2003年6月30日(月)「しんぶん赤旗」
不破哲三議長は、七中総での綱領改定案についての討論の最後の段階で発言にたち、まず討論のなかで提出された修正意見(文書での提出も含む)についての処理案を説明、つづいて、質問、意見について発言しました(二十三日)。以下は、その大要です。
質問、意見はずいぶんたくさん出されました。改定案の章を追う形で、回答の発言をしたい、と思います。
まず第二章です。稲垣さん(愛媛)から、現行の綱領の「日本独占資本」などの混合した意味をもつ規定が、その当時、どういうことで生まれたのか、という質問がありました。
私自身は、第七回、第八回党大会には参加していませんので、当時の状況は残された記録的な文書から判断するしかないのですが、当時の綱領討議のなかでは、報告でのべたように、闘争の相手は誰か、われわれの革命運動が立ち向かう相手はなにか、ここに論争の最大の問題の一つがありましたから、そのなかで、一方では、日本を従属させているアメリカ、他方では、政治支配も経済支配もふくめて、大企業・財界を中心とした国内の勢力、この両面にたたかいの主方向がある、こういう立場から情勢を整理したというのが、この規定が生まれる大きなすじ道ではなかったか、と考えます。
商業マスコミの役割の評価をなぜ省いたのか、という質問が、島津さん(中央)と浮揚さん(千葉)から出されました。今回の改定案での日本独占資本主義の現状分析の部分は、報告でのべたように、民主的改革に取り組むにあたって、その焦点になる問題点、矛盾点に重点をおいて、つくりました。情勢論一般としていえば、商業マスコミの問題点をふくめ、分析すべきことはいろいろありますが、それは、民主的改革によって対応するような性質の問題ではありません。そういう考えから、綱領改定案ではとりあげませんでした。
第三章にはいります。
稲垣さんから、レーニン時代の業績を簡略にした理由はなにか、第二次世界大戦におけるソ連の功績についての記述を削除した理由はなにかと、ソ連の歴史についての二つの質問がありました。
全体としては、簡潔化の流れのなかでのことですが、少し立ち入って説明しますと、まず、レーニン時代の業績は、歴史の認識としては、私たちは、事実にもとづいて可能なかぎり分析してきています。ただ、それをこの簡潔化した文章のなかで、どこまで特記するかということについては、考える点がいろいろあります。たとえば、社会保障の問題でも、ソ連が世界ではじめてその宣言をしたこと、それが国際的に大きな影響を与えたことは明白な事実ですが、その後、外国の干渉と内戦の時代にすぐ入って、経済も国土もたいへんな荒廃に落ち込みましたから、それがどこまで実施されたかというと、経過は単純ではないのです。ですから、この功績をきちんと研究して記録することは必要ですが、綱領改定案に列挙することは、今回やめました。
第二次世界大戦でのソ連の役割ですが、これは、前から指摘しているように、“光と影”の両面があるのです。九四年の綱領改定のさいには、変質し崩壊したソ連でも、歴史のなかで現実に果たした功績は評価するという意味で、功績の面を指摘しましたが、この間、第二次世界大戦での経過の全貌(ぜんぼう)が、いろいろな角度から詳細に明らかにされてきました。それによると、“影”の面があまりにも大きいのです。日本の千島問題は、スターリンの領土拡張主義の典型的な現れの一つですが、ヨーロッパ方面でも、大戦初期のバルト三国とポーランド東部の併合、戦後の東ヨーロッパ支配などは、スターリンの領土拡張主義を露骨に現したものでした。くわえて、戦争の経過ややり方をみても、当時の歴史的条件を考えても正当化するわけにはゆかない野蛮で残虐な行為が、ずいぶんあることが明らかにされてきました。そこまで明らかになった段階で、ドイツ・ファシズムを破ったという“光”の面だけを、わが党の綱領に記載するわけにはゆかないと考えて、これに関する叙述は、削りました。
最上さん(福島)からは、「資本主義から離脱した」国はどれだけあって、その現状をどう評価しているかという質問がありました。私たちが、「資本主義から離脱した」国としているのは、現在ある国では、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮です。そのなかで、現実に社会主義への道にたって努力をしていると見ているのは、中国、ベトナム、キューバで、この改定案で「市場経済を通じて社会主義へ」という路線に立っての取り組みについてのべているのは、中国とベトナムです。キューバについては、私が話のなかで、この路線に取り組んでいる国の一つとしてあげたことがあるのですが、昨年、上田副委員長を団長とする代表団がキューバを訪問したときの意見交換では、市場経済路線はとっていないとのことでした。
