきた政府のウソが明らかになると、国会議員や政府の言い分を信じた人たちにも新たな怒りが広がっています」
CNDは近く、ブレア首相などを国際刑事裁判所に戦争犯罪人として提訴する予定です。ノートン議長は「イラクで彼らが指揮した行為は、戦争犯罪です。私たちは、戦争を始めた理由、戦闘中の行為、現在の占領と戦争全体の不法性を問題にしてゆきます。史上最大のデモを組織しましたが戦争は止められませんでした。しかし、それで終わりではありません。たたかいは続いています」と強調しています。(ロンドンで西尾正哉)(つづく)