2003年7月27日(日)「しんぶん赤旗」
「性急、ずさん、大義なし」――法案提出(六月十三日)直後、ある地方新聞の社説はイラク特措法をこう評しました。小泉自公政権が、いくら数の力で強行しても、この法律のずさんさや大義のなさを隠すことはできません。
法案の「ずさん」ぶりは審議を通じていっそう明らかになりました。
たとえば「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区別。憲法九条の制約をすり抜けるため、日本政府がまさに“苦肉の策”で持ち出したはずの理屈です。ところが審議では、石破茂防衛庁長官が「イラクは法的には『戦争状態』」と認め、揚げ句、小泉純一郎首相が「分かるわけがない」と開き直る始末。
派兵される自衛隊員の身分についても、川口順子外相は、運悪く捕虜になってもジュネーブ条約の適用を受けず、文民のあつかいも受けないなどと答弁。小泉首相が「大量破壊兵器を保有するイラク」と断定した根拠を示すよう問われた福田康夫官房長官は、「むちゃなことを言うな」とぶ然と答えるなど、法案の根幹にかかわる重要問題に何一つまともに答えることができなかったのが事実です。
戦争の大義さえ揺らぐなか、「殺す、殺されるかもしれない」(小泉首相)ことを覚悟して、イラクに出兵する―こんな法律が、国民の理解と支持を得られるはずはありません。どの世論調査でも、イラク派兵反対が賛成を上回っていることでも明らかです。
国際的に見れば、もっとはっきりします。中東諸国のほとんどは米英によるイラク戦争も、それに続く軍事占領も認めていません。自衛隊派兵は「日本の利益にならない」という声もあります。
政府は軍隊を派遣している国があると強調してきました。しかしその数は米英を合わせても十六カ国(十四日現在、外務省調べ)、国連加盟国百九十一カ国の一割にもなりません。
フランス、ドイツは米国と軍事同盟関係にあっても、イラク戦争に反対し、その後の占領に派兵もしていません。インドは国連の要請がないとして中止しています。
にもかかわらず、なぜこんなでたらめな法案を一カ月余りの審議で強行したのか――そこには徹頭徹尾、米国の顔色だけをうかがい、その言動をうのみにして恥じない日本政府と与党・自民党、公明党のぶざまな姿勢があります。
「最も重要な同盟国である米国との同盟関係をどう考えているのか」――二十三日の党首討論でイラク戦争の大義を問われて小泉首相が声高に叫んだこの言葉がすべてを物語っています。何よりも日米同盟を優先し、そこから発想するという、およそ「自主性」とは無縁の卑屈な姿勢があらわです。
今回の自衛隊派兵も、米側が「戦闘終了」を宣言し、イラク占領に楽観的な見通しを持っていたなかで開かれた五月の日米首脳会談で約束したもの。米軍の「安全安定確保活動」を支援するという法案の骨格が、そうした米側の甘い見通しをうのみにしたものであったことは疑いありません。
イラク戦争をめぐる国際政治の場で、日本は終始、米国を支援しつづけてきました。
その日本がいきついたのが、今回のイラク特措法でした。九一年の湾岸戦争の際に、海上自衛隊の掃海艇を派兵して以来、米国の求めに応じて拡大してきた自衛隊の海外派兵は、ついに戦闘地域への武装部隊の派遣にまでいたったのです。
国際の平和ルールをふみにじる米国への無条件追随は国際的孤立の道でもあります。この異常な従属体制から抜け出さない限り、日本が二十一世紀の国際社会のなかで生きていけないことは、いっそうはっきりしてきています。(山崎伸治記者)
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イラク派兵法案の強行採決に対し、広島県平和委員会など十六団体でつくる「憲法守れ・有事法制の発動許すな!広島共同センター」(藤本幸作代表)は二十六日昼、広島市中区の平和記念公園・原爆碑前で抗議の座り込みを行いました。約八十人が参加し、各界から「戦争への道必ず阻止を」と訴えました。
県被団協(金子一士理事長)の吉岡幸雄副理事長は政府・与党の姿勢を「悪法を積み重ね、アメリカの言いなりになってきた戦後の姿を今、見ている」と批判。「戦争への道を断つために、われわれ被爆者は先頭に立ってたたかいたい」と決意表明しました。
「教え子を再び戦場に送らん。人の命は地球より重たいんだ。その思いで歯を食いしばって実践してきた」。広島市教組(全教)の杉本麗次書記長はこう強調し、「イラクへ自衛隊を派兵しない運動を大きくつくっていきたい」とあいさつ。原爆講談で知られる講釈師の緩急車雲助さん(71)はアラビア風の長衣姿で「戦争がとうとう解禁になりました」と憂い、人を殺さず戦争にも参加せずにきた戦後の五十八年間について「その流れを一人ひとりが心のなかで確かめて守っていくことを、これからやり抜く必要がある」と訴えました。
藤本代表は「世論を大きく盛り上げて、今の政治を変える意気込みで今後の運動を強めたい」と呼びかけました。