第四章にすすみます。
足立さん(中央)の質問は、民主主義革命について、社会主義革命への転化の角度からの特徴づけをなくしたことについて、賛成だが、そうした意味を聞きたい、というものでした。
これは、いわゆる連続革命論といわれる問題ですが、当面する民主主義革命の意義を論じるときに、六一年に採択した綱領では、社会主義革命への道すじとして意義づけがくりかえし強調されていました。まず、民主主義革命の意義についての最初の文章が、「労働者階級の歴史的使命である社会主義への道は、……真の独立と……民主主義的変革を達成する革命をつうじてこそ、確実にきりひらくことができる」というもので、これが社会主義への確実な道だというところに、民主主義革命のなによりの意義を求めるという調子が強くありました。また、民主主義革命論の最後の部分でも、民主主義革命が「日本人民の歴史」の上で転換点として意味をもつことを説明したあとで、この革命は「それ自体社会主義的変革への移行の基礎をきりひらく任務をもつ」こと、それは、「社会主義的変革に急速にひきつづき発展させなくてはならない」こと、民主主義革命から「連続的に社会主義革命に発展する必然性をもっている」ことの、くりかえしの強調がありました。
ここには、社会主義革命論者との論争の一つの反映があったのかもしれませんが、社会主義への移行を民主主義革命の当然の任務とみなすような表現は、誤解のもとにもなりうるものでした。民主主義革命から社会主義革命への前進は、客観情勢の成熟とあわせて、「わが国の労働者階級と人民の多数がそれを必要と考える」こと、すなわち国民多数の意思を決定的な条件とするものであって、そのことをぬきにした自動的な過程などでないことは、第七回党大会の綱領報告でも、すでに明確にされていたことです。
九四年の綱領改定のさいには、この点を明確にする見地から、文章にかなりの変更をくわえましたが、今回は、より突っ込んだ改定をおこないました。民主主義革命にしても、社会主義的変革にしても、日本がその道をすすむかどうかは、すべて、国の主人公である日本国民の判断にかかわる問題です。今回の改定案では、この立場から、民主主義革命そのものが、社会主義につながる性格を本来的にもっているとか、民主主義革命が成功したら、次の段階への前進を急ぐのが当然の任務になるとか、連続革命論的な誤解を残すような表現は、すべて取り除き、社会の進歩は、どんな段階でも、主権者である国民の判断の発展によってすすむという根本の見地が、すっきりとつらぬかれる表現に整理したわけです。
次に、これまでの「行動綱領」にかわる「民主的改革」の内容の問題です。この点では、ずいぶん多くの意見や提案があり、それを取り入れて修正する案は、すでに提案しましたが、全体にかかわることを、ひと言説明しておきたい、と思います。
この諸項目は、当面の行動綱領ではなく、民主的改革の内容ですから、私たちは、当面的な基準ではなく、やはり改革の基本方向をしめすもの――十年、二十年という物差しでその有効性を保ちうるもの、そういう気構えでつくりました。
一例をあげます。原発の問題でもっと具体的な提起を、という発言は、多くの方からありました。すでに吉井さん(国会)からかなり詳しい解明がされましたが、私からも若干の点をのべておきます。現在、私たちは、原発の段階的撤退などの政策を提起していますが、それは、核エネルギーの平和利用の技術が、現在たいへん不完全な段階にあることを前提としての、問題点の指摘であり、政策提起であります。
しかし、綱領で、エネルギー問題をとりあげる場合には、将来、核エネルギーの平和利用の問題で、いろいろな新しい可能性や発展がありうることも考えに入れて、問題を見る必要があります。ですから、私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。
ですから、私たちは、エネルギー政策の記述では、現在の技術の水準を前提にして、あれこれの具体策をここに書き込むのではなく、原案の、安全優先の体制の確立を強調した表現が適切だと考えています。
次に天皇条項の問題に関連して、稲垣さんから、一昨年国会でおこなわれた皇太子の長女誕生にさいしての「賀詞決議」にかかわる質問が出ました。
