2003年6月23日(月)「しんぶん赤旗」
与党三党が献金者名の非公開を拡大する政治資金規正法改悪案の提出を確認した翌日の十七日、自民党の山崎拓幹事長は日本経団連の奥田碩会長と懇談しました。経団連の献金あっせん再開方針に謝意をのべた山崎氏、消費税率引き上げなどの政策実現を求めた奥田氏――政財界の「政治とカネ」の結びつきを改めて見せつけました。(古荘智子記者)
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与党の規制論議の発端は、昨年来相次いだ公共事業や違法献金をめぐる政治家の疑惑や腐敗事件でした。しかし、その反省もなく、献金する企業や個人の名を年二十四万円まで非公開にするという自民党の「念願」を達成させる改悪で決着しました。献金規制を求める世論に挑戦した、献金の“規制緩和”です。
自民党は公共事業受注企業の規制に否定的で、議論が進まないなか、青木幹雄参院幹事長が、一企業から政党支部への献金に上限を設ける代わりに「(献金した企業、個人の)名前を出さないようにした方がいい」と言い出しました。
小泉首相は「だれに献金しているか分からなければもっと献金したいんだという人も結構いる。献金しやすいような形をどうしたらいいか」と企業献金そのものを増やす意図を吐露しました。改悪には一般紙社説でも批判が続出しました。
「これをおごりと言わずして何と言おう。与党3党が合意した、政治献金の公開基準の引き上げのことだ」(「朝日」十三日付)
「国民への背信行為だ。与党三党に再考を強く求める」(「東京」十二日付)
企業献金欲しさからヤミ献金拡大を狙う自民党も、「政治改革に逆行する」と主張しながらあっさり自民党案をのんだ公明党も、政党としての道義を顧みない態度です。
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旧経団連の献金あっせん方式は、造船疑獄(一九五四年)で政財界に汚職の逮捕者が続出した危機感から、経団連が業界から献金をとりまとめて保守政党に配ったのが始まりです。
ゼネコン汚職などへの国民の批判を受けて九三年に廃止されるまで、年百億円以上の企業・団体献金を自民党などに提供してきました。
当時、企業の規模や利益などに応じた献金額のリストを作ったのは、旧経団連の花村仁八郎事務総長でした。そのあっせんの中心人物の花村氏さえ、「献金するから、経済界の意見を取り入れろじゃあ、一種の汚職になりますよ」とのべています。(『花村仁八郎聞書 流れのままに』西野研一著 西日本新聞社)
日本経団連の献金再開は、財界の要求する政策を受け入れた政党や政治家に献金をちらつかせるもの。
奥田会長は企業・団体献金の増額とともに政治への影響力を質的にも高めたい意向ですが、あっせんをやめた経緯への反省がなく、十年前に献金の公開基準が引き下げられた歴史を無視する自民党と同じです。
日本共産党の志位和夫委員長は、与党の改悪案と経団連の献金再開に対し「与党はヤミ献金を合法化し、経団連は政策をカネで買う。財界の道義も政界の道義も落ちている」と批判しました。