2003年6月28日(土)「しんぶん赤旗」
クアラルンプール都心近く緑豊かな丘にたたずむ小づくりな建物のマレーシア戦略国際問題研究所(ISIS)で、ノルディン・ソピー会長の穏やかな表情が厳しくなりました。米国のイラク攻撃にマレーシアが反対した理由を語り始めたときです。
「モラル、政治・外交、安全保障のどの分野においても決して正当化できない戦争だった。大量破壊兵器という言葉をもてあそび、イラクの政権交代、中東の改革を要求する。どうして米国にそんな権利があるか」
イギリス、日本など諸外国から四百五十年にわたる植民地支配を経験したマレーシア。歴史の教訓からも、他国をけ落とすアメリカの行動は、受け入れられないと説明します。
二月の非同盟諸国首脳会議から、マレーシアは議長国になり、これを機に国民的な反戦運動が、一気に盛り上がりました。千三百の非政府組織(NGO)が、反戦運動の国民センターとなった「マレーシア平和のための国民連合」に加わりました。
百万人を目標にしていた「国民連合」の反戦署名は、これまでに二百五十万人分が集まりました。街のあちこちで繰り広げられる署名運動。車や町中に水色のステッカーや旗が張られ、「平和のためのマレーシア人」と書いてあります。連日、集会などで議論が繰り広げられ、メディアが伝えました。
「政府の立場は当然、私たちにとって大きな励ましになりました」。NGO「公正な社会のための国際運動(JUST)」会長で野党の副総裁も務めたチャンドラ・ムザファール氏もいいます。JUSTも「国民連合」に参加しました。
反戦運動は、多民族国家マレーシアのマレー系、中国系、インド系などの各コミュニティーを団結させました。
「おそろしく不当な戦争に、どの民族もみな怒りを爆発させました」と中国系住民のNGO・華連の黄錫昌事務局長は強調しました。マレーシアがイスラム国家だから戦争に反対したのではなく、「われわれ発展途上国は、アメリカが気に食わないからと国連憲章を踏みにじるやり方に、黙っていられない」「マレーシアの平和と安定にとっても大問題だから」というのです。
反戦運動を中心になって支えた政権与党の統一マレー国民組織(UMNO)青年部広報担当、イサ・ビン・ニクマット氏は、「一政党の利益のための反戦運動ではなく、国民運動でした」と強調します。コソボ、アフガン戦争時も、反戦集会を企画しましたが、これほどまでには盛り上がりませんでした。
運動はいま、世界中の平和団体と協力を目指す「平和基金」へと受け継がれています。「国民運動」の各団体からは、「戦争が終わっても、世界へ平和のイニシアチブを発揮して団結しよう」と声があがった、とニクマット氏は誇らしげに語りました。「国内では団結する。国際的には隣国とともに繁栄できる世界にする。人々の平和への決意は固い」
ソピー会長は、非同盟運動(NAM、百十六カ国)とイスラム諸国会議機構(OIC、五十六国・機構)を挙げて、こういいました。「多民族、多宗教が共存し、経済的発展をとげるという近隣諸国のモデルとなりたい」
マレーシアは今年十月から、OICの議長国にもなります。赤道直下のこの国で人々は、世界の平和秩序に自分たちがどんな役割を果たせるか、と真剣に考え行動しています。 (クアラルンプールで鎌塚由美)(つづく)