まず、問題の基本からのべますと、私たちは、一般的にいえば、憲法で定められた国家機関のあいだの儀礼的な関係として、慶弔のいろいろな事態にたいして、「賀詞」や「弔辞」が出されることそのものを、全般として否定する態度はとっておりません。もちろん、その場合でも、民主主義の立場にたって、どこまでが“許容範囲”か、という問題があります。私たちは、その点で、国権の最高機関である国会が、皇室との関係で、とくにへりくだったり、いたずらに相手がたをあがめ奉ったりする態度(用語をふくめて)はとるべきでない、ということを、その都度、国会のしかるべき場所で主張してきました。
例の賀詞の問題では、経過的にみて、一つの問題が起きたのです。最初に参議院の案が提示され、その案をもとに検討し、党は賛成の態度を決めました。ところが、衆議院では、党の代表は、基本的な態度はのべたのですが、文案そのものの吟味はおこなわず、結果的にはいいっぱなしということになりました。当事者は、内容は参院の賀詞とほぼ同じと思っていてのことでしたが、衆院の賀詞には、参院のものにはなかった文言、「皇室の繁栄」を望むという趣旨の文言が入っていたのです。これは、日本の将来にもかかわる問題で、天皇制にたいする党の考え方からいって、賛成しえない問題でした。こういう経過から、衆議院では、党の立場にふさわしい原則的な態度がとれなかった、という結果になりました。
これが、一昨年の国会での賀詞決議をめぐる問題の経過であります。
こういう問題は、これからも、いろいろな形で起こりうるものですが、今回、天皇制の現在と将来にたいする党の基本態度を、綱領であらためて明確化するということもあり、ことの性質におうじた正確な対処をするように、努力したいと考えています。
次に、母性保護の問題について、行動綱領からはずしたことに賛成だという発言が吉川さん(国会)からありました。さきほどの幹部会で、吉川さんから、母性保護を否定する意味での発言ではなかったという説明がありましたので、私は「安心した」と話したのですけれど(笑い)、ここには、整理しておくべき問題があるように思われますので、若干の解明をしておきます。
改定案も強調しているように、「女性の独立した人格」を尊重する、ということは、今日、いよいよ重要な問題になっています。ところが、この当然の要求から出発して、一部に、子どもをもっている女性(母親)と、そうではない女性とを区別するなということで、母性保護の要求に消極的になったり、母親になるかならないかは、一人ひとりの女性が自分で決定すべき女性の権利の問題だから、少子化の問題で国が介入するのはおかしいとか、いろいろな議論が出ている、と聞きます。
たしかに子どもを産むか産まないかは、一人ひとりの女性が自決する権利の問題ですが、少子化の現状には、それだけですますことのできない大きな問題があります。社会全体の立場でいえば、社会を構成する女性の多数が、産まない方向で自決してしまったら、社会の存続にかかわる危機をひきおこすわけです。日本は、この点で、かなり危機的な状態が、現にすすんでいます。いま年齢ごとの人口統計をとりますと、世代が五十年違うと、その年齢の人口数が約半分に減るといった傾向が出ています。これは、素直に計算したら、五十年たったら人口が二分の一になる、百年たったら四分の一になる、ということで、社会そのものが衰退に向かわざるをえないことになります。それは決して、健全なことではないし、このまま見過ごしてよい問題ではないのです。
そういう時だけに、母性の保護という問題は、社会の全体の問題として、特別に重要な意義をもつと思います。また、女性の独立の人格を尊重することと同時に、社会の問題として、少子化の傾向を克服する問題に取り組むことは、当然のことだと思います。
実は、女性の権利の問題をめぐるこうした議論は、マルクス、エンゲルスの時代にもあったことでした。ドイツのある女性活動家が、母性保護の問題で、エンゲルスに質問の手紙を寄せたことがあるのです(一八八五年)。女性にだけ、夜間労働の禁止などの保護措置をとることについて、これは男女の平等の精神から見てどうか、といった質問でした。エンゲルスはそれに答えて、「労働する女性が、その特殊な生理的機能のために、資本主義的搾取にたいする特別保護を必要とすることは、一目瞭然(りょうぜん)だと思います」と書き、自分は、「女性も男性同様にひどい資本家的搾取を受けるべきである」という形式的同権論に立つものではない、ということを明言するのです。(エンゲルスからゲルトルート・ギヨーム・シャックへ、全集(36)三〇四ページ)
