2003年7月1日(火)「しんぶん赤旗」
イラクの隣国トルコ共和国の首都アンカラ。建国の父アタチュルクの名を冠した大通りの脇に、クリーム色の平たい国会議事堂があります。この場所が一躍、国際政治の焦点になったのは三月一日。イラクへの地上軍侵攻の出撃基地にトルコ領を使わせろとの米軍の要求を、国会が拒否した時でした。
トルコは半世紀前から北大西洋条約機構(NATO)に加盟している米国の軍事同盟国です。しかも総額で百五十億ドルの“緊急”援助を見返りにした要請でした。
それから三カ月余―。「アンカラ(トルコ政府)はワシントン(ブッシュ政権)の怒りを過小評価している」―トルコの英字紙トルキシュ・デイリー・ニュース六月九日付は一面トップの大見出しで、トルコ系米国人団体の懸念を伝えました。米軍は短時日でイラクを軍事制圧したとはいえ、トルコの「妨害」をけっして忘れていないとの警告でした。
トルコ国会は、米軍の領空通過は認めました。しかし、地上からの出撃拒否が米軍にとっていかに大きな痛手だったか。トルコ最大のニュース専門テレビ・NTVのベレケト外信部長をイスタンブールの事務所に訪ねると、緊張した表情で説明してくれました。
トルコの拒否によって、イラクの北と南からバグダッドを挟み撃ちする米軍戦略が挫折し、攻撃開始が数週間遅れただけではありません。「四万人の米兵と装備をトルコ(近海)に待機させた。病院もつくった。それが議会拒否で引き揚げることになった。莫大(ばくだい)な経費の損失、時間のロスがあった」と指摘します。
「ワシントンの怒り」を特別にあらわにしたのが、ウルフォウィッツ米国防副長官の自己批判要求でした。五月七日、CNNテレビのトルコ語放送に述べたのです。
「トルコが勇気を出して言うことを望む。『われわれ(トルコ)は誤りを犯した。イラクの状況がいかにひどかったか知るべきだった。しかしいまはわかっている。どうすればできる限り米国の役に立てるかを考えよう』と。これまでとは違う態度を見たいものだ」
しかし、「ワシントンの怒り」は「トルコの怒り」を呼び起こしました。エルドアン首相はウルフォウィッツ発言の直後、「トルコは最初から誤りなど犯しておらず、きわめて冷静に必要な措置をとった」と反論しました。
アンカラの国会を訪ねて聞くと、与党・公正発展党(AKP)国会議員のチャウシュオーリュー氏は「米国はトルコを非難するべきではない。民主主義国家ではこの決定を尊重せねばならない」と強調しました。野党・共和人民党(CHP)副党首で国会議員のバツー氏は「不当、失礼なこと」と一蹴(いっしゅう)しました。
アンカラ大学のオラン教授は「ブッシュ政権は脅しばかりしている。米国にトルコを脅す道理はない。トルコは自国の利益にしたがって行動した」と話しました。
国会が米国の要求を拒否した日、議会外では五万人集会がありました。女子学生のセブラさんも、イスタンブールから首都アンカラへバスで九時間かけて参加しました。首相が米の自己批判要求を拒否したのも「世論が怖いから。受け入れたら首相の座を失う」といいます。イラク戦争反対が国民の九割だった世論の力は生きています。(アンカラで小玉純一)(つづく)