続いて、エンゲルスは、「私が関心をもつのは、率直に申しますが、資本主義的生産様式の最後の存続期」(エンゲルスは、いまが資本主義の最後の時期だと考えていたのです)「における両性の絶対的な形式的な同権よりも、次の世代の健康のことです」と強調するのです。これから生まれてくる将来の世代のことを考えれば、母性の保護を重視しなければならない、エンゲルスのその気持ちがよく表れた手紙ですが、ここには、今日の私たちにとっても、たいへん重要な問題があると思います。
日隈さん(中央)から、宗教者との対話・交流がこれだけ大きく発展している今日、統一戦線の対象に宗教者が入っていないのはどうか、という指摘がありました。気持ちはわかりますが、ここにはきちんと考えなければいけない一つの問題があります。
綱領で、統一戦線を構成すべき勢力としてあげている諸階層は、すべて、それぞれの階層がおかれている客観的な状態とそれにもとづく階層全体の利益が、日本の民主主義的な変革の利益と一致する勢力です。ですから、現在、その階層の政治的な意識の状況がどのようであるとしても、長い展望のなかで、これらの勢力を統一戦線に参加できる勢力として位置づけることは、それだけの客観的な根拠があるのです。たとえば、諸階層の筆頭に書いてある労働者階級にしても、現時点での政党支持の状況を見れば、自民党支持者が多くいる一方、わが党の支持者はより少ないという実態があるでしょう。しかし、労働者がおかれている立場の総体が、日本社会の変革を要求していることは確かであって、そのことが自覚されれば、労働者階級が統一戦線の重要な力になってゆく、こういう展望を私たちはもっています。
しかし、宗教者の場合には、問題がまったく違います。宗教者という集団が、集団として、統一戦線の側にくわわる根拠となるような共通の利害をもった集団かというと、そういうことはないのです。多くの宗教者が私たちとの対話に応じ、私たちの事業に力を貸してくださっている、これはたいへんありがたいし、すばらしいことですが、それは、基本的には、一人ひとりの宗教者の方の信念からの行動であって、そこに、宗教者全体の共通の利益があるからではない、と思います。現実に日本の宗教界にさまざまな流れがあり、いろいろな世界観があることは、宗教委員会の方がたは重々ご承知のことです。もし私たちが、統一戦線を構成する諸勢力のなかに、宗教者をまるごと入れてしまったら、これは、かえって、やってはいけない、おこがましいことをやったということになるでしょう。宗教委員会の方がたが多少さびしい思いをしても(笑い)、ここはスジを通さないといけないところだ、と思います。
瀬古さん(国会)から、統一戦線という、「戦」の字の入った言葉は避けられないか、という文書発言がありました。私たちも、党の文書から、なるべく戦争用語をぬくように努力しているのですが、いまの日本では、なかなかむずかしいのです。「戦」の文字にしても、選挙になると、いやおうなしに、「選挙戦」、「終盤戦」、「宣伝戦」などの言葉が、日常的に飛び交います。また日常生活のなかでも、十二月に街に出れば、「歳末大商戦」といったスローガンでいっぱいです。(笑い)
つまり、日常語なのです。それ以外の言葉で説明しようとすると、わかりにくい言葉になってしまうことが多い。結局、過度に使うことは極力いましめますが、やむをえない場合には、やむをえないと割り切ってゆく以外ないのではないでしょうか。
第五章では、まず、最上さん(福島)、西山さん(国会)、畑野さん(国会)から、「社会主義」、「共産主義」という用語の問題について、質問がありました。とくに、綱領改定案が、「社会主義・共産主義」という用語と同時に、社会主義的変革など、「社会主義」だけを単独に使っている場合があることについても、指摘がありました。
今回の綱領改定案の作成にあたっては、まず未来社会の特徴づけとしては、「共産主義」、「社会主義」という段階的な区別をしないこと、どちらも、基本的には、未来社会の全段階を表す言葉として扱うこと、綱領の文章での未来社会の規定は、「社会主義・共産主義の社会」という表現で統一することを、方針としました。
ただ、未来社会の特徴づけの問題ではなく、未来社会の実現にいたる変革の問題とか、そこにいたる道すじの問題とか、あるいは、世界の他国にかかわる問題などを論じるときに、どういう表現を使うか、という問題があります。理論的には、「社会主義・共産主義」という用語を使っても間違いではないのですが、未来社会論そのものでない場合には、「社会主義」あるいは「社会主義的」という用語を使っています。「社会主義的変革」、「社会主義をめざす」、「社会主義への道」「市場経済を通じて社会主義へ」などなどです。だいたい、過渡期にかかわる状況を表現するときには、「社会主義」という言葉が選ばれています。これによって、文章が不必要に煩雑になることを避けることができますし、また、中国など、外国の事情を問題にするときも、「社会主義・共産主義」という用語法がその国で通用するわけではありませんから、自然な言い方になると思います。
田代さん(中央)からの質問は、「社会主義的変革」といって、「社会主義革命」と言わない理由はなにか、というものでした。これは、民主主義革命の段階から社会主義的変革の段階に前進する場合の、権力の変化の仕方を考えてのことです。第四章で、民主主義革命について、革命によって実現される内容は「民主的改革」なのに、それがなぜ「革命」なのかという問題を、国の権力が一つの勢力から別個の勢力に移るのが革命だ、という立場から、次のように解明していました。すなわち、民主的改革を本格的に実現するためには、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」から、「日本国民の利益を代表する勢力」の手に、国の権力が移らなければならない、という事情です。それによってこそ、民主的改革の諸課題は達成され、日本国民の歴史を転換する事業がなしとげられるのです。
では、社会主義への前進のさいに、同じようなことが起こるだろうか、というと、この過程には、いろいろな場合がありえます。国民の大多数が社会主義・共産主義への前進を支持するときには、政権を構成している勢力のあいだでも、それに対応する前進があるでしょうから、民主連合政府が、「社会主義をめざす権力」に成長・発展するという場合もあるでしょう。あるいは、情勢の進展のなかで、政権勢力のあいだに再編成が起こり、政権の構成が変わる、という場合もあるでしょう。実際的には考えにくいことですが、理論的には、別個の勢力がそれまでの政権にとってかわって、新しい任務の推進者になるという場合も、起こらないとはいえません。社会主義的変革への発展は、国の権力という面から見ると、こういうさまざまな可能性をふくみますから、国の権力が別の勢力の手に移行することを意味する「革命」という言葉は、使いませんでした。
社会主義的変革の内容についてですが、西山さんから、前の綱領では、「社会化」の対象が「大企業の手にある主要な生産手段」となっていたが、今回は大企業という限定がなく、「主な生産手段」に変わっている理由について、質問がありました。これは、「社会主義・共産主義の社会」の全段階を頭にいれて、その基礎をなす「生産手段の社会化」を説明するところですから、人間による人間の搾取を全体的に廃止するという大目標も念頭において、より広い表現にしたものです。
加藤さん(山口)から、「三つの自由」の規定を入れたい、という意見がありました。内容的には、「三つの自由」は、「民主主義と自由の成果をはじめ、資本主義時代の価値ある成果のすべてが、受けつがれ、いっそう発展させられる」という文章のなかに、すべて入っています。ここでいう「民主主義と自由の成果」を、わが党の独自の立場で、三つの分野に分けて示したのが、「三つの自由」ですから。
いまの綱領は、社会主義のところではなく、「独立・民主・平和日本」のところに「三つの自由」という定式を書き込みました。しかし、「三つの自由」というとらえ方――市民的・政治的自由、生存の自由、民族の自由というとらえ方――そのものが、わが党独自のもので、世間の常識になっているわけではありませんから、その内容の説明なしには、かえってわかりにくい叙述となります。そういう意味で、「搾取の自由」は別として、「民主主義と自由の成果」のすべてを受けつぐという改定案の表現を選びたい、と思います。
国家がなくなるという共産主義社会の高度な発展の展望に関連して、山下さん(中央)からは、分配の問題との関係について、また岡村さん(中央)からは、「搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき」という文章がここに入っているのはなぜか、という質問が出されました。また、過渡期について書かれていないのは、なぜか、という質問が、足立さんからありました。
まとめて説明しますと、いま私たちが「社会主義・共産主義の社会」と呼んでいる未来社会と現在の資本主義社会のあいだに、過渡期の段階がある、この点についてのマルクスの指摘は、現在でも、基本的には妥当するものだと思います。
この過渡期には、国民の多数が社会主義・共産主義をめざそうという意思をかため、その前進の努力を開始する、という時期ですが、これをよしとしない階級勢力がなお存在していて、さまざまな闘争が続きます。そこでは、国家は、「社会主義をめざす権力」という階級的性格をもつ存在として残っていて、必要な役割を果たす、そういう社会です。
この過渡期が終わると、ともかく大局的には「社会主義・共産主義の社会」ができあがったといえる段階がやってきます。そのとき、国家はどうなるのか。社会主義に前進しようという勢力とこれをおしとどめようという勢力との階級闘争などは、すでに過去の話になったという段階ですから、階級的な性格をもった国家は、もういらなくなります。
しかし、マルクスもレーニンも、階級がなくなったから、ただちに国家がなくなるとは、単純に考えませんでした。国家は死滅する、共同社会のなかで、強制力をもった国家としての機能が次第に無用なものとなり、次第に眠りこんでゆき、長い時間がかかっても、最後には社会から消滅するだろう、と考えたのです。これが、国家の死滅という見通しです。
綱領の改定案が、「原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」として描いているのは、社会のこうした発展方向を示したものです。
階級がなくなっても、国家がすぐにはなくならず、長期にわたる死滅の過程が必要になるのは、なぜか。
社会主義・共産主義の社会でも、社会を維持してゆくためには、一定のルールが必要であり、最初の段階では、このルールを維持するために、国家という強制力が必要になります。国際関係を別とすれば、共同社会が成熟して、強制力をもった国家の後ろだてがなくても、社会的ルールがまもられるような社会に発展する、ルールが社会に定着して、みんなの良識でそれがまもられる、そういう段階にすすめば、国家はだんだん死滅してゆくだろう、マルクスがたてたのは、こういう見通しでした。
いったいそんな社会が可能だろうか。私は、その一つの実例として、日本共産党という“社会”をあげてみたい、と思います。これは、四十万人からなる小さい規模ですが、ともかく一つの“社会”を構成しています。そして、規約という形で、この“社会”のルールを決めています。そこには、指導機関とか規律委員会などの組織はありますが、国家にあたるもの、物理的な強制力をもった権力はいっさいありません。この“社会”でルールがまもられているのは、この“社会”の構成員が、自主的な規律を自覚的な形で身につけているからです。ルール違反があれば、処分をうけますが、その処分も、強制力で押しつけるものではありません。
強制力をぬきにして、ルールが自治的なやり方で、まもられているのです。
同じことは、集合住宅の自治会や、地域の自治会などの活動についても、いえるでしょう。そこで、ルールがまもられるというのは、ルールをまもることが、その小社会を維持するために必要だということをお互いに自覚しあっているからです。ここでも、自治的なやり方で社会のルールは維持されます。
国家の死滅ということは、ルールなき社会、無政府的な社会になることではありません。国の権力によるルールの維持ではなく、ルールが自治的、自覚的にまもられる社会に発展すること、これが、私たちが将来の目標としている「国家権力そのものが不必要になる社会」なのです。
古典家たちは、そういう展望が人間社会のどういう発展によって現実のものになるかについて、いろいろな考察をおこなっています。なかでも、彼らが重視したことは、社会の新しい条件が新しい人間を生む、ということでした。社会主義的変革がおこなわれてから幾世代もたって、搾取という制度があったことも、人間が人間を抑圧するという無法があったことも、昔話になるような時代になりますと、社会像についての単純な予想はもちろんできないことですが、人間そのものの新しい成長・発展があることは、まちがいないでしょう。先輩たちは、そういうことを全部ふくめて、国家のない社会を展望したわけです。
岡村さんから質問のあった、「搾取も抑圧も知らない世代が多数を占めるようになったとき」という文章は、新しい社会が生まれ、しかも一連の世代交代をふくむ一定の歴史をへた段階だということを表現する文章として読んでほしい、と思います。
なお、足立さんから質問のあった過渡期の問題ですが、第一六節の全体を、過渡期のこととして読んでもらいたい、と思います。
足立さんからは、もう一つの質問と意見がありました。前の大会で確認された「社会主義の三つの基準」がなぜのべられていないのか、ぜひ、織り込んでほしい、というものでした。
「三つの基準」というのは、三年前の党創立記念日の講演(不破「日本共産党の歴史と綱領を語る」)のなかで提起し、その年の党大会で確認したものですが、まだ私たちが今回の改定案にまとめたような社会主義論を本格的に展開する前のことでしたから、この問題でさしあたって必要になる三つの点を、まとめてのべたのでした。「三つの基準」という言葉こそ使っていませんが、その内容は、今回の綱領改定案の第五章にすべて含まれています。
まず、第一点のソ連型の体制にたいするきっぱりした批判の問題ですが、改定案では、経済体制から政治体制にわたって、ソ連型への批判がより具体的にのべられています。
第二点の資本主義の価値ある成果をひきつぐ問題も、さきほど読みあげたとおりです。
第三点の利潤第一主義を乗り越える問題は、今回の改定案では、生産手段の社会化による経済体制の変革として、より本格的、全面的に明らかにしています。
こういう形で、「三つの基準」として以前提起した考え方は、より系統だった形で、改定案の社会主義・共産主義の叙述に織り込まれていることを、内容的に理解してほしい、と思います。
最後の質問になりますが、中井さん(京都)から、「自由と民主主義の宣言」の今後の扱いの問題が出されました。これは、第二十三回党大会で綱領改定がきちんと決まったのちに、大会で選ばれる中央委員会で検討される問題になる、と思います。
最後になりますが、わかりやすい綱領にするという問題についても、多くの意見が出されました。わかりやすい、という点では、各人にいろいろな期待感があって、期待通り、あるいは期待以上という意見もあれば、期待した方向とは違った、という意見もありました。
私たちの文章がむずかしいという場合、論理が入り組んでいたり、問題を十分につめた形でとらえていないためにわかりにくいということが、しばしばあります。今回の改定にあたっては、どの章についても、問題のすじ道をできるだけ鮮明に、わかりやすく展開するという努力は、最大限にしたつもりです。
それから、綱領の宣伝には、綱領そのものの文章だけでは足りないので、多くの人びとにその内容を知っていただくために、独自の宣伝手段をつくり、独自の宣伝活動をおこなうことは、これは、それぞれの部署で、積極的に考えてゆく必要があります。
都議会の木村さん(東京)からは、どういう日本をつくるかを中心につくってほしかった、という端的な要望がのべられました。日本をどうするかという肝心の提案が、第四章までゆかないと出てこない、短い前書きをつけて、すぐそこから話が始まるような組み立てはできないか、そういうご意見でした。しかし、私は、その意見をうかがいながら、木村さんが、都議会でどんな質問演説をしているのだろうかと、考えました。いきなり、都政のここをこう変えろ、という提案から、話をはじめるだろうか。ある提案が道理をもち説得力を発揮するためには、その問題をめぐる現状はこうなっていて、それに取り組む都政には、こういう問題点がある、そういうことを論じた上で、だからこういう改革が必要だとの提案にすすむのではないでしょうか。そういう分析なしに、いきなり改革の提案をすることはない、と思います。
わが党が、日本の政治・経済の改革を提起する場合にも、その改革を必要としている現実が、日本の情勢のなかにある、そのことをのみこんでもらわないと、説得的な力は出てきません。私たちが、将来の社会主義・共産主義の社会について語る場合にも、いきなり未来社会の像から話をはじめるわけにはゆきません。いまの世界について、またいまの日本について、二一世紀、いつまでも資本主義のままではたいへんなんだ、それを変える条件や要素がこれだけ発展しているんだ、ということがなければ、未来社会論は絵空事になってしまいます。
ですから、綱領という文書を、私たちが道理をもって日本の明日、世界の明日を説く文書として仕上げるためには、読むのにちょっとおっくうな面があっても、いまのような組み立てが必要になることを、理解していただきたいと